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第一章「シンジ・28歳。生理的に追い詰められる」
第4話 おれと彼女の『ED克服&ロストヴァージン計画』
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おれは深夜の部屋で、スマホの向こうにいるボスに言いかえした。
「あの子に手を出す、とかじゃなくて! ファミレスでいきなり倒れたんですよ。出口でスタッフとモメて――」
するとクソボス、深沢(ふかざわ)さんが黙った。
「ボス?」
『そのスタッフ、男だったか?』
「ええ、男性です」
『原因はソレだ。椿(つばき)はオトコ恐怖症なんだ。男にさわられるとパニックになる。あとは本人に聞け』
「ちょ、ボス! オトコ恐怖症って、もうちょっと説明を――ボス!」
電話は切られた。おれはスマホを置いて、ベッドで眠る彼女を見る。
呼吸は短いけど、落ち着いている。顔色もよくなってきた。しばらく眠っているだろう。
おれはため息をついて毛布をかぶった。寒いが床で寝るしかない。オトコ恐怖症の女性と同じベッドに入るほど、ずうずうしくなれない。
「はあ……おれはEDで、彼女はオトコ恐怖症。もう詰んでるよ」
おれは眠りかけながら、初恋が砕ける音を聞いた。
……かっしゃーん……。
初恋の終わりって、チョー軽いのな……。
翌朝、おれは湯が沸く音で起きた。起き上がるとキッチンに女性がいた。
頭が混乱する。この部屋に女性が来ることはない。おれはEDだから。
そして昨夜のことを、思い出す。
「あー、そうか」
おれの声で、彼女が振りかえった。あいかわらず前髪が多すぎて、表情が分からない。
けどかわいい、ような気がする。って。バカか、おれは。
「あの、よければコーヒー、入れます、けど」
「ありがとう。あ、インスタントの粉は、棚の上にあるよ」
彼女はふたつのカップにコーヒーと湯を入れた。
湯気が立つ。
湯気だけが、気まずい空気をやわらげてくれた。
「きのうは、ありがとう、ございました」
「あ、いや。おれこそ、へんなことを言ってしまって」
朝になってよく考えると、昨日のおれはアホだった。ほぼ初対面の女性に向かって
『自分はEDだけど、SMバーで初めて会ったきみか、SMの女王さまのどっちか、に反応した。ヤレるのがどっちなのか確かめたいから、女王さまをやってくれない?』
……アホだ。なさけない。
あきらめよう、男はあきらめが肝心だ。そう思ってコーヒーを飲んだら、すごい熱い。ふき出すわけにいかず、じっとこらえる。全身にすごい汗が出る。
彼女はおれの様子に気づかないで顔を上げた。
髪のすきまから、やっぱりきれいな目が見えた。
「あの、あたし……女王さま……やります」
おれはほぼ熱湯のコーヒーを吹き出した。熱い液体が膝にぶちまけられる。
「ひゃっ!? へ? あ、熱っううう!」
彼女は淡々と言った。
「女王さまを、一回だけ、やります。でもSMの女王さまって、簡単じゃないんです。トレーニングが、いるんです。危険なことも、やるから……だから、二週間ください。姉に訓練してもらいます。あ、姉はあのバーの女王さまで……」
「うん、エミリさんでしょう。ボスから聞いてます」
彼女は静かにうなずいた。
「訓練が終われば、女王さまをやれます。あの、かわりに頼みがあるんです……」
「ああ、金なら払いますよ」
「おかね、じゃなくて――いちどだけ。一回だけ、して、ください」
「……何を?」
彼女はゆっくりと前髪をはらった。
きれいな目だ。きれいな顔だ。この世で、おれ以外の男は絶対に見なくていい顔だ。
柔らかそうな唇が言った。
「――セックス、してくだ、さい。あたし、バージンのまま終わりたくないんです」
言い終わると、まだ青ざめた肌が、ぽっと赤くなった。
ぐわっと熱がおれの全身にひろがった。
外は薄ぐもりで。おれの部屋は冷たくて。
ふたつのマグカップから湯気が上がっていて。
彼女が目の前にいる。
おれは思わずつぶやいた。
「世界が変わるって、こんなふうなのか」
「え?」
おれはあわてて言った。
「わかった。きみは、おれの女王さまになる。おれは一回だけ、きみと、その……ヤる。これでいいのかな?」
「はい」
おれたちはお互いの顔を見て、うなずきあった。
「取引成立だ。ええと、きみのことを何て呼ぼうか?」
「館林《たてばやし》です」
「……あの、もうちょっとカップル気分がでるような……そうじゃないと、おれ、できないかも。椿《つばき》ちゃんって呼んでもいいかな。おれは飯塚慎二《いいづかしんじ》。シンジでいいよ」
彼女は毛玉だらけのトレーナ―の肩をすくめた。
「イイヅカ、さん」
「シンジじゃあダメ?」
「イイヅカさん」
ふう、とおれは息を吐いた。ここが限界か……。
「じゃあ、イイヅカで。よろしく、椿ちゃん」
こうして、おれと彼女の『ED克服&ロストヴァージン計画』が始まった。
ゴールまで、道は遠い。
……っていうか。これ、ゴールあるのか?
★★★
椿ちゃんを家まで送っていったあと、おれは仕事が手につかなかった。
ふだんは優等生と呼ばれるのに、客のオーダーを聞きまちがえ、ボスの深沢《ふかざわ》さんにバーカウンターから引きずり出された。
そのまま、深夜のスタッフ用喫煙スペースに連行される。
「俺のバーでぬるい仕事すんじゃねえ、シンジ!」
ガツン!とボスのウィングチップの靴が下腹部にめり込んだ。
痛え……くそ、どこからも助けは来ないのか?
