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第5章「豹変」

第23話「捨てられた犬、みたいな」

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(PDPicsによるPixabayからの画像)

 スマホの向こうで、スミレが呆れた声をだす。

「ライムペイ……? 何言ってんのよ、むつみ。
 とにかく状況を教えて? 何がどうなっているの?」
「どうなっているか、あたしにも、わからない」
「なんなのよ、いったい……あのね、とりあえずタクシーで、うちへきて。
 青井さんがへんなメッセージを送りまくっているのよ」

 『青井』という名前を聞くだけで身体がふるえた。
 理由のない暴力というのは、こんなにも簡単に人の精神を破壊できるんだ……。

 タクシーがスミレの部屋へ着くまで、まるで真っ黒なゼリーの中をかき分けているみたいな気がした。
 漆黒の闇。
 終わらない墓標のような電柱。
 点滅を繰りかえす信号。

 まるでホラー映画だ。
 そしてホラー映画の仕上げは、痛みと先の見えない恐怖だ。

 いったいこのタクシーは、どこへ行くんだろう……。
 ってか。
 あたし、ライムペイ、チャージしてあったかしらん。さっき、デニムのポケットを探したら財布はあったけど、お金はほとんど入ってないのよね……。



 スミレの部屋はセキュリティのととのった高級マンションだ。実家が裕福だから家賃は親持ちらしい。
 部屋にあがるとスミレが息を飲むのが分かった。

「……ひどい顔」
「なんでわかったの? 顔にあざはないでしょ」
「あざ? ちがうわよ、顔色がひどいし髪もばさばさ……」
「髪、切られたの。お腹も蹴られたし」
「はあ? いったい何が起きたのよ」
「わかんない」

 温かい紅茶を飲んで、やっと震えが少しおさまってきた。スミレはあたしの様子をうかがいつつ、今の状況を説明した。

「さっき、青井さんからメッセージが来たの。びっくりして、アンタに電話したのよね。どうも社内グループ全員に送ったみたいよ、コレ」

 スミレのスマホを見ると、たしかにメッセージが来ていた。内容は、

『むつみが突然、メンタルめちゃくちゃになって、僕を殴って家を出ました。
 僕はケガをしています。大変なケガですが、それよりむつみが心配です。
 むつみから連絡があった人は至急、僕に知らせてください。
 今夜の彼女、言っていることがめちゃくちゃだと思います』

 最後に自撮り写真が添付されていた。
 あたしが振り回したベルト金具が当たった傷は、ぜんぜん大きくなかった。
 でも、その写真は捨てられた犬みたいなかんじにうまく加工されている。事情を知らない人が見たら、被害者だって思うだろうな……。

 スミレが尋ねる。

 「それで、ほんとうは何が起きたの?」

 あたしはゆっくりとすべての事を話した。

 結納が延期になったこと。
 理由は親戚の危篤であること。
 それを伝えたら、いきなり豹変したこと。
 とにかく『予定通りの結納・結婚』にこだわっていたこと。
 
 それから、髪を切られて、さんざんお腹を蹴られたこと。

 ここで、スミレにお腹を見せた。
 自分でもはじめて見たんだけど、愕然とした。


 赤黒いあざがお腹いっぱいにある。スミレによれば、背中にもあるらしい。腰にも。
 みみずばれになっているところもあるし、腫れあがっているところもある。
 とにかくもう、生まれて以来、見たことがないような打撲痕なのだ。

 スミレが言った。

「むつみ、これ、病院へ行かなきゃ」
「こんな時間に病院なんて……」

 スミレは少し考えて、電話をかけはじめた。

「あ、おじさん? こんばんわ。あのね患者がいるの。
 かんじゃ、ペイシェント、patient!
 は? ドイツ語で言え? Geduldigよ!!」

 それからしばらくやり取りをして、スミレは電話を切った。

「すぐに医者が来るから」
「えっ?」
「あたしのおじさん、医者なの。
 このマンションの別フロアにいるからすぐに来てくれるわ」

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