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第7章「キセキ」
第57話「決して清春を裏切ることがない“レディ”」
しおりを挟む井上清春のマンションはオートロックで、いったん出てしまうと鍵がなければ住人でもマンション内に入れない。部屋もオートロックだ。鍵なしでは、部屋にも戻れない。
ついでに言えば、清春はスマホも金も持っていない。何ひとつ持たずに、ただ飛び出してきたからだ。
ふと見ればシャツのボタンすらきちんとはまっていなかった。ひとつずつずれ、ぐしゃぐしゃになっている。
この姿で、深夜一時。
いったいどうしろというのだろうか。
どさっと、清春はマンション前の植栽に座り込んだ。
「馬鹿じゃねえのか、おれは」
のろのろとシャツのボタンをはめ直しながら、それでも、清春の頭猛烈に動きはじめた。
このマンションの合鍵を持っているのは管理会社だけだ。
あとは鍵を預けてある、親友の深沢洋輔。しかしスマホも金もない清春には洋輔に連絡を取る方法もない。
一番手っとりばやいのは、徒歩で行けるところにいる知人に金を借りることだ。しかし清春には自宅付近に知り合いなどいない。
ないない尽くしの中で、清春はため息をついた。
こうなったら最後の手段だ。
いついかなる時でも、決して清春を裏切ることがない“レディ”のところへ行くしかない。
職場であるコルヌイエホテルへ。
清春の住む麻布十番《あざぶじゅうばん》からコルヌイエホテルまでは、徒歩でも一時間くらいで着く。
駅から麻布通りをめざして歩き、麻布通りをひたすら北上して、六本木をぬける。インターコンチホテルのあたりからは、いったん西に向かって赤坂の議員宿舎をめざし、溜池山王《ためいけさんのう》・赤坂見附を経由して青山通りの交差点の前までくれば、もうコルヌイエの三つある宿泊棟のひとつ、ガーデン棟が見えてくる。
あまり外聞の良い話ではないが、コルヌイエならこの格好の清春でも中に入れてくれる。コルヌイエ内に入ってしまえば、ロッカーにダークスーツがあるし金もいくらかあったはずだ。
清春は立ち上がった。
そして環三通《かんさんどお》りを渡ったところで、清春は見知らぬ女性から声をかけられた。
「やだ、キレイな男じゃない。こんな時間に何してんの」
夜遊びの途中の女が清春に興味を持ったようだ。
高いヒールの音を鳴らしてこちらにやってくる。
一晩、泊めてもらうか。
チラッと清春はそう考えた。
考えるうちに女性はどんどん近づいてきた。
身長は百六十センチくらい。二十代の終わりに近い感じで、昼間はふつうに会社で働いているような雰囲気だ。
木曜日の夜、ちょっと夜遊びした帰りだろう。それほど乱れた様子はないが、酔っていることは確かだ。
若い女性は清春に近づくとじっと目を見つめ、
「すごいイケメン。ねえ、モデルか何か?」
目をキラキラさせて見つめてきた。
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