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第4章「女ぎつね オン ザ ラン」

第34話「黙っているべき時に口を閉じておける女」

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 佐江の部屋、リビングに入る前、清春は襟元のボタンを三つはずした。目を閉じて深呼吸をする。
 自分が、後戻りができないことをやろうとしているのは承知の上だ。もう一歩出れば、佐江をだまし自分をだまし続ける嘘の恋が始まってしまう。
 それでもいい、と清春は目を開けた。

 どんなくだらない始まりでも、続けていけばどこかにたどり着けるはずだ。そして清春の望まない未来であろうとも、佐江がきっとどこかに連れて行ってくれる。
 清春自身が、想像もしていなかったような世界へ。

 タオルで髪をこすりながらリビングに入っていくと、妹の真乃(まの)が目を見開いた。こんなに正直に驚く妹を見るのは、何年ぶりだろう。
 清春はいま、真乃にも佐江にも何も言わせたくない。だから真っ先に自分が口を切った。しゃべりだすことで、この場を支配したい。

「佐江、シャンプーがもうなくなる、買っておいてくれよ。あ、来ていたのか、真乃」

 清春はいかにも慣れた様子でリビングを突っ切り、キッチンの冷蔵庫を開けた。そのなめらかな動きに、佐江もあっけにとられている。
 何も言わずに冷蔵庫からビールを取り出し、ちらりと佐江を見た。
 今は何も言わず、黙っていろ、と目で伝えた。

 りこうな佐江は、清春の意図は分からないながらも、賢明にも口をつぐんでいた。ふと、親友の洋輔が言ったことが思い出される。

『あれは、黙っているべき時に口を閉じておける女だ』

 洋輔のやつ、見ていないようで佐江をよく見ていたな。ちくりとした痛みが、清春を襲う。
 まさか。自分が親友相手に嫉妬する日がくるとは。

 ビール缶を開けると一気に流し込んだ。そして、ふう、と満足げに息を吐いた。

「……キヨちゃん、なにしているの?」

 茫然としたままの真乃が、かろうじてそういった。清春はビールの続きを飲みながら、

「なにって、おれは夜勤明けなんだよ」
「それは知ってる。つまり、キヨちゃんは夜勤明けに佐江の部屋に来る、そういう仲なの?」
「おれの妹ながら、無粋な事を言うねえ」

 軽く顔をしかめて、真乃をみた。真乃は少し怒ったような声で兄に詰め寄った。

「佐江と付き合っているって、なんで言わないのよ?」
「おまえの身体が、落ち着いたら言おうと思っていたんだよ。なあ、佐江?」

 佐江、と呼ばれてはじめてこちらを見た佐江は、軽く非難するような目で清春を見た。真乃の方を向きなおり、こちらにはとろけるような優しい視線で口を開いた。

「——真乃、あのね」

 ごくっと、清春は唾をのんだ。
 佐江は一体、真乃に何を言うつもりだろう。

 まさか。
 コンノードホテルで起きた真実を、うち開けてしまうつもりか?
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