40 / 64
1
両肩に掛けられた手
しおりを挟む
「シグモント! 帰ってきたんだね。よかった!」
「ただいま、シュテファン。まだ起きていたの?」
シュテファンは、大家の婆さんの孫だ。俺とそう年齢が変わらない。
「俺を年寄り扱いするなよ? そうそう早寝してたまるか。夜はいつも、君のことを思って遅くまで起きているのだ」
そう言ってシュテファンは胸を張った。要するに、夜更かしの言い訳だ。大家の婆さんは、ランプの油代がもったいないから、孫の夜更かしをひどく嫌っている。
「そんなことより、シグモント、無事でよかった。今まで一体どこへ行ってたんだい?」
「ちょっと仕事」
嘘ではない。俺は除霊の仕事でエシェク村へ行って、それから……。
シュテファンが俺の背後に目を走らせた。そこには、隠隠滅滅とした気配を漂わせ、トラドが立っていた。
シュテファンが俺の耳に口を寄せた。
「彼は誰だい? 随分陰気な人だね。陰気っていうより、もういっそ化け物じみているというか……」
「怖がらせてしまってすみません」
内緒話のつもりがしっかり聞かれてしまい、シュテファンは飛び上がった。
「この人は、トラドさん。僕をここまで送ってきてくれたんだ」
俺が紹介すると、暗く陰気にトラドは頭を下げた。
「それでは私はここで」
馬車に戻ろうとする。
「いやいや。もう夜遅いでしょ。泊まっていきなさいよ。空いてる部屋を用意するから」
シュテファンが引き留めた。
「いえ、私は夜の移動の方が楽なのです」
「けれど、王都は治安が悪くなってますよ。賊や盗っ人にでも襲われたら大変だ」
「平気です。返り討ちにしますから」
無表情でトラドが言い、シュテファンはたじたじと後じさった。
トラドが送ってくれると言った時、正直、俺は怖かった。だって、ヴァーツァに捨てられたら、トラドに襲われるのだから。
彼と同じ馬車に乗せられ、道中、気が気ではなかった。けれどトラドは、一度も俺を襲おうとしなかった。それどころか礼儀正しく御者台に座っていて、客車の方には全く顔を出さなかった。
今も、俺を長屋に送り届けるや、即座に屋敷へ戻ろうとしている。
シュテファンが大あくびをしながら、別棟にある自分の家に帰っていくのが見えた。
「トラド。君は俺を吸血鬼にするんじゃなかったの?」
御者台へ登ったトラドに近づき、小声で尋ねた。
「ええ、その時が参りましたなら」
御者台から、トラドの気の滅入るような暗い声が降ってくる。
「今が、その時なのでは?」
重ねて問う。だって俺は、ヴァーツァに追い出された。
憂鬱そうな声が返ってきた。
「何をおっしゃいますやら。シグモント様は依然、ご主人様のものでいらっしゃいます。トラドには、貴方様の両肩に、ご主人様の手が掛かっているのが見えます」
「怖っ!」
思わず自分の両肩を確認してしまった。もちろんそこに、ヴァーツァの手なんか、見当たらない。
というか、ヴァーツァは俺を追い払った。それはもう、完全に。
そもそも二人の間には何もなかったのだけれど。
けど、それは何の慰めにもならない。
「比喩でございます。私は、強引に貴方を仲間に引きずり込んで、ご主人様の不興を買いたくありません。そんな恐ろしいこと……ゾンビ共にも叱られます」
ゾンビというのは、カルダンヌ家の使用人たちのことだ。
「彼らが平和に暮らせるのは、貴方様がいらっしゃるからこそ。カルダンヌ公爵の御心を鎮めるのは、シグモント様にしかできません。それなのに、公爵様の手から貴方を奪い取るなど、一介の吸血鬼にできるわけがありません」
謎のような言葉を残すと、トラドは馬に鞭を宛てた。
「それでは、また、シグモント様。いずれ私と同じ命を生きられますよう、どうか神にお祈りを捧げておいてください」
「神だって?」
なぜここに神が? というか、吸血鬼が神に祈れ、だって?
「わたくしが祈ると嫌がられますから」
「君は、他力本願の権化だね」
俺の皮肉が聞こえたかどうか。不意に、トラドがみじろぎをした。
「そうだ。さっきの彼にご注意ください」
「さっきの彼? シュテファンのこと?」
「はい。それと、もう一方、王都警備軍の詰め所にいらっしゃる方にも」
誰だそれは? もしかして、ジョアン?
