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第1章「松ヶ峰聡を取りまく、煩瑣な事情」
第4話「妹分の涙をぬぐう」
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(UnsplashのFoad Roshanが撮影)
環は丸い顔のまんなかに平凡な顔のパーツをそろえ、ふっくらした身体をきゅうくつそうに黒い喪服に詰め込んでいる。
品は良いが、亀のように鈍重《どんじゅう》に見える環は、聡の母・紀沙が生後半年で手元に引き取り、むすめ同様に育てた子だ。
「ああ、だいじょうぶだ。たまちゃん、疲れただろう?」
「ええ。でももう少しで終わりますから」
環は小さな声でおっとりと答えた。
常識的でおだやかな性格だが、もう24才になろうと言うのに、一グラムの色気もない。ただただ、人のいい女だ。
「お疲れが出たんじゃないですか、サト兄さん?喪主だから、もう三日もほとんど寝ていないでしょう」
「大丈夫だって言っただろう!」
今度は少し声が荒かったらしい。
たちまち環のぽっちゃりした手が、上質だが平凡なデザインの喪服の上をおろおろと動きまわった。
その自信なさげな動きを腹だたしく眺めつつ、いつものように3歳下の環を救い出さねばならない気になる。
飼い主を見失った小型犬のような、群れからはぐれた仔象のような環。
これも、松ヶ峰聡が今後、責任を負わねばならない人間のひとりである。
むしゃくしゃするが放っておけない存在だ。
聡は手にしていたタオルを乱暴に放り出した。
「ごめんな、たまちゃん。『本郷』に、いろいろ言われたんだろ」
「おじさまは選挙のことを心配してらして……。
今は音也さんがうまくお話しなさったので、安心されていますけれど」
「うん。選挙のことはぜんぶ、音也にまかせとけばいい。
そろそろ精進落としの食事も終わりだな」
「ええ。だから音也さんがサト兄さんを連れてきてほしいって」
きちんとした黒のワンピースを着た環は、声や言葉の選び方、しぐさなどが亡くなった松ヶ峰紀沙によく似ている。聡はふと、死んだ母が声だけ戻ってきた気がした。
情けない一人息子を、どやしつけるためだけに。
聡は小さなキッチンのどこかに母の気配を濃厚に感じつつ、精いっぱい背筋を伸ばした。そして環に向かってむりやり笑う。
「たまちゃん、大変だったな。おふくろの事故の連絡を受けて警察に駆けつけたのも葬儀場の手配も、たまちゃん一人でやったんだ。
悪かった、おれが横井先生について東京に行っていたもんだから……」
聡の言葉に、 環はうつむいて泣き始めた。肩のあたりで切りそろえた髪がゆれる。
泣きはじめたら止まらなくなったようで、そのまま丸い肩を震わせて、声もなく泣き続けた。
……おふくろのために無心で泣ける人間が、まだいたんだな。
環が泣いているあいだ、聡はひたすら環のためのハンカチを探してスーツのポケットをあちこちたたき続けていた。
妹分の涙をぬぐうためのハンカチさえ、松ヶ峰聡は探しきれなかった。
松ヶ峰聡とは、そんな27歳の男である。
環は丸い顔のまんなかに平凡な顔のパーツをそろえ、ふっくらした身体をきゅうくつそうに黒い喪服に詰め込んでいる。
品は良いが、亀のように鈍重《どんじゅう》に見える環は、聡の母・紀沙が生後半年で手元に引き取り、むすめ同様に育てた子だ。
「ああ、だいじょうぶだ。たまちゃん、疲れただろう?」
「ええ。でももう少しで終わりますから」
環は小さな声でおっとりと答えた。
常識的でおだやかな性格だが、もう24才になろうと言うのに、一グラムの色気もない。ただただ、人のいい女だ。
「お疲れが出たんじゃないですか、サト兄さん?喪主だから、もう三日もほとんど寝ていないでしょう」
「大丈夫だって言っただろう!」
今度は少し声が荒かったらしい。
たちまち環のぽっちゃりした手が、上質だが平凡なデザインの喪服の上をおろおろと動きまわった。
その自信なさげな動きを腹だたしく眺めつつ、いつものように3歳下の環を救い出さねばならない気になる。
飼い主を見失った小型犬のような、群れからはぐれた仔象のような環。
これも、松ヶ峰聡が今後、責任を負わねばならない人間のひとりである。
むしゃくしゃするが放っておけない存在だ。
聡は手にしていたタオルを乱暴に放り出した。
「ごめんな、たまちゃん。『本郷』に、いろいろ言われたんだろ」
「おじさまは選挙のことを心配してらして……。
今は音也さんがうまくお話しなさったので、安心されていますけれど」
「うん。選挙のことはぜんぶ、音也にまかせとけばいい。
そろそろ精進落としの食事も終わりだな」
「ええ。だから音也さんがサト兄さんを連れてきてほしいって」
きちんとした黒のワンピースを着た環は、声や言葉の選び方、しぐさなどが亡くなった松ヶ峰紀沙によく似ている。聡はふと、死んだ母が声だけ戻ってきた気がした。
情けない一人息子を、どやしつけるためだけに。
聡は小さなキッチンのどこかに母の気配を濃厚に感じつつ、精いっぱい背筋を伸ばした。そして環に向かってむりやり笑う。
「たまちゃん、大変だったな。おふくろの事故の連絡を受けて警察に駆けつけたのも葬儀場の手配も、たまちゃん一人でやったんだ。
悪かった、おれが横井先生について東京に行っていたもんだから……」
聡の言葉に、 環はうつむいて泣き始めた。肩のあたりで切りそろえた髪がゆれる。
泣きはじめたら止まらなくなったようで、そのまま丸い肩を震わせて、声もなく泣き続けた。
……おふくろのために無心で泣ける人間が、まだいたんだな。
環が泣いているあいだ、聡はひたすら環のためのハンカチを探してスーツのポケットをあちこちたたき続けていた。
妹分の涙をぬぐうためのハンカチさえ、松ヶ峰聡は探しきれなかった。
松ヶ峰聡とは、そんな27歳の男である。
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