生き須玉の色は恋の色

せりもも

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第三章 月からの使者

29 荒ぶる貴公子

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 くりやで気絶していた百合根が息を吹き返すと、宴会が始まった。
 大量の酒がふるまわれ、笛や琴が、かしましく鳴り響いた。

 ざわざわというざわめきの中、しかし、平穏だったのは、初めのうちだけだった。
 たちまちのうち、客たちは酔漢と化し、あちこちで、目もあてられないような乱れた光景が繰り広げられた。

 コンパニオンとして連れ込まれた女房に言い寄るなんてのは、まだ、かわいいうちである。
 悪口雑言をわめきたてる者、蔀を押し倒して暴れまわる者、四股を踏み、家具調度を壊す者たち……。中には、取っ組み合いの大立ちまわりを演じる者もいた。

 これが、平安貴族というものか?
 動きやすい衣裳から、紅葉襲に着替えて出てきた沙醐は、あきれ果てて、乱れに乱れた宴席を見回した。

 ……いやだ。私ったら、何を期待していたのだろう。
 少なくともそこには、沙醐の求めるような理想の貴公子などいなかったのである。

 宴の主役、迦具夜姫は、といえば、竹取の翁の面前に据えられ、なにやら説教されている。
 きっと、早く良い男を見つけよ、と、くどくどと申し渡されているのであろう。

 ……人間を不幸にして救うとは、どういうことだろう。
 沙醐は、さきほどの天人との会話について、姫に教えて欲しいと思ったが、これでは、割り込む隙がありそうもない。

 それにしても、竹取の爺さまも、迦具夜姫を自由にして、参加している貴公子たちに機会を与えてあげればいいものを。
 せっかくのお見合いパーティーを、親自らが握りつぶしているようなものである。

 ……もしかしたら、迦具夜姫の親様は、娘の結婚の邪魔をしたいのかも。
 ふと、沙醐は思った。

 いざ、娘が、結婚、とか、お見合い、とかいうと、急に寂しくなるのだろう。
 翁と迦具夜姫は、激しく何かを言い争いながら、居所へと引き上げていった。






 その時、広間の一角で、大声がした。
「少将の分際で、恐れ多くも皇族の姫に付け文をするとは、なんたる傲慢!」

 ……少将?
 その身分の者を、沙醐は、一人知っている。

「い、い、い、いや、麻呂は、ふられましたゆえ……」
聞き覚えのある震え声が聞こえた。

「ふられた? 当たり前じゃ!」
怒り心頭に発した声。

「ひっ!」
悲鳴に近い声が聞こえる。どうやら、襟首を捕まれたようだ。


 すでに、人が集まりかけている。
 果たして、人垣の間から、橘師直の姿見えた。

 ……漂の君に和歌を贈った件だ!

 すぐに、沙醐には、察しがついた。
 漂の君は、今上帝の兄君の娘だ。なぜか、女房勤めなどをしているが、確かに、皇族の姫だ。

 ……そういえば。
 時折、気になっていたのだが。

 ……なぜ、皇族の姫であるにも関わらず、漂の君は、お勤めに?
 それも、皇太后のところに。


 だが、今は、それどころではない。
 生霊になるほど漂の君に恋焦がれた……そしてふられた……師直が、自分よりはるかに体格のいい男に、襟首をつかまれ、ぐいぐい、揺すられている。
 頭に乗せた烏帽子が、今にも、ずれ落ちそうだ。

「烏帽子は……烏帽子を取るのだけは、どうか、ご勘弁……」
「ならぬ! 漂の君に付け文などした罰じゃ!」

 ……やっぱり。
 漂の君との一件だ。

 男は、力を緩めようとしない。恐怖のあまり、無抵抗になった師直の体を、なおもゆさぶり続ける。
 人前で烏帽子を取ることは、袴を脱ぐも同じことだ。
 貴族にとって、大変な恥辱である。

 慌てて救助に向かおうとした沙醐の裾を、誰かが踏んづけた。
「うわっ!」

 思わず、たたらを踏んで、危ないところで踏みとどまった。
 一睡だった。首を横に振っている。

「沙醐には無理だ」
「無理なものですか!」

 沙醐は、袖をまくりあげてた。
 学問芸術はまるでダメだが、武芸の腕には、自信がある。

「止めとけ。奴が、アラマサだ」

 その噂は、沙醐も聞いていた。
 ぶる御曹司、あかつきまさし、即ち、アラマサ。

 前の関白の息子だ。

 ただし、氏として「暁」を用いる暁家あかつき けは、すでに没落している。今は、暁家の弟筋の、「影」家が、関白家となっている。それでも、目の前の暁雅が、押しも押されぬ貴公子であることに、変わりはない。
 ……折り紙付きの、乱暴な。


「ですが、師直様が……」

 烏帽子は、今にも、頭から落ちそうだ。
 このままでは、師直は、人前で下半身素っ裸となるに等しい。
 一睡が、首を横に振った。

「いくらお前でも、アラマサでは、相手が悪すぎる」
「貴族の御曹司なぞ、簡単に自信があります!」

「まあ、そうだろうな」
あっさりと一睡は言った。
「じゃが、後が怖い。あいつら、徒党を組んでおるからの」


 アラマサの悪い噂は、都で知らぬ者はない。
 関白の子息として、甘やかされて育った彼は、父親の失脚と共に、失意の人となった。

 従者を使っての乱暴狼藉、また、自身も、衆人環座の中、派手な暴力沙汰を起こしている。
 二条通りの外れ、暁家の邸宅のある辺りは、日が暮れてからは、通れないという。
 宏大な邸宅の敷地の、あちこちから、石が飛んでくるからだ。


「ですが、師直殿に、人前で、下穿きを脱がすような真似は、させられません」
「沙醐……」

一睡は、戸惑ったようだった。
「お前、もしかして、師直殿のこと……」

「見苦しいでしょう!」
叫んで、沙醐は、一睡を振り切った。

 人の不幸は蜜の味とばかり集まってきた人々を押しのけ、輪の中央へと走りこむ。







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