「それ、どういう……」
俺の言葉はトラドには届かなかったようだ。彼を乗せた馬車は、あっという間に、夜の闇に紛れて行った。
「ただいま、シュテファン。まだ起きていたの?」
シュテファンは、大家の婆さんの孫だ。俺とそう年齢が変わらない。
「俺を年寄り扱いするなよ? そうそう早寝してたまるか。夜はいつも、君のことを思って遅くまで起きているのだ」
そう言ってシュテファンは胸を張った。要するに、夜更かしの言い訳だ。大家の婆さんは、ランプの油代がもったいないから、孫の夜更かしをひどく嫌っている。
「そんなことより、シグモント、無事でよかった。今まで一体どこへ行ってたんだい?」
「ちょっと仕事」
嘘ではない。俺は除霊の仕事でエシェク村へ行って、それから……。
シュテファンが俺の背後に目を走らせた。そこには、隠隠滅滅とした気配を漂わせ、トラドが立っていた。
シュテファンが俺の耳に口を寄せた。
「彼は誰だい? 随分陰気な人だね。陰気っていうより、もういっそ化け物じみているというか……」
「怖がらせてしまってすみません」
内緒話のつもりがしっかり聞かれてしまい、シュテファンは飛び上がった。
「この人は、トラドさん。僕をここまで送ってきてくれたんだ」
俺が紹介すると、暗く陰気にトラドは頭を下げた。
「それでは私はここで」
馬車に戻ろうとする。
「いやいや。もう夜遅いでしょ。泊まっていきなさいよ。空いてる部屋を用意するから」
シュテファンが引き留めた。
「いえ、私は夜の移動の方が楽なのです」
「けれど、王都は治安が悪くなってますよ。賊や盗っ人にでも襲われたら大変だ」
「平気です。返り討ちにしますから」
無表情でトラドが言い、シュテファンはたじたじと後じさった。
トラドが送ってくれると言った時、正直、俺は怖かった。だって、ヴァーツァに捨てられたら、トラドに襲われるのだから。
彼と同じ馬車に乗せられ、道中、気が気ではなかった。けれどトラドは、一度も俺を襲おうとしなかった。それどころか礼儀正しく御者台に座っていて、客車の方には全く顔を出さなかった。
今も、俺を長屋に送り届けるや、即座に屋敷へ戻ろうとしている。
シュテファンが大あくびをしながら、別棟にある自分の家に帰っていくのが見えた。
「トラド。君は俺を吸血鬼にするんじゃなかったの?」
御者台へ登ったトラドに近づき、小声で尋ねた。
「ええ、その時が参りましたなら」
御者台から、トラドの気の滅入るような暗い声が降ってくる。
「今が、その時なのでは?」
重ねて問う。だって俺は、ヴァーツァに追い出された。
憂鬱そうな声が返ってきた。
「何をおっしゃいますやら。シグモント様は依然、ご主人様のものでいらっしゃいます。トラドには、貴方様の両肩に、ご主人様の手が掛かっているのが見えます」
「怖っ!」
思わず自分の両肩を確認してしまった。もちろんそこに、ヴァーツァの手なんか、見当たらない。
というか、ヴァーツァは俺を追い払った。それはもう、完全に。
そもそも二人の間には何もなかったのだけれど。
けど、それは何の慰めにもならない。
「比喩でございます。私は、強引に貴方を仲間に引きずり込んで、ご主人様の不興を買いたくありません。そんな恐ろしいこと……ゾンビ共にも叱られます」
ゾンビというのは、カルダンヌ家の使用人たちのことだ。
「彼らが平和に暮らせるのは、貴方様がいらっしゃるからこそ。カルダンヌ公爵の御心を鎮めるのは、シグモント様にしかできません。それなのに、公爵様の手から貴方を奪い取るなど、一介の吸血鬼にできるわけがありません」
謎のような言葉を残すと、トラドは馬に鞭を宛てた。
「それでは、また、シグモント様。いずれ私と同じ命を生きられますよう、どうか神にお祈りを捧げておいてください」
「神だって?」
なぜここに神が? というか、吸血鬼が神に祈れ、だって?
「わたくしが祈ると嫌がられますから」
「君は、他力本願の権化だね」
俺の皮肉が聞こえたかどうか。不意に、トラドがみじろぎをした。
「そうだ。さっきの彼にご注意ください」
「さっきの彼? シュテファンのこと?」
「はい。それと、もう一方、王都警備軍の詰め所にいらっしゃる方にも」
誰だそれは? もしかして、ジョアン?
