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第18章「コルヌイエホテルにて」
第157話「『環』」
しおりを挟む(UnsplashのHoai Thanhが撮影)
目の前で、コルヌイエホテルの大滝が流れ落ちていく。
広大な日本庭園の6メートルの高さから水が落ちてくる。
環と城見龍里《しろみりゅうり》は、水が落ちる滝つぼの前に立っている。
ふたりで。
だがそこには、あまりにもあっけなくこの世を去った松ヶ峰紀沙《まつがみね きさ》の濃厚な気配があった。
「城見監督、いったい何をおっしゃっているんですか……それに、たまきって。私、環《たまき》と名乗ったでしょうか」
ふるえる声に、城見はしみとおるような笑顔で答えた。
「いや、名乗らなかったよ。
しかし君のおかあさんは、君が生まれる前から名前を『環』と決めていた。男の子でも女の子でも使えると。
だから俺は、君が生まれる前から名前だけは知っていた」
「……私は藤島環《ふじしまたまき》です。以前、なにかの手続きで住民票を取ったことがあるんです。
両親は『藤島』で、私は長女です。
けっして、松ヶ峰紀沙の娘では、ありません」
うん、と城見は柔らかくうなずいた。
「紀沙は、君を生んですぐに藤島家に特別養子縁組を頼んだ。だから戸籍謄本《こせきとうほん》を取らないかぎり、君が藤島家の養女だということは分からない。住民票じゃ、わからないんだ。
そういうふうに、したんだよ。紀沙と北方《きたかた》が」
「北方……御稲《みしね》先生も、ご存知なんですか」
なるほど、紀沙と御稲の企《くわだ》てなら、疎漏《そろう》があるはずもない。
誰にも分からぬよう、巧妙にカモフラージュされていたのだ。
「俺と紀沙はね」
城見は環が時計をとろうとしないので、あいている右手でロレックスを取り上げた。
「ごく若いうちに出会った。俺は結婚するつもりでいたが、紀沙は利口《りこう》な女だから、こんな男に一生をかけられなかったんだろう。俺を捨てて名古屋に帰った。
それきり、お互い会わないつもりだったんだ。ところが」
城見はロレックスをひっくり返して、なつかしげにK・Sのイニシャルを見た。
いまなら、環にもイニシャルの意味が分かる。
K・Sは『紀沙・城見』。紀沙の見果てぬ夢が、刻み込まれていたのだ。
「ちょうど、松ヶ峰氏が亡くなったころ、ひょんなことからは再会した。俺はやり直すつもりでいたし、紀沙もそうだったかもしれない。
しかし彼女は土壇場《どたんば》でまた、結婚をやめた。
君を身ごもっていたのに」
「なぜ、ですか」
環の声はさっきからふるえが止まらない。自分が城見に向かって何を言っているのか、よくわからないほどだ。
「おばは、あなたを愛していました。再婚できない理由はなかったはずです」
城見はしばらく経ってから、ぽつんと答えた。
「聡《さとし》くんがいたからだ」
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