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第一章「シンジ・28歳。生理的に追い詰められる」

第5話 「本当に欲しいものは、いつだって手の届かないところにある」

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(StockSnapによるPixabayからの画像 )



「めずらしいな、飯塚(いいづか)が叱られているのか」

「……井上さん」



 おれはスタッフ用喫煙エリアに入ってきた優美な男を見上げた。

 井上さん。

 コルヌイエホテルのアシスタントマネージャーで、超がつくイケメンだ。

 ボスは口をひん曲げて、井上さんを見た。



「余計なこと、言うんじゃねえぞキヨ」

「何も言わない。メインバーはおまえのテリトリーだろ。おれは業務外のことに首を込まない主義なんだ――そんなことより」

 井上さんは高級そうなダークスーツの肩をすくめた。

 百九十センチのボスと、ほぼ同じ身長。でも似ているのは身長だけ。ボスがちょっと崩れたヤンキー系だとしたら、井上さんは正統派イケメン。切れ長の目にスッとした鼻筋。ボスみたいにケンカで鼻を折ったりしない。

 いつも特注らしいダークスーツを着ていて、ぴたりと決まっている。バーテンダーの制服すら崩してしまうボスとは正反対だ。



 この二人は同期入社で、子どものころから親友だと聞いた。

 羽虫をふみつぶすブルドーザーみたいなボスの目つきすら、平気で流せるのは、井上さんだけだろう。



「そんなことより、メインバーに女優のメイさまが来ていらしたぜ。上客(じょうきゃく)を放っておくなよ、洋輔」

「――ちっ」

 ボスは舌打ちすると喫煙エリアを出ていった。

 おれはゆっくりと立ち上がり、煙草を吸っている井上さんにきちんと礼をした。



「助けていただきました、ありがとうございます」

「飯塚いいづかくん。きみがミスをするとは、どうしたんです? いつもは深沢のカバーに回るほど、うまくやれているでしょう」



 井上さんはおれを見た。男から見ても、息をのむ美貌だ。おまけにホテルマンらしく動作がやわらかい。

 だけどボスにあざができるほど蹴とばされるより、井上さんにチラ見されるほうがよっぽどこわい。いつも、こっちが凍こおりつききそうな眼をしているからだ。



 だけど今日の井上さんは何か違う。いつもなら鋭すぎる視線が、どこか温かいみたいだ。相手を切りつけるだけでなく、切りつけた後の傷まで引き受けるような広さと深さ。

 だから思わず言ってしまった。



「恋しているんです――ああ、いや、忘れてください、井上さん」

 井上さんは煙草を長い指で持ちなおした。

「きみがか? メインバーの優等生が、恋か」

「いえ、その。あ、仕事が」



 急いで出ていこうとすると、井上さんが笑った。



「わかりますよ、飯塚。おれにだって惚れた女がいる」

「はあ……ええっ!」



 思わず振りかえると、ダークスーツに包まれた井上さんの身体から、まぶしいほどの光がきらめいた。

「おかしいですか。おれみたいな冷血が、恋だの女だのと言うのは」

「そんなことないですが……幸せなんですか、井上さん」

 井上さんは煙草をくわえて笑った。くそ、文句なくカッコイイ。



「どうだろうね。この先の人生ぜんぶを彼女に賭けると――おれはそう決めたんです」

 井上さんは、この世のものと思えない美しい貌かおで笑った。



「飯塚。どんな男だっていつまでも優等生ではいられません。恋しているなら、その女性を手放さないことです」

「まだ……手に入れていません」

 すると井上さんはにやりと笑い



「だったら、どんな汚きたない手を使ってでも、手に入れるんですね。惚れた女がいると世界が変わりますよ」

「……何が違うんでしょう」



 井上さんはなめらかな動作で、煙草を灰皿に押しつけて捨てた。



「そうだな……温かくて、柔らかい感じだ。まるで、女にずっと包まれているみたいですよ。それも、ただの女じゃない」



 ぽん、と肩に手が置かれた。テノールの声がささやく。



「おれの女のナカだ――天国だぜ、飯塚」



 そのまま立ち去る井上さんを見て、おれは腰が抜けた。

 あのひとは守るべき人を知り、守られる幸せも知っている。

 逆におれは、守りたい人にふれることすらできない。椿ちゃんは男恐怖症だから。おれはEDだし。

 どっちも一歩を踏み出せないままだ。どうせずっと、このままなんだ。

 いつだって本当に欲しいものは、手の届かないところにある。



 人をはねつける、ざらざらした余白よはくがおれを取り巻いている。

 記憶にあるかぎり、あの11歳の日からずっと。





★★★

 ボスにさんざん蹴とばされてから、十日たった。

 そのあいだに二回、椿ちゃんと会った。会ったと言っても、めしを食っただけ。

 ちなみに、椿ちゃんはものすごいスピードで食う。断食中のハリネズミみたいな速さだ。そして食い終われば、すぐバイバイ。おれはがっくり肩を落とす。



 それでも彼女に何か食わせるのは楽しかった。金のない椿ちゃんは、いつもお腹を空かせている。真剣に食べるところが、かわいい。

 ついでにいえば、金がないからいつも同じ服だ。

 よれよれのトレーナー、デニム、スニーカー。色は黒かグレー。ピンクやオレンジなんて絶対に着ない。



 彼女に、服を買ってやりたい。

 椿ちゃんは目が大きくてかわいい。鼻がちっこくて、かわいい。ぽちゃっとしてて胸がデカい。きれいなワンピースが似合うだろう。

 本人はいやがって、着ないだろうけど。

 服なんて、買わせてくれないだろうけど。

 おれは単なる“ロストバージン予定者”だから、精神的にも物理的にも近づかせてもらえないんだ。



 そして今日が三回目のデート……って、ただの送迎だけど。SMバーの仕事が終わったら、送って帰るだけ。



 深夜のSMバー“ダブルフェイス”のカウンターに座ってため息をつく。

 そこへ甘いにおいが漂ってきた。

「ヅカくぅーん、椿のお迎えかなあ?」



 ゆさっと、顔の横で良い匂いが揺れる。



「あ……エミリ……女王、さま」

 ほわんっと、肘に柔らかい肉が押し付けられた。

 これはひょっとしたら――? そっと、自分のデニムパンツを見つめる。



 どうなんだ、おれ?
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