そう思ったとき、穏やかな声が頭上から聞こえてきた。
「めずらしいな。優等生の飯塚が、叱られているのか」
「あの子に手を出す、とかじゃなくて! ファミレスでいきなり倒れたんですよ。出口でスタッフとモメて――」
するとクソボス、深沢(ふかざわ)さんが黙った。
「ボス?」
『そのスタッフ、男だったか?』
「ええ、男性です」
『原因はソレだ。椿(つばき)はオトコ恐怖症なんだ。男にさわられるとパニックになる。あとは本人に聞け』
「ちょ、ボス! オトコ恐怖症って、もうちょっと説明を――ボス!」
電話は切られた。おれはスマホを置いて、ベッドで眠る彼女を見る。
呼吸は短いけど、落ち着いている。顔色もよくなってきた。しばらく眠っているだろう。
おれはため息をついて毛布をかぶった。寒いが床で寝るしかない。オトコ恐怖症の女性と同じベッドに入るほど、ずうずうしくなれない。
「はあ……おれはEDで、彼女はオトコ恐怖症。もう詰んでるよ」
おれは眠りかけながら、初恋が砕ける音を聞いた。
……かっしゃーん……。
初恋の終わりって、チョー軽いのな……。
翌朝、おれは湯が沸く音で起きた。起き上がるとキッチンに女性がいた。
頭が混乱する。この部屋に女性が来ることはない。おれはEDだから。
そして昨夜のことを、思い出す。
「あー、そうか」
おれの声で、彼女が振りかえった。あいかわらず前髪が多すぎて、表情が分からない。
けどかわいい、ような気がする。って。バカか、おれは。
「あの、よければコーヒー、入れます、けど」
「ありがとう。あ、インスタントの粉は、棚の上にあるよ」
彼女はふたつのカップにコーヒーと湯を入れた。
湯気が立つ。
湯気だけが、気まずい空気をやわらげてくれた。
「きのうは、ありがとう、ございました」
「あ、いや。おれこそ、へんなことを言ってしまって」
朝になってよく考えると、昨日のおれはアホだった。ほぼ初対面の女性に向かって
『自分はEDだけど、SMバーで初めて会ったきみか、SMの女王さまのどっちか、に反応した。ヤレるのがどっちなのか確かめたいから、女王さまをやってくれない?』
……アホだ。なさけない。
あきらめよう、男はあきらめが肝心だ。そう思ってコーヒーを飲んだら、すごい熱い。ふき出すわけにいかず、じっとこらえる。全身にすごい汗が出る。
彼女はおれの様子に気づかないで顔を上げた。
髪のすきまから、やっぱりきれいな目が見えた。
「あの、あたし……女王さま……やります」
おれはほぼ熱湯のコーヒーを吹き出した。熱い液体が膝にぶちまけられる。
「ひゃっ!? へ? あ、熱っううう!」
彼女は淡々と言った。
「女王さまを、一回だけ、やります。でもSMの女王さまって、簡単じゃないんです。トレーニングが、いるんです。危険なことも、やるから……だから、二週間ください。姉に訓練してもらいます。あ、姉はあのバーの女王さまで……」
「うん、エミリさんでしょう。ボスから聞いてます」
彼女は静かにうなずいた。
「訓練が終われば、女王さまをやれます。あの、かわりに頼みがあるんです……」
「ああ、金なら払いますよ」
「おかね、じゃなくて――いちどだけ。一回だけ、して、ください」
「……何を?」
彼女はゆっくりと前髪をはらった。
きれいな目だ。きれいな顔だ。この世で、おれ以外の男は絶対に見なくていい顔だ。
柔らかそうな唇が言った。
「――セックス、してくだ、さい。あたし、バージンのまま終わりたくないんです」
言い終わると、まだ青ざめた肌が、ぽっと赤くなった。
ぐわっと熱がおれの全身にひろがった。
外は薄ぐもりで。おれの部屋は冷たくて。
ふたつのマグカップから湯気が上がっていて。
彼女が目の前にいる。
おれは思わずつぶやいた。
「世界が変わるって、こんなふうなのか」
「え?」
おれはあわてて言った。
「わかった。きみは、おれの女王さまになる。おれは一回だけ、きみと、その……ヤる。これでいいのかな?」
「はい」
おれたちはお互いの顔を見て、うなずきあった。
「取引成立だ。ええと、きみのことを何て呼ぼうか?」
「館林《たてばやし》です」
「……あの、もうちょっとカップル気分がでるような……そうじゃないと、おれ、できないかも。椿《つばき》ちゃんって呼んでもいいかな。おれは飯塚慎二《いいづかしんじ》。シンジでいいよ」
彼女は毛玉だらけのトレーナ―の肩をすくめた。
「イイヅカ、さん」
「シンジじゃあダメ?」
「イイヅカさん」
ふう、とおれは息を吐いた。ここが限界か……。
「じゃあ、イイヅカで。よろしく、椿ちゃん」
こうして、おれと彼女の『ED克服&ロストヴァージン計画』が始まった。
ゴールまで、道は遠い。
……っていうか。これ、ゴールあるのか?
★★★
椿ちゃんを家まで送っていったあと、おれは仕事が手につかなかった。
ふだんは優等生と呼ばれるのに、客のオーダーを聞きまちがえ、ボスの深沢《ふかざわ》さんにバーカウンターから引きずり出された。
そのまま、深夜のスタッフ用喫煙スペースに連行される。
「俺のバーでぬるい仕事すんじゃねえ、シンジ!」
ガツン!とボスのウィングチップの靴が下腹部にめり込んだ。
痛え……くそ、どこからも助けは来ないのか?
そう思ったとき、穏やかな声が頭上から聞こえてきた。
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