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第11章「最深部」

第122話「巧緻に作り上げた、甘い嘘の日々」

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(UnsplashのYawer Waaniが撮影)

 あの、くちなしの夜を最後に、清春には奈落《ならく》の日々がやってきた。
 夏が近づく世界とは別の時間軸で毎日ひたすら仕事をしている。

 出勤希望を出せるシフトにはすべて自分の名を書きこみ、シフトのない日も出勤している。清春は今日も明日も働くし、その次も働くだろう。
 そうやって働き続ければ、なにもなかったことにできるように。


 あの夜、くちなしの香りをまとった佐江をベッドでむさぼるように抱いたあと、清春はぐっすりと眠りこんでしまった。
 そして翌朝、佐江がベッドにいないことに気づいてリビングへ行き、手術台のような白々《しろじろ》としたテーブルの上に、佐江の”覚悟”を見たのだった。

 ガラステーブルには、きれいに並べられた輝くダイヤのピアスと、清春の部屋の合鍵が置かれていた。
 大きなダイヤのピアスは、清春がかつての恋人・銭屋香奈子から別れぎわに渡されたものだ。

 まぶしく光るダイヤのピアスと合鍵が、ぶつかりあうように並ぶ光景。

「……さえ」

 清春は、ちいさくつぶやいた。そしてピアスと合鍵の下にあるグレーのポケットチーフを見て、なぜ香奈子のダイヤがここにあるのかを理解した。
 元カノのピアスを、スーツのポケットに入れたままだったのだ。

 銭屋香奈子との最後の場面が浮かぶ。
 形見《かたみ》と思えと言って、ピアスを自分の耳からはずし、清春の手に乗せた香奈子。
 そしてあわただしさに流されて、ピアスをポケットチーフにくるんだまま、無造作にスーツのポケットに突っ込んだ清春の手。

 その手は、わずか数日前にオリエンタルホテルのスイートで香奈子を抱き寄せた手だ。
 あの日、清春は香奈子を抱くつもりだった。
 抱けなかった。
 清春の身体はもう、香奈子には反応しなかったのだが。

 佐江はそれを知らない。

 知らないまま、スーツのポケットから見つけたダイヤのピアスで、清春の感情の揺《ゆ》れを察知したのだろう。
あざといほど、正確に。

佐江が黙って置いていったピアスと合鍵が、なにもかもを説明しつくしていた。
きれいに横並びにされたダイヤは、佐江の強い拒絶を明確に伝えてきた。

「さえ」

一度だけ、清春はそうつぶやいた。パジャマ代わりのシャツとスウェットを着たまま、清春はずるずると壁にもたれてすべり落ちた。
 どこかで、時計の音がする。
 するどい時計の音が、身体を切り刻んでゆく。

 清春がかき集められるだけの知恵を駆使し、巧緻《こうち》に作り上げた甘い嘘の日々は終わった。
 よりによって、うかつな浮気心のせいで。


 佐江は行ってしまった。
 最後の残された事実は、それだけだった。
 清春が、仕事漬けになって忘れたい事実とは――それだけだ。
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