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第2章「ここから登る、坂の途中」~真乃×洋輔 編

第40話「孤高の星」

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「いらっしゃいませ、コルヌイエホテルへようこそ」
 真乃はレセプションカウンターで礼をしてから、親友の佐江にうっとうしがられている男を眺めた。安原は気安く(笑)、

「よせよ、バカ丁寧に。どうせ結婚までのつなぎに働いているんだろう?」
「安原さん、真乃は真剣なんです。からかわないでください」

 安原はひとのよさそうな顔で笑い、

「からかっていないよ。『真剣に働く』なんて、きみたちには似つかわしくない。
女は、男を支えてこそ良き妻だ」

 というと、さりげなく佐江の背に手を当てた。
 佐江は黙って目を伏せ、まっすぐな背筋をもっとまっすぐにした。はずみで、安原の手が佐江の背中からはずれて、浮く。
 たくみなテクニックを見て、真乃はにやりとした。安原では佐江のパートナーとしては、役不足だ。
 

 佐江は、男をくるわす影を目の下に作りながら、
「安原さん、行きましょうか。そろそろ時間でしょう? またね、真乃」

 佐江の背中を見送りつつ、彼女は美しすぎて、まるで中天にある孤高の星のようだと考える。
 どんな男の手も、そこまでは届かない。
 そしてその位置は、佐江がみずから望んで、選んで立っている場所だ。
 
 あたしにも、あれほどの強さがあればいい、と真乃はいつも思う。


★★★
 佐江を見送ってから、真乃はメインバーに届けるものをもって、足早にロビーを横切った。
 そこへ、長身のつやのある姿がぶつかった。

「お、悪いね。なんだ、真乃ちゃんか」

 とん、と真乃の肩をついて身体を離したのは、メインバーに勤める深沢洋輔《ふかざわようすけ》だ。

 深沢は清春とほぼ同じ慎重だが、もっと肉の厚い体で、しかし俊敏な動きでその大きさを他人に気づかせない。
 まるで日向で寝そべっている猫のように、自由自在に自分を小さくたたみこめる男だ。自分が、大きさを誇示したいと思うときはたちまち猛獣の本性をあらわす。


 真乃は手にした書類を深沢に差し出した。

「ちょうどよかった。これ、メインバーに持って行くものです。よろしく」
「あいよ」

 簡単に言って、深沢は真乃の手から書類を取った。さらっと真乃に言った。

「そうだ、キヨのやつを見に行かねえか」
「兄は今日は、『スターバー』にいませんよ。バンケットルームでパーティのヘルプです」
「知っているよ。おれも呼ばれているから」

 そう答える深沢の姿をよく見れば、いつもと違う黒いジャケットを着ている。さきほど清春が着ていたものと同じだ。

「俺はバーカウンター専属。これから行くところなんだ。あんた、兄貴の様子が心配じゃないか?」

 真乃は肩をすくめた。

「兄のことで、心配することなんてあります?」

 はは、と深沢は笑った。

「ねえよ。あんたの兄貴は俺の知る限りずっと優等生だ。優等生以外の生き方を知らねえんだな。つまんねえ人生だ」
「あなたにそんなことを言われたくないでしょうね」

 真乃はちらりと色気したたる深沢の姿を見た。
 深沢はコルヌイエに入ってからも、さんざんあちこちの女に手を出しているようだ。さすがに社内ではどんな女とも噂になっていないが。
 組織内を混乱させないよう、よっぽど清春がきつく、くぎを刺しているのだろう。

 この男が他人の言うことを聞くとは思えないけれど、と真乃はメインバーに入っていく深沢の長身を見た。
 深沢はメインバーに消えたと思ったら、すぐに出てきて、従業員用のエレベーターに向かう。
 真乃が美麗な長身の後ろを歩いていくと、深沢がちょっとおどろいたように振り返って

「あれ、ついてくんの?」
「キヨちゃんが、働いているところが見たいもの」
「へっ、兄貴に妙な虫がつくのが心配か? あんた、意外とブラコンだな」
「ちがうわよ」

 一緒のエレベーターに乗り込んで、バンケット階へのボタンを押して真乃は言った。

「キヨちゃんの働いているところを見れば、なんであんなに、皆がキヨちゃんをほめるのかわかるでしょ」
「知りてえのか」
「知りたいわよ。あたしだってあんな風になりたいのよ」
「そうかねえ」

 深沢は行儀悪くパンツのポケットに両手を突っ込み、エレベーターボタンが点滅するのを見ている。
 それからぽつん、と言った。

「あれはあれで、苦労しているんだぜ、キヨだって」
「キヨちゃんが!?」

 真乃は思わず振り返った。
 狭いエレベーターの中で、息をのむほど獰猛な色気を黒い制服に隠した男が、にやりと笑っていた。
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