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第8章「夏が来りて、歌え」

第90話「気づかないうちに、あなたを食い尽くしたひと」

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(Irina GromovatayaによるPixabayからの画像)
 香奈子がだまってヒールを脱いだ。
 九センチのかかとを脱いだ香奈子の身長は、百五十センチそこそこ。清春よりも三十センチも小さかった。

「こんなに小さかったかな」

 清春の声に笑いが混じった。香奈子ははだしのまま清春を見上げて

「こんなに小さかったのよ。あなた、気がつかなかった?」

 清春はだまってかぶりを振った。

「おれの知らなかったことが、たくさんあるようですね」
「知りたい?」
 香奈子が見上げる。

「あたしは教えてあげないわよ。あなたが自分で探しなさい」
「楽しみです」

 長身が優雅にかがんで香奈子の小さな顎を指でとり、ゆったりと唇を割り開いていく。
 香奈子のシャネルが濃厚に香った。
 長いキスが終わった後、清春は小さな香奈子の身体を壊れそうになるほどきつく抱きしめた。それきり身動きもしなかった。

「——なぜ?」

 混乱した清春の声が、優雅な午後のホテルルームにたよりなく広がった。

「あなたがここにいて、キスして、抱きしめているのに、なぜおれはここから一歩も動けないんです? おれはいったいどうなっている?」

 香奈子の腕が伸びて、清春の背中をやわらかく抱きしめた。

「きよはる」

 低い声がささやいた。

「きよはる、もう泣かないで」
「泣いてなんかいませんよ」

 清春はようやく自分が泣いていることに気が付いた。
 香奈子はゆっくりと腕をおろし、自分の身体にしがみついている清春の腕をほどいてやった。

「本気で、好きなひとがいるのね?」

 清春は茫然と腕の中の香奈子を見つめた。香奈子が何を言っているのか、見当もつかない。
 
「今、あなたが付き合っているひとが本当に好きなんでしょう。あなたが気づかないうちに、あなたを全部食い尽くしてしまっているひと」
「そんな人はいませんよ。おれを変えたのは貴女《あなた》だけです」
「認めたくないのね」

 香奈子はふわりと歩いて煙草の箱を取った。
 テーブルの向こう側に回り、椅子に座って清春に煙草の箱を差し出した。

「吸いなさい」

 清春がまるで人形のように煙草を取る。
 口にくわえたジタンに、香奈子が火をつけてくれた。清春は煙草を左手の中指と薬指で挟んで持ち、じりりっと吸い込んだ。

「どんなひとなの?」

 香奈子は自分も煙草をとり、清春と同じように左手の中指と薬指で挟んで吸いつけた。

「あなたのことだから若い女じゃないわね。でもあたしほど年上でもない。そう、三十になる直前かしら?」

 香奈子は歌うように言葉をつづけた。

「仕事ができて頭のいい女でしょう。あなた、昔から頭の悪い人間に我慢がならないから。顔は、特別きれいじゃないかもしれないけれど、どこか人目を惹く感じね」
「……見たようなこと を、言わないでください」

 清春はようやく自分を取り戻して煙草をふかした。香奈子はそんな清春の様子を見て、軽く笑った。
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