1 / 153
第1章「ロンリーカナリア」
第1話 男を狂わす 唇
しおりを挟む(Oliver PetersによるPixabayからの画像)
この世には、男をくるわす唇がある。井上清春(いのうえきよはる)にとっては、岡本佐江(おかもとさえ)の唇が、それだ。
今、清春の前には、まさに岡本佐江の唇がある。佐江は、目を丸くして清春を見返している。
「……あ」
清春のまわりに、一気に肌寒い朝の雑踏がよみがえった。
清春の異母妹に絶望的な恋をしている女の瞳が、驚きと、かすかな欲情をまじえて清春を見ていた。
春あさい午前11時。
ひとの行き交う路上で、井上清春は岡本佐江に恋をした。
くるうような、恋だ。
★★★
コルヌイエホテルは、創業して50年になる。
井上清春は、朝九時のメインロビーにホテルマンらしいまっすぐの姿勢のまま立っていた。
百八十五センチの長身をダークスーツに包み、さりげなくロビーを見る。さらにロビーの奥にあるカフェを見て、かすかに顔をしかめる。
ぐいっと長い指でシルバーフレームの眼鏡を押し上げた。
カフェには、清春の異母妹である渡部真乃《わたべまの》が一人で座っている。ゆるくカールさせた髪をゆるくアップにした真乃は、どこにいてもめだつ。小柄だが全身から生命力と華やかさを発散させているからだ。
しかし今日の真乃はくすんで見えた。
「――病気か?」
清春がつぶやいたとき、コルヌイエホテルのシックなメインロビーをあざやかな影が横ぎった。匂いたつような品の良さと、それを裏切る熱量を持つ熱帯の蝶のような影。
蝶は足早にロビーを歩いて、真乃のいるカフェに入っていった。そのまま真乃の前に座る。背中を向けている女のうなじが、清春の目に染みた。
「……佐江ちゃんか。真乃が呼んだな」
だとしたら真乃の顔色が良くないのも、恋人と暮らす部屋に戻らずコルヌイエホテルに泊まっている理由も、きっと彼女に聞けばわかるだろう。
清春の両手がキーボードの上ですばやく動いた。チェックアウト作業をどんどん片付けていく。優美にカウンターを出たところで、声をかけられた。
「あのう。すいません、宿泊を延長したいんですが。今夜も同じ部屋に泊まれますか?」
振り返るとまだ若い女性ゲスト2人が清春を見ていた。話しかけようと、タイミングを狙っていたらしい。清春は瞬時におだやかな表情を作った。
「もちろんでございます。お部屋のご予約状況を確認いたしましょう。どうぞ、こちらへ」
洗練された身動きでレセプションカウンターに戻りながら、清春の右手はじりじりとこぶしを作った。
なんとしても、岡本佐江を捕まえねば。
これ以上、異母妹のわがままに振り回されるわけにいかない。
岡本佐江を捕まえたい。彼女は真乃の親友だ。真乃を愛して、真乃のためなら何でもする女だ。
そして清春は――異母妹を愛している佐江を、愛している。
とん、と最後のキーボードを打ち終わった清春は、急いでいるように見えないギリギリのスピードでカフェに向かった。
0
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
今日の授業は保健体育
にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり)
僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。
その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。
ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
マッサージ
えぼりゅういち
恋愛
いつからか疎遠になっていた女友達が、ある日突然僕の家にやってきた。
背中のマッサージをするように言われ、大人しく従うものの、しばらく見ないうちにすっかり成長していたからだに触れて、興奮が止まらなくなってしまう。
僕たちはただの友達……。そう思いながらも、彼女の身体の感触が、冷静になることを許さない。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる