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第1章「ロンリーカナリア」
第5話「この女とは、距離を取ったほうがいい。気が狂いそうだが」
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清春は品のよい仕立てのダークスーツ包んだ肩をすくめ、目の前の岡本佐江に答えた。
「ああ、きみが正直に話してくれれば、おれは、きみの味方見方になる。でも誤解しないでくれよ。きみの味方=真乃(まの)の味方じゃないからね」
「あたしにとっては、同じことです。あたしはいつだって真乃の味方ですから」
いつだって、100%、誰かの味方。
これほど真摯な愛情がこの世にあるとは、清春には信じがたかった。
清春はちらりと自分のつきあってきた女たちの顔を思い出す。それから女たちの顔と人数が合致しないのに気が付いて、うろたえた。
おれは、これまで抱いてきた女の数さえ覚えていない。
自分の寒々しさを突きつけられて、清春は不機嫌な顔になった。その清春に佐江は爆弾を落とす。
「真乃は、妊娠していますよ」
えっ、とさすがに清春も耳を疑った。佐江はくっきりした二重まぶたの視線を清春に据えて、淡々と言った。
「あなたの妹は、妊娠しているんです。きっと産みますよ。産むかどうかわからないと言っていましたけれど、あれはもう、産む気でしょう」
「……父親は、洋輔か」
脳裏に、親友である深沢洋輔(ふかざわようすけ)の色気したたる姿が浮かんだ。清春はきちんと整えた髪の毛にほっそりした長い指先を突っ込んだ。
——くそ、洋輔め。真乃を妊娠させるとは、いったい、何を考えている?
洋輔が避妊もしないで女を抱くとは、子供のころからの親友である清春には考えがたい。
何かある。何か、裏があるのではないだろうか?
眉をひそめて考え込む清春に、岡本佐江のおだやかな声が聞こえた。
「キヨさん、真乃を助けてください。あたしは真乃のためならどんなことでも、やります」
清春はちょっと唇をゆがめて笑った。
「佐江ちゃん、きみはおれを信用しすぎている。
だが、おれはきみの味方だ。きみが真乃を助けてくれと頼むなら、おれも手を尽くすよ」
佐江はにこりと笑った。
「信じます。キヨさんはいつだって、真乃を助けてくれましたから。今度も、きっと」
安心したような、何かを清春に預けきったような笑顔が、また清春のにごった欲情に火をつける。
火のついていない煙草をくわえて、考える。
『この女とは距離を取ったほうがいい。これまでどおりに』
そう思った次の瞬間、清春の耳に引潮のような音がみちあふれた。
これまで通りの距離をとれるか?
佐江と、明るい路上でキスをした後に。
甘やかな香りに、凶暴な渇きを惹起された後なのに。
「では、これで失礼いたします」
佐江は軽く頭を下げると、完璧な角度でスプリングコートの裾をひるがえし、去っていった。
清春は遠ざかってゆくほっそりした背中を食い入るように見つめる。
――むりだ。あのキスを、なかった事にはできない。
おさえこみ続けた恋情が、もう、こぼれ落ち始めている。
一瞬だけきつく目を閉じ、シルバーフレームの眼鏡をはずすとため息をついた。
これから、ろくでもない事を尋ねに、ろくでもない親友を急襲せねばならない。
清春は時計を見た。
午前11時。
老舗ホテル、コルヌイエのメインバーを仕切っている男をたたき起こすには、最適な時間だ。
電話をかける。
相手が出たとたん、清春は冷静な声で言った。
「15分で、そっちに行く。鍵を開けとけよ」
『そんな色っぽい提案、てめえからは聞きたかねえよ』
くくくっ、と深沢洋輔の艶めいたバリトンが耳に入ってきた瞬間、清春はもう、スマホを切ってダークスーツの胸ポケットに放り込んだ。
……半殺しにしてやる、あのバカ。おれの異母妹を、妊娠させるとは――。
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