「それ、どういう……」
俺の言葉はトラドには届かなかったようだ。彼を乗せた馬車は、あっという間に、夜の闇に紛れて行った。
0
お気に入りに追加
73
あなたにおすすめの小説
推しの完璧超人お兄様になっちゃった
紫 もくれん
BL
『君の心臓にたどりつけたら』というゲーム。体が弱くて一生の大半をベットの上で過ごした僕が命を賭けてやり込んだゲーム。
そのクラウス・フォン・シルヴェスターという推しの大好きな完璧超人兄貴に成り代わってしまった。
ずっと好きで好きでたまらなかった推し。その推しに好かれるためならなんだってできるよ。
そんなBLゲーム世界で生きる僕のお話。
ヒロイン不在の異世界ハーレム
藤雪たすく
BL
男にからまれていた女の子を助けに入っただけなのに……手違いで異世界へ飛ばされてしまった。
神様からの謝罪のスキルは別の勇者へ授けた後の残り物。
飛ばされたのは神がいなくなった混沌の世界。
ハーレムもチート無双も期待薄な世界で俺は幸せを掴めるのか?
やめて抱っこしないで!過保護なメンズに囲まれる!?〜異世界転生した俺は死にそうな最弱プリンスだけど最強冒険者〜
ゆきぶた
BL
異世界転生したからハーレムだ!と、思ったら男のハーレムが出来上がるBLです。主人公総受ですがエロなしのギャグ寄りです。
短編用に登場人物紹介を追加します。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
あらすじ
前世を思い出した第5王子のイルレイン(通称イル)はある日、謎の呪いで倒れてしまう。
20歳までに死ぬと言われたイルは禁呪に手を出し、呪いを解く素材を集めるため、セイと名乗り冒険者になる。
そして気がつけば、最強の冒険者の一人になっていた。
普段は病弱ながらも執事(スライム)に甘やかされ、冒険者として仲間達に甘やかされ、たまに兄達にも甘やかされる。
そして思ったハーレムとは違うハーレムを作りつつも、最強冒険者なのにいつも抱っこされてしまうイルは、自分の呪いを解くことが出来るのか??
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
お相手は人外(人型スライム)、冒険者(鍛冶屋)、錬金術師、兄王子達など。なにより皆、過保護です。
前半はギャグ多め、後半は恋愛思考が始まりラストはシリアスになります。
文章能力が低いので読みにくかったらすみません。
※一瞬でもhotランキング10位まで行けたのは皆様のおかげでございます。お気に入り1000嬉しいです。ありがとうございました!
本編は完結しましたが、暫く不定期ですがオマケを更新します!
悪の皇帝候補に転生したぼくは、ワルワルおにいちゃまとスイーツに囲まれたい!
野良猫のらん
BL
極道の跡継ぎだった男は、金髪碧眼の第二王子リュカに転生した。御年四歳の幼児だ。幼児に転生したならばすることなんて一つしかない、それは好きなだけスイーツを食べること! しかし、転生先はスイーツのない世界だった。そこでリュカは兄のシルヴェストルやイケオジなオベロン先生、商人のカミーユやクーデレ騎士のアランをたぶらかして……もとい可愛くお願いして、あの手この手でスイーツを作ってもらうことにした! スイーツ大好きショタの甘々な総愛されライフ!
【完】ゲームの世界で美人すぎる兄が狙われているが
咲
BL
俺には大好きな兄がいる。3つ年上の高校生の兄。美人で優しいけどおっちょこちょいな可愛い兄だ。
ある日、そんな兄に話題のゲームを進めるとありえない事が起こった。
「あれ?ここってまさか……ゲームの中!?」
モンスターが闊歩する森の中で出会った警備隊に保護されたが、そいつは兄を狙っていたようで………?
重度のブラコン弟が兄を守ろうとしたり、壊れたブラコンの兄が一線越えちゃったりします。高確率でえろです。
※近親相姦です。バッチリ血の繋がった兄弟です。
※第三者×兄(弟)描写があります。
※ヤンデレの闇属性でビッチです。
※兄の方が優位です。
※男性向けの表現を含みます。
※左右非固定なのでコロコロ変わります。固定厨の方は推奨しません。
お気に入り登録、感想などはお気軽にしていただけると嬉しいです!
ようこそ異世界縁結び結婚相談所~神様が導く運命の出会い~
てんつぶ
BL
「異世界……縁結び結婚相談所?」
仕事帰りに力なく見上げたそこには、そんなおかしな看板が出ていた。
フラフラと中に入ると、そこにいた自称「神様」が俺を運命の相手がいるという異世界へと飛ばしたのだ。
銀髪のテイルと赤毛のシヴァン。
愛を司るという神様は、世界を超えた先にある運命の相手と出会わせる。
それにより神の力が高まるのだという。そして彼らの目的の先にあるものは――。
オムニバス形式で進む物語。六組のカップルと神様