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第8章「夏が来りて、歌え」

第65話「泣いて頼まれたら、セックスくらいしかねない」

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 村上の言葉に、清春は自分のスケジュールをチェックしてから答えた。

「この日はスイートでのお食事ですね。わたくしがこちらのお部屋でサーブするのでよければ対応いたします」
「ああよかった。ではお願いいたします。この日、私は銭屋グループの日本支社で打ち合わせがあるんです。ですから、香奈子さまのお食事に同席できないんですけど……香奈子さまは、おひとりでお食事をすることができない方でして」

 そのクセ、あなたよりもおれのほうがよく知っていますよ。
 あやうく村上にそう言いそうになるのを、あわてて飲みこんだ。
 七年前に別れた恋人は、いまだにひとりで食事ができないらしい。

「その日は、スイートルームでのお食事ですね。簡単なサーブでよければ、私が担当いたします」
「ああよかった。では、お願いいたします」

 清春はタブレットを閉じながらひそかに考えた。
 香奈子は、ほかにどんなクセを残しているんだろう。あの豪華な身体の中に、昔の男の記憶は残っているだろうか。


★★★
 翌日、コルヌイエのスタッフ喫煙エリアでその話をしたとき、清春の親友である深沢洋輔《ふかざわようすけ》は一言だけいった。

「そりゃお前がだまされたんだ。あの有能な女性が、自分のスケジュールを熟知してねえはずないだろ。その日はおばさま秘書がいないのを見越していたんだ。お前とふたりになるためにな」

 洋輔はふううっと清春の顔に向けて煙草の煙をはいて毒づいた。

「さすが銭屋さん。やり手だな」
「ゲストに向かってそういう言い方はよせ」

 清春はそう答えてポケットから煙草と金色のライターを取り出した。洋輔は清春をじっと見据えた。

「で、あさっての夜は二人きりか?」
「二人きりと言ったって、プレスイートの中でディナーをサーブするだけだ。スタッフの出入りもある。問題にならないだろう」
「業務上は、な」

 苦々しげに洋輔は付け加えた。

「俺は”倫理的な問題”を言っているんだよ」

 清春は目を丸くして、

「お前から”倫理的”という言葉を聞こうとはな」

 洋輔は短くなった煙草を灰皿に放り込み、

「倫理的って言葉が悪ければ、貞操の危機とでも言ってやるよ。なあキヨ、銭屋さんに丸め込まれて彼女と寝ちまうなよ」
「そんなことするわけないだろう」

 清春はむっとした。洋輔はからかうような目つきで、

「どうだか。おまえは昔から女に対して甘いところがあるからな。泣いて頼まれたら、セックスくらいしてやりかねない」

 清春は煙草を消して立ち上がった。

「バカ。それこそ倫理的な問題だ。滞在中のゲストと寝るかよ」
「へええええ」

 洋輔は冷たい目でじろりと清春を見た。

「コルヌイエに滞在中でなけりゃ寝られるってのか」
「言葉の綾《あや》だろ。なんだよ、やけに突っかかって来るな」
「お前を心配してやってんだよ。親友の言葉は聞いとくもんだ」
「ご忠告には感謝するよ、洋輔。だが心配は無用だ、おれは色恋と仕事は区別している。今までだってコルヌイエで女と寝たことはないよ」

 洋輔はひょいと眉毛を上げただけで、喫煙スペースから出ていった。清春は仮眠室に向かって歩き出す。
 今日から十日間、清春はコルヌイエに泊まり込みだ。
 そして香奈子の客室につくと決まってから、引継ぎや準備に忙殺されて清春はもう一週間も恋人の佐江の顔を見ていない。

 この先まだ十日間も佐江と会えないと思うと、それだけで清春の身体はちりちりとした飢えにさいなまれた。
 鼻先を、ありもしない佐江の香りがかすめる。

 彼女のなめらかなうなじに唇をすべらせて鼻をこすりつけて、エルメスのトワレ”李氏の庭”の匂いをかぎたい。
 佐江の匂いに包まれて、眠りたい。
 今すぐに。


 かなわぬ夢を見ながら、美貌のホテルマンは仮眠室で眠りについた。
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