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第1章「松ヶ峰聡を取りまく、煩瑣な事情」
第11話「半分は、本気」
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(UnsplashのTan Kaninthanondが撮影)
聡の叔父は、思いがけず亡くなった義姉を思い出したのか、わずかに涙ぐんでいった。
「急なことだったからなあ、おまえもびっくりしただろう、聡。
しかし、間がわるい……!
選挙まで半年しか残っとらんのにな」
叔父はしばらくうなっていたが、やがて二重になったあごをしゃくって音也に尋ねた。
「それで、選挙のほうはどうなっとる?」
聡の後ろに控えていた音也は、松ヶ峰家の講演会を握っている有力者に対して丁寧に一礼した。
聡の背後から滑舌のいい政治秘書の言葉が、よどみなく聞こえてきた。
「これから本格的な選挙準備に入るところです。
初めてのことですので、なにもかも後援会の『吉松会』だのみの選挙戦になります……。
松ヶ峰先生にはこれから何かとご助言をいただきにまいりますので、何卒よろしくご指導ください」
音也の深いバリトンの声を聴きながら、聡はまるで歌舞伎役者の口上みたいだ、と思った。
音也と叔父が本格的に選曲の票読みについて話しはじめると、聡はもう手持無沙汰でやることがない。
卓上の和菓子を三つばかり口に放りこむ。
そのまま香りのよい玉露に手を伸ばした。
やがて聡の意識はしだいに散漫になり、あやうくあくびをするところだった。
叔父がぎろりと目を光らせる。それから音也に、
「まったくなあ。あんたはずいぶん切れ者のようだが、かついどる神輿がこれじゃあ、骨折損じゃないのか。
おい聡、紀沙さんが亡くなって、これからはおまえが本家の総領やぞ。しっかりせんか」
「おれが叔父さんぐらいシッカリしようとおもったら、あと四十年はかかりますよ」
自分でも訳がわからない返答をしているうちに、聡はむらむらと腹が立ってきた。
そうだ、どうせおれは政治家になんか向いていない。
選挙なんかやめちまえ。
そう思う次の瞬間から、聡はもう諦めるしかない。
松ヶ峰本家にはもう、男子は聡ひとりだけだ。となれば、聡は政治家になるしかない。
松ヶ峰聡は、家を継ぐためだけに、ここまで育てられてきたのだから。
諦めるしかない。そして気が狂いそうなほどに恋している音也が『叔父の言いなりになれ』というのなら、聡には他の道はなかった。
聡は、どんなことでも音也の言うとおりにする。
この狂恋のためにできることは、それしかないから。
聡はいきなり座布団をはずして、土下座した。
ひたいを畳にこすりつける。
「おじさん! おれが頼りないのは百も承知ですが、ここは亡くなった母に免じて助けてください。
松ヶ峰の男が選挙に出て『負けました』なんて、殺されたって言えません。
それが松ヶ峰の意地でしょう!
おれも死ぬ気でやります、おじさん、鍛えなおしてください!」
そう言いきって聡が頭を上げると、正面に叔父の顔が見えた。いつのまにか叔父の小さな頭にのせた丸帽子がずり落ちてきている。
よくよく見ると、叔父は涙ぐんでしきりに手で鼻をこすっているようだ。
「聡、よう言うた。それだよ、それ!
それが松ヶ峰家の惣領が言うことだ! 松ヶ峰の誇りだ。
わしには分かっとった。お前にはたしかに兄さんの血が入っとる。
いつかお前も目が覚めると思っとったよ……」
叔父は大きな音をたてて鼻をかみ、しかしティシュのすき間から厚ぼったい目で聡をじろりと見た。
「まあ、それもお前が本気で言うたかどうかだ……どっちだ、聡」
「半分は、本気ですよ」
聡もけろりとして言い返した。
聡の叔父は、思いがけず亡くなった義姉を思い出したのか、わずかに涙ぐんでいった。
「急なことだったからなあ、おまえもびっくりしただろう、聡。
しかし、間がわるい……!
選挙まで半年しか残っとらんのにな」
叔父はしばらくうなっていたが、やがて二重になったあごをしゃくって音也に尋ねた。
「それで、選挙のほうはどうなっとる?」
聡の後ろに控えていた音也は、松ヶ峰家の講演会を握っている有力者に対して丁寧に一礼した。
聡の背後から滑舌のいい政治秘書の言葉が、よどみなく聞こえてきた。
「これから本格的な選挙準備に入るところです。
初めてのことですので、なにもかも後援会の『吉松会』だのみの選挙戦になります……。
松ヶ峰先生にはこれから何かとご助言をいただきにまいりますので、何卒よろしくご指導ください」
音也の深いバリトンの声を聴きながら、聡はまるで歌舞伎役者の口上みたいだ、と思った。
音也と叔父が本格的に選曲の票読みについて話しはじめると、聡はもう手持無沙汰でやることがない。
卓上の和菓子を三つばかり口に放りこむ。
そのまま香りのよい玉露に手を伸ばした。
やがて聡の意識はしだいに散漫になり、あやうくあくびをするところだった。
叔父がぎろりと目を光らせる。それから音也に、
「まったくなあ。あんたはずいぶん切れ者のようだが、かついどる神輿がこれじゃあ、骨折損じゃないのか。
おい聡、紀沙さんが亡くなって、これからはおまえが本家の総領やぞ。しっかりせんか」
「おれが叔父さんぐらいシッカリしようとおもったら、あと四十年はかかりますよ」
自分でも訳がわからない返答をしているうちに、聡はむらむらと腹が立ってきた。
そうだ、どうせおれは政治家になんか向いていない。
選挙なんかやめちまえ。
そう思う次の瞬間から、聡はもう諦めるしかない。
松ヶ峰本家にはもう、男子は聡ひとりだけだ。となれば、聡は政治家になるしかない。
松ヶ峰聡は、家を継ぐためだけに、ここまで育てられてきたのだから。
諦めるしかない。そして気が狂いそうなほどに恋している音也が『叔父の言いなりになれ』というのなら、聡には他の道はなかった。
聡は、どんなことでも音也の言うとおりにする。
この狂恋のためにできることは、それしかないから。
聡はいきなり座布団をはずして、土下座した。
ひたいを畳にこすりつける。
「おじさん! おれが頼りないのは百も承知ですが、ここは亡くなった母に免じて助けてください。
松ヶ峰の男が選挙に出て『負けました』なんて、殺されたって言えません。
それが松ヶ峰の意地でしょう!
おれも死ぬ気でやります、おじさん、鍛えなおしてください!」
そう言いきって聡が頭を上げると、正面に叔父の顔が見えた。いつのまにか叔父の小さな頭にのせた丸帽子がずり落ちてきている。
よくよく見ると、叔父は涙ぐんでしきりに手で鼻をこすっているようだ。
「聡、よう言うた。それだよ、それ!
それが松ヶ峰家の惣領が言うことだ! 松ヶ峰の誇りだ。
わしには分かっとった。お前にはたしかに兄さんの血が入っとる。
いつかお前も目が覚めると思っとったよ……」
叔父は大きな音をたてて鼻をかみ、しかしティシュのすき間から厚ぼったい目で聡をじろりと見た。
「まあ、それもお前が本気で言うたかどうかだ……どっちだ、聡」
「半分は、本気ですよ」
聡もけろりとして言い返した。
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