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第8章「夏が来りて、歌え」
第79話「子供が、いるはずなんだ」
しおりを挟む清春は、若くて可愛らしい女が苦手だ。
つねにこちらの顔色をうかがい、練習済みの可愛らしさを前面に出してくる女たち。
着飾らせて連れて歩くにはいいかもしれないが、新聞も読まずニュースも見ないので会話が続かない。
一緒にいても、何が楽しいのか清春にはさっぱりわからないのだ。
それに引き換え、仕事をしている女はいい。
自分の仕事にプライドがある女は、恋愛や男のことだけを生活のすべてにしない。
自分の生活を持っていて頭の回転が速く、会話にウィットがある。そしてたいていの働く女は、気配りができてセックスが上手だ。
佐江はおれが女に求めるものをほとんどすべて持っている、と清春はしばらく顔さえみていない恋人のことを考える。佐江には自立心もプライドも頭の良さも、会話のセンスも気配りもある。
セックスは、極上。
足りないのは愛情とロマンスの部分だけだ。
うとうとし始めた清春の耳に、独り言のような末井《すえい》の言葉が聞こえてきた。
「可愛くて、若くて世間知らずならうまくいくと思ったんだがな」
「……結婚のことか?」
「正確には離婚のことだ。井上、お前も聞いているんだろ」
末井はつい最近、三回目の離婚をしたばかりだ。
清春天井を見上げた。コルヌイエホテルの仮眠室は天井がやけに高くて、不安になるほどだ。
「今回は、何が離婚の原因なんだ?」
清春が尋ねた。
「生活がすれ違うからだって言われたよ。そんなの、結婚する前からわかっていたことだろ。理由にならないよ。だから本当の理由はわからない。自分でもまさか三回も失敗するとは思っていなかったよ――今度の離婚はきついよ」
末井はポロリと言った。
「子供が、いるはずなんだ」
「いるはず? どういう意味だ」
「離婚した時、嫁は妊娠三ヶ月だったんだ。おれは子供が欲しいし、産んでくれって言ったんだけどな」
「堕《お》ろしたのか?」
「わからない」
末井は答えた。
「産むか産まないかは自分で決めると言われたよ。たとえ生むとしてもシングルマザーで育てるからいいんだと。なあ、まだ三十もなっていない女にそこまでの覚悟をさせたなんて、おれの何が悪かったんだ。
彼女のことは大事にしていたつもりなんだけどな」
末井が大きなため息をつくのが、聞こえた。
「井上、お前も今の女を大事にしろよ。惚れた女がいなくなった後の家は、ザラザラしていて住めたもんじゃない」
「引っ越せよ、末井」
「気持ちの整理がついたらな。俺、まだどこかで嫁が子供を連れて帰ってくるんじゃないかって気がしているんだ」
帰ってこないものを待ち続けるつらさ。好きだった女がいなくなった後の風景を一人で眺める寂しさ。
清春はどれもよく知っている。
『あのときと同じ傷を背負ったら、お前ぜったいに立ち直れねえぞ』
親友の深沢洋輔《ふかざわようすけ》が放った言葉は、清春が今抱いている危惧とぴったり重なっていた。
洋輔のいうことを聞いておけばよかった、と清春は寝返りを打って考えた。
香奈子がコルヌイエに来るとわかった瞬間に有給を取って、佐江と海外に行ってしまえばよかった。
いつのまにか、隣の末井はかるいいびきをかいて寝入ったようだ。
自分が何に巻き込まれているのか、清春にはよくわからなくなっている。香奈子が引き起こす大きな渦《うず》に飲み込まれてしまったらおしまいだ。
清春は、もう一度寝返りを打った。
この大波を無事にやり過ごせるかどうか、自信がない。
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