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第7章「キセキ」
第62話「キセキの期待」
しおりを挟む清春に「嫉妬」という言葉を使われて、佐江は明らかにうろたえた。早すぎるタイミングで
「ばかな。そんなことじゃありません」
と言い返した。
「そんなのじゃありません」
「腹が立ったんだろう? おれが、きみじゃない女と一緒にいたから」
「若くてきれいな女性と、でしょう。言葉は正確に使ってください」
「知らないよ。若くて、きれいな子だったかな」
「……あそこで、あたしと会わなかったらどうなっていました?」
「コルヌイエホテルに行っていたよ。鍵がなかったからな」
「あたしは、鍵の代わりですね」
しんとした声で、佐江はそうつぶやいた。清春は暗い寝室で、思わず笑った。
「バカ言え。こんなにきれいで、男をダメにする合鍵があるかよ」
清春は佐江の身体に手を伸ばす。素肌にふれられた瞬間、佐江がびくりとするのを感じる。
まだ、佐江はためらっている。もう一度清春に抱かれるかどうか。
佐江のためらいを無理に押し切りたくなくて、清春はあきらめたように息をはいた。
だまって佐江から離れ、上着を手に取ってそっと着せてやる。そのまま手を引き、玄関で人を刺し殺せそうなヒールをはかせた。
「今日はもう、帰りなさい。タクシーじゃなくていい。このままおれが、車で送るから」
ほろり、と佐江の目から涙がこぼれた。それをていねいに、清春が長い指で拭きとってやる。
いとおしげに、やさしげに。
どうしても失くしきれない欲情を、爪と肌の間に挟み込んで。
「おれが長い仕事に入る前に、もう一度会えると思う。連絡する」
「男からの連絡を素直に待っているなんて、バカな女がすることだって。真乃《まの》はいつもそう言うわ」
くすっと清春は笑った。それを佐江が見とがめる。
「何がおかしいんです?」
「おれの異母妹は、きみに何を教えているんだろうと思ってね。きみは断じてバカな女じゃない」
「だって、真乃の言うとおりでしょう?」
「おれを、ほかの男と同じだと思うな佐江。きみは、ありとあらゆる意味で、規格外の男と付き合っているんだ」
「……忙しいんでしょう。時間を取れるんですか?」
「忙しいよ」
清春は答えた。
「だが、おれの女に会えないほど忙しいわけじゃない」
「この世界に、“あなたの女”がいるとは思いませんでした」
まだ機嫌の悪い佐江は、そう言い返した。さすがに今度は清春も声を立てて笑った。
「おれも、そんな奇跡は起こらないと思っていたよ」
そっと佐江の手を取ると、清春はその柔らかな手のひらをいとおしげに撫でた。
「だが、期待してみてもいいんじゃないかと、思い始めてきたところだ」
もう一度、キスをする。
最後のキスは清春の思っていた以上に温かく、セックス以上に清春の身体に欲情のタネを埋め込んだ。
佐江が欲しい。身体だけじゃなくて、もっと、ほかのものも。
かつての清春の恋人・銭屋香奈子《ぜにやかなこ》がコルヌイエホテルに投宿するまで、あと四日。
清春が仕事のためにコルヌイエホテルにカンヅメになるまで、あと四日。
もう香奈子のアテンドをしても大丈夫だ、と井上清春は佐江の舌に舌をからめ続けながらそう思った。
愛してる。まぎれもなく。
何が起きても、変わりようもないほどに、ゆるぎなく。
佐江を愛している。
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