生き須玉の色は恋の色

せりもも

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第四章 深夜の羅城門

32 没落の原因

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 不意に、菅公が、警告を発した。
「気をつけろ、沙醐。アラマサが、漂の君の周りをうろついているぞ」
「アラマサ……暁雅どのが!」

 蛍邸で暴れていたあの男である。
 師直の烏帽子を取り、辱めを与えようとした……。

「あの方は、漂の君が、お好きなのですか?」

 覚えず、沙醐は、口にしていた。
 菅公は、怪訝そうに首を傾げた。

「なぜそう思う?」
「だって、彼女に付け文したと言って、師直様を責めていらっしゃいましたから」
「そんなことがあったのか」

 菅公は、眉間に皺を寄せた。
 青鬼の体をした雷神がこれをすると、ひどく恐ろし気に見える。

 菅公は、ため息を吐いた。

「もう少し話を聞く気があるか、沙醐」
「もちろんです」

 アラマサが、漂の君の周りをうろついていると聞いて、はいそうですかと、済ませるわけにはいかない。


 雷神が、ぽんと、手を叩いた。
 どこからともなく、小鬼が現れた。手に盆を捧げ持っている。見ると、熱いお茶が入った器が乗っていた。

「熱っつっ!」
手渡された椀を、思わず、沙醐はひっくり返しそうになた。

「ああ、これ、気をつけよ。地獄の窯で沸かした湯を使っておる。なかなか冷めぬぞよ」

「地獄の窯の火ですって?」
そんなのを飲んで、大丈夫だろうか。

 菅公は、平然と、濃い緑の茶を、啜っている。つられて、沙醐も、恐る恐る、口にしてみた。芳醇な風味が、口いっぱいに広がる。

 ほう、と、菅公は、満足げな吐息を吐いた。


「沙醐。お前は、暁家と影家の関係は、知っておるか?」
「そもそも、暁と影の当主は、兄弟同士なんでしょ?」

「そうじゃ。本当なら、長男のあかつき ふひとが、父の後を継いで、関白になるはずじゃった。次の帝の。ところが、肝心の華海親王が即位を拒否し、出家してしまってな」
「華海親王……次の帝になる筈の人が、出家?」

沙醐が驚くと、菅公は頷いた。

「そうじゃ。だか、問題はこれからじゃ。華海親王が出家すると、すぐさま、暁家当主・暁史は、自分の娘を、弟の一畝親王に差し出した。もちろん、弟筋の影家も」
「変わり身、早っ! じゃ、なぜ、暁家は、没落したんです?」

「それはな。暁史が、恐れ多くも華海親王に向かい、矢を射たからじゃ。もう、二十年も前になる」

 暁史は、アラマサこと、暁雅の父親だ。
 思わず、沙醐はつぶやいた。

「親王に向かって、矢を? だって、出家した華海親王は、用済みのはずでしょ? だったら、ほっとけばいいじゃないですか。なぜ、暁史は、親王に、矢を射かけたりしたんです?」

「女じゃ」
「えっ?」
「華海親王が、暁史の女を寝取ろうとしたからじゃ」
「もしかして、その『女』って?」

「いいや」
菅公は首を横に振った。
「漂の君の母ではない。それとは、じゃ。確か、池の女君とか言ったか。ところが、池の女君には、先に、暁史が、通っておったのじゃ」
「それでは……」

「ふむ。知らぬことだったらしいが、結果として、華海親王は、暁史の女を横取りした形になるな」
「単純に、その、池の女君が、二股を架けたというだけなのでは……」
「ま、ちょっとばかりユルイ女であったことは、間違いないな、池の女君は」

 菅公は、渋い顔になった。

「じゃが、華海親王自身も、大変な女好きでの。あれはもう、病気じゃな。弟の一畝親王の方が、人気があった。だから、華海親王が自発的に出家され、一畝親王が即位されて、みな、ほっとしたものじゃ」
「そこまで人気がなかったんですか」

 即位しなくてよかったではないかと、沙醐は思った。
 まるで思い出話でもするように。菅公は、続ける。

「華海親王へ矢を射かけたのは、暁の従者じゃった。あるじの女……池の女君を寝取った親王に対し、ほんの脅かすつもりだったらしい。ところが、親王の袖を射てしまってな。もう、大騒ぎよ。親王、暁家の従者どもが、入り乱れての大乱闘に発展してしまった」
「それが原因で……」

「うむ。暁史は、一時的にだが、京から所払い、暁家は没落した」
菅公は頷いた。

「はあああああ……」
沙醐は、深いため息をついた。


 今の関白は、アラマサこと暁雅の、叔父・かげおさむだ。だが、世が世なら、暁雅の父・暁史が、そしていずれは、暁雅自身が関白となったはず。

 暁雅が、荒れ狂うのも、無理はない。
 しかも、暁家没落の原因が、父親と華海親王の女の取り合いだったなんて。


「なんか、いろいろ、残念ですね」
「沙醐の言う通りじゃ。じゃが……」

 言いかけて、菅公は、口を鎖した。
 無言の時間が続く。雷神が固まってしまったのかと、沙醐が心配になった頃、何もなかったかのように口を開いた。

「父・暁史が亡くなってからというもの、暁雅を諫める者もいなくなってしまった。まあ、諸悪の根源は、父の暁史だったわけだが。息子の方は、父親ほどの悪さはしておらぬ。まだ」

 「まだ」という言葉に、菅公は、力を込めた。まるで、アラマサが、これから何かやらかすのを、期待しているようだ。

「アラマサと言われているが、暁雅は、あれで、前関白の御曹司よ。じゃが、政権は、叔父の影道に移ってしまった。影道の子ら、即ち、従兄弟たちの昇進とはうらはらに、アラマサには、全く出世のメがない」

「その、アラマサが、なぜ、漂の君に付け文した師直殿にイジワル……あっ!」
思わず、沙醐は叫んだ。


 漂の君は、華海親王の忘れ形見だ。非があるのは、アラマサの父だが、すべての原因が、華海親王であることは、間違いない。
 というか、親王の女好きに。


「そういうことだ」
菅公が頷いた。
「華海親王はすでに亡くなっておる。彼の上の娘は、皇族として育てられている。うかつに手が出せない。……アラマサが仕返しできるのは、漂の君しかおらぬ」

 確かに、彼女に思いを寄せる男……師直……を撃退するのは、この上もない腹いせになるだろう。


 菅公は、首を傾げた。

「しかし、これくらいのことは、カワや迦具夜なら、知っておろうに。わざわざわしのところに、聞きに来ぬとも」
「それは……」

 実は、迦具夜姫が、教えてくれようとしたのだ。それを……。


 ……「ほう。ヌシは、そんな昔のことを知っておるのか? 妾は知らぬのう」
しゃらりと、カワ姫が言ってのけた。
 ……「今上帝の即位前のごたごたを知っておるとは、ヌシは、相当のトシなのだな。若ぶってはおるが」

 ぴしゃり。
 迦具夜姫の心の扉が、まさに閉ざされた音が、沙醐には聞こえた。

 ……「私だって知らないわ! 菅公にでもお聞きなさいよ!」


「こちらにも、いろいろと、確執がございまして」
「ああ?」

 なんだかよくわからない、という顔を、菅公はした。






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