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第7章「キセキ」

第61話 「嫉妬した?」

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 清春は玄関でいそがしく靴をはきながら、佐江に短く言った。

「駅前なら、まだ車が拾える。このまま帰りなさい」
「キヨさん」
「悪ふざけは適当に切り上げなけりゃな。きみも明日がある。車が拾えるまで一緒にいるよ」
「キヨさん!」

 佐江はマンションの玄関に立ち尽くしたまま、まだ足には清春のエドワードグリーンの靴をはいたまま、小さく叫んだ。

「……あのひとは、誰だったんです」
「あのひと? なあ、きみいったいどうやっておれの靴をはいて歩けたんだ? サイズが全然違うだろう」
「ハンカチを折りたたんで、かかとに入れました。駅前のコンビニまでですから、何とかなると思ったんです。ねえ、キヨさん」
「靴を脱いでみろ――ほら、無理にはくから、靴ずれができ始めている。痛むだろう、すまなかった」
「靴なんて、どうでもいい!」

 佐江は初めて声を荒《あら》げた。清春は驚いて佐江の足元から彼女を見上げる。
 佐江は怒ったような顔をして、大きく息を吐いていた。
 ライトグレーのスーツに包まれた佐江の肩がふるえている。ほんの一時間ほど前に、清春が唇を当てた場所だ。

 あそこに、と清春は考えた。
 佐江の肩の曲線には、まだ清春の唇のあとは残っているだろうか。
 体温は、切ないような狂奔《きょうほん》するような男の欲情は。
 まだ残っているだろうか。
 清春の視線を受けたまま、佐江は柔らかい唇を開いた。

「あのひと、誰だったんです?」
「誰が……ああ、さっきの女性のことか」

 清春はふたたび佐江の足に目を落として、紅《あか》くなり始めている踵《かかと》をそっとなでた。

「さあ、誰だろう? きみを探している途中で会ったんだ」
「会った? それだけですか」
「そうだよ。ああ、おれのことをホストと間違えていたな。こんな時間に、なぜホストがほっつき歩くと思うんだろうな。ホストなら歌舞伎町《かぶきちょう》で仕事の最中《さいちゅう》の時間じゃないか」

 清春が笑って見上げると、佐江が今度こそ泣きそうな顔つきで清春を見ていた。

「佐江?」
「あの人には車を拾ってあげて、あたしには帰れというんですか」
「なにが……」

 清春が驚いているうちに佐江は靴を脱ぎ、そのまま奥に入っていった。あわてて清春があとを追う。
 佐江は寝室で乱暴にバッグを降ろし、きれいな仕立てのライトグレーのジャケットを脱いでいた。

「佐江」

 と清春が声かけると、佐江は振り返りもせずに自分の髪からヘアピンを引き抜いた。

「キヨさん」
「なんだ」
「さっきの誘いは、まだ有効ですか」

 清春は乱暴に髪からヘアピンを引き抜き続ける佐江を、後ろからそっと抱きかかえた。両手を包んで、ヘアピンをそのままにさせる。

「――有効だよ。きみが望むのなら」

 清春の唇が佐江の耳の曲線をたどり、首筋にいたる。首筋に軽いキスをかさねながら、清春はゆっくりと佐江の髪に残ったヘアピンをはずしていった。
 全部のピンをはずすと、清春は佐江の身体を自分の方へ向かせて小さな顔を手で包み込んだ。

「キヨさん」

 佐江の声に涙の気配が混じる。清春は佐江の目じりにキスをする。

「佐江。きみ、嫉妬した?」

 清春は佐江の顔をのぞき込んだまま、尋ねた。
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