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第18章「コルヌイエホテルにて」
第152話「もう少し俺を」
しおりを挟む(UnsplashのEvie S.が撮影)
あざやかな初夏の日本庭園を12階のホテルのスイートから眺め下ろしつつ、今野はしっかりと環を抱きしめた。
「もう少し俺を頼ってよ」
今野の声は、硬くこわばっている。
いつもはどこまでも明るく軽く、まわりの人を楽しませる声なのに、いま聞こえる声は切羽《せっぱ》つまって息苦しいようだった。
今野の温かい唇が環の頭のてっぺんをさぐっている。まるで、そこにたどり着けばもっとたやすく呼吸ができるというように。
酸素もなく深海でもがく人のように。
環はそっと身体を倒して、唇が届きやすくしてやる。すると今野はたちまちポイントを見つけ出し、何かをそそぎ込もうとするかのようにキスをした。
体温が伝わる。そして唇が当てられた場所から、今野の言葉が直接、入り込んでくる。
「俺なんか、聡さんたちに比べるとまだまだガキで、ら頼りないかもしれない。だけど、君が困っているときに何もかもを放り出してかけつけるのは、俺だ。
聡さんでも音也のアニキでもない――俺だよ」
環がすこしだけ身体の力を抜くと、今野はもう一歩ふみだして恋人の背中にぴたりと身体を寄せた。
環が、安心して寄りかかれるあたたかい身体が背後にあった。
今野の鼓動を背中に感じながら、環は口をひらく。
「あの、今野さん。
これから、私のしようとしていることは、おかしくないでしょうか。
何十年も前に別れた女性が亡くなったからと言って、見ず知らずの人間から形見《かたみ》を渡されるなんて。
城見《しろみ》監督の気持ちはどうなんでしょう」
うーんと今野はうなった、環の頭の上に軽くあごを乗せ、
「まあ、変わっていると言えば変わっていることかもしれない。
でもさ、城見監督だって、べつに形見を受け取らなきゃいけない義理《ぎり》はないわけだよ。
断ってもいいのに会う、と言うことは、監督は紀沙《きさ》奥さんへ気持ちを残しているってことなんじゃないの?
少なくとも、形見《かたみ》の時計を突き返すつもりはないと思うよ」
だったらいいけれど、と環は思いながら、それは口に出さずに黙って恋人にもたれた。
ふと、自分はいつもずっと誰かに守られて生きてきたのだと思う。
紀沙に、聡に、音也に、北方に守られてきたのだとあらためて思う。
環は今野の腕を撫でた。今野が少しだけためらい、それから環の顎に指をあてて上向かせ、そっと唇をかさねてきた。
「城見監督と会う時についていこうか? 一人じゃ心《こころ》ぼそくないか、環ちゃん?」
環は笑って首を振った。
「大丈夫です。心配してくれて、ありがとう」
「心配に決まっているだろ。俺の大事な女の子じゃん」
ぎゅっと今野がきつく抱きしめてきた。
環は黙って微笑む。
「大丈夫ですから」
「戻ってくるのが遅ければ、コルヌイエホテルじゅうに迷子《まいご》の館内放送をかけてもらうからね」
環は笑った。ほんとうに、この人は場を明るくしてくれる人だと思う。
環は、環のためにせいいっぱいの言葉と体温を差し出してくれる人を大切にすべきだ。
まずは今野から。
それがきっと、松ヶ峰紀沙《まつがみね きさ》への恩返しになるだろう。
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