5 / 25
1「欲情を、煽るがごとく」
第5話 「恋なんて――もう落ちたいとも、思わない」
しおりを挟む(slightly_differentによるPixabayからの画像 )
白石は心臓の音を静めながら、部下の西川にたずねた。
「お客さまは、客室カテゴリのご希望をおっしゃったか?」
「はい、開いている部屋があれば、どこでもいいそうです。あと、お支払いは先になさりたいと。クレジットカードをお預かりしました」
西川はプラスチックのカードを差し出した。
白石はちらりと見て、ただうなずいた。そして目の前のパソコン画面を見直す。
「――よし。8階のクオリティセミダブルにご案内しろ。822のお部屋だ。
あ、デポジット(事前預かり金)をいただいてもいいか、ゲストに確認してからカードを通せよ」
「はい」
と、西川はカウンターに戻りかける。その小柄な姿に白石は声をかけた。
「西川。客室へのご案内は、ベルボーイの間宮(まみや)に頼め。こんな時間だし、男性ゲストおひとりだからな」
「ええ? 大丈夫ですよ、あたし。ご案内しますよ」
まだ20代半ばの西川は、怖いものなしという顔を向けてきた。白石はそののんきな様子にため息をつき、
「お前のためじゃない、ゲストのためだ。
万が一でも、そういう疑いをかけられるような状況にゲストを置くんじゃない。……とはいえ、その心配はない相手だがな……」
「ええ? 何ですかあ?」
西川が聞きなおすのを白石は押しとどめ、早くカウンターへ行くように命じた。
「ゲストをお待たせするな。ああ、ベルにはバゲッジ(荷物)はないと伝えろよ」
「はあ。白石さんがいきなり客室フロアから連れてきたゲストで、しかもノーバゲッジなんて。いったいどういう方ですか?」
白石は首を回して、こきっと小さな音を立てた。
「さあな。ゲストのプライバシーには踏み込まないのがホテルマンの鉄則だ。早くルームへご案内しろ」
西川がカウンターに入ってしまうと、ふう、と白石はため息をついた。
ゲストのプライバシーには踏み込むな?
じゃあ、ゲストはホテルマンのプライバシーに踏み込んでもいいのか。
白石の唇の上にはまだ、あの巨きな男の体温が乗っている。
温かく、柔らかく。
欲情をあおるがごとく。
もう一度ため息をついてから、ちらりと、西川が置いていったチェックインシートを見る。
あの奇妙なゲストの情報を知ろうと思えば、すぐにわかる。
ゲストの氏名、住所、誕生日はチェックインシートに記入されている。クレジットカードの利用データと照らしあわせれば、少なくとも本名はわかるだろう。
問題は。
白石がそれを知りたくてたまらない、ということだ。
そして知れば、もう止まれなくなるような気がしていた。
白石は薄暗いバックルームでつぶやいた。
「いまさら、恋をしてどうなる?」
三十五歳、ホテルマン、ゲイ。
恋なんて――もう落ちたいとも、思わない。
そろっ、と。白石の手がチェックインシートに伸びた。
0
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説
貧乏Ωの憧れの人
ゆあ
BL
妊娠・出産に特化したΩの男性である大学1年の幸太には耐えられないほどの発情期が周期的に訪れる。そんな彼を救ってくれたのは生物的にも社会的にも恵まれたαである拓也だった。定期的に体の関係をもつようになった2人だが、なんと幸太は妊娠してしまう。中絶するには番の同意書と10万円が必要だが、貧乏学生であり、拓也の番になる気がない彼にはどちらの選択もハードルが高すぎて……。すれ違い拗らせオメガバースBL。
エブリスタにて紹介して頂いた時に書いて貰ったもの
ハイスペックストーカーに追われています
たかつきよしき
BL
祐樹は美少女顔負けの美貌で、朝の通勤ラッシュアワーを、女性専用車両に乗ることで回避していた。しかし、そんなことをしたバチなのか、ハイスペック男子の昌磨に一目惚れされて求愛をうける。男に告白されるなんて、冗談じゃねぇ!!と思ったが、この昌磨という男なかなかのハイスペック。利用できる!と、判断して、近づいたのが失敗の始まり。とある切っ掛けで、男だとバラしても昌磨の愛は諦めることを知らず、ハイスペックぶりをフルに活用して迫ってくる!!
と言うタイトル通りの内容。前半は笑ってもらえたらなぁと言う気持ちで、後半はシリアスにBLらしく萌えると感じて頂けるように書きました。
完結しました。
配信ボタン切り忘れて…苦手だった歌い手に囲われました!?お、俺は彼女が欲しいかな!!
ふわりんしず。
BL
晒し系配信者が配信ボタンを切り忘れて
素の性格がリスナー全員にバレてしまう
しかも苦手な歌い手に外堀を埋められて…
■
□
■
歌い手配信者(中身は腹黒)
×
晒し系配信者(中身は不憫系男子)
保険でR15付けてます
私は私を大切にしてくれる人と一緒にいたいのです。
火野村志紀
恋愛
花の女神の神官アンリエッタは嵐の神の神官であるセレスタンと結婚するが、三年経っても子宝に恵まれなかった。
そのせいで義母にいびられていたが、セレスタンへの愛を貫こうとしていた。だがセレスタンの不在中についに逃げ出す。
式典のために神殿に泊まり込んでいたセレスタンが全てを知ったのは、家に帰って来てから。
愛らしい笑顔で出迎えてくれるはずの妻がいないと落ち込むセレスタンに、彼の両親は雨の女神の神官を新たな嫁にと薦めるが……
家賃一万円、庭付き、駐車場付き、付喪神付き?!
雪那 由多
ライト文芸
恋人に振られて独立を決心!
尊敬する先輩から紹介された家は庭付き駐車場付きで家賃一万円!
庭は畑仕事もできるくらいに広くみかんや柿、林檎のなる果実園もある。
さらに言えばリフォームしたての古民家は新築同然のピッカピカ!
そんな至れり尽くせりの家の家賃が一万円なわけがない!
古めかしい残置物からの熱い視線、夜な夜なさざめく話し声。
見えてしまう特異体質の瞳で見たこの家の住人達に納得のこのお値段!
見知らぬ土地で友人も居ない新天地の家に置いて行かれた道具から生まれた付喪神達との共同生活が今スタート!
****************************************************************
第6回ほっこり・じんわり大賞で読者賞を頂きました!
沢山の方に読んでいただき、そして投票を頂きまして本当にありがとうございました!
****************************************************************
闇を照らす愛
モカ
BL
いつも満たされていなかった。僕の中身は空っぽだ。
与えられていないから、与えることもできなくて。結局いつまで経っても満たされないまま。
どれほど渇望しても手に入らないから、手に入れることを諦めた。
抜け殻のままでも生きていけてしまう。…こんな意味のない人生は、早く終わらないかなぁ。
嫌われ者の長男
りんか
BL
学校ではいじめられ、家でも誰からも愛してもらえない少年 岬。彼の家族は弟達だけ母親は幼い時に他界。一つずつ離れた五人の弟がいる。だけど弟達は岬には無関心で岬もそれはわかってるけど弟達の役に立つために頑張ってるそんな時とある事件が起きて.....
転生幼女は幸せを得る。
泡沫 ウィルベル
ファンタジー
私は死んだはずだった。だけど何故か赤ちゃんに!?
今度こそ、幸せになろうと誓ったはずなのに、求められてたのは魔法の素質がある跡取りの男の子だった。私は4歳で家を出され、森に捨てられた!?幸せなんてきっと無いんだ。そんな私に幸せをくれたのは王太子だった−−
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる