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第5章「母の遺したもの・藤島環」

第42話「絵と映画と、ロレックス」

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 一階のきれいに整った部屋とくらべると、二階のアトリエは乱雑をきわめていた。
 すさまじい量の色彩と物であふれていて、聡は思わずひらいたドアから一歩足を引いた。
 環が笑いながら、先にアトリエに入る。

「大変な散らかりようでしょう? でも、まずはサト兄さんに見ていただこうと思って、片付けていないんです」

 聡はそっと亡母のアトリエに足を踏み入れた。

 壁という壁には仕上げの終わった絵や製作途中の絵が立てかけてある。この部屋だけで三十枚以上の絵があるだろう。

 ざっと絵を眺めてみた。

 アジアらしい風景に若い母子をえがいたもの、色あざやかな異国風の民族衣装をまとった少女の横顔の絵などが、所せましと並べてあった。

 部屋を歩き回りながら、キャンバスのすき間からDVDとテレビを見つけた。20枚ほどのDVDがきちんと並べてある。
 DVDの背をぼんやりと眺めていた聡は、すべておなじ監督の映画だと気がついた。

「監督『城見龍里』……たまちゃん、この人を知っているか?」
「はい」

 環は、大きなバッグからプリントアウトした紙を取り出した。

「気になったので調べました。
 映画監督の、城見龍里《しろみりゅうり》さん。外国の賞を受賞なさっているみたいです。

 アトリエにある絵はすべて城見監督の映画の場面なんだそうです。今野《こんの》さんが教えてくれました。
 あのかた映画にくわしいんですよ。この資料も今野さんに作っていただきました」

 聡は資料をめくった。
 城見龍里《しろみりゅうり》、65才。

 映像作家としてのキャリアはながく、デビューしてから40年が経っている。低予算のアクション映画からスタートして、しだいに家族を主題に据えたアクションサスペンス作品を作るようになり、海外での評価を得た。

 現在は香港《ホンコン》に拠点を持ち、活躍の場も海外が多いようだ。

 白黒コピーの写真もあった。

 映画サイトからダウンロードした写真には、丈の短いピーコートを着た男が椅子に座ってうつっていた。おだやかな表情で、映画監督というよりふつうのおじさんみたいだ。
 
「映画ねえ……おふくろは映画を見なかったよな。たまちゃんはこの監督の映画を見たことある?」
「なかったんです。昨日DVDを借りて見ました」
「ここのDVDを持って帰ったのか?」
「いいえ、今野さんからお借りしたんです。あ、サト兄さんも見ますか?迫力があってスピーディなサスペンス映画でした」
「……ふん」

 さっきから環がしきりに今野のことばかり言うのが気に入らない。

 腹立たしさにまかせて乱暴にアトリエを横切ろうとして、ガツンと足を小さな机にぶつけた。

「痛ってえ……うん? 机か」

 画材に埋まっている机には、小さな引き出しが二つあった。聡は片方の引き出しを開いた。

 空っぽ。
 だが引き出しを閉めようとすると、かたい音がして何かがころがり出てきた。

 白いリネンのハンカチに包まれた小さなものだ。
 リネンをはがしてみる。

 男物らしき腕時計が入っていた。
 
 「たまちゃん、時計があるぞ」

 丸い大きなフェイスに黒い皮バンド。文字盤にはロレックスとある。

 松ヶ峰紀沙には、男物の時計をコレクションする趣味はなかったはずだが……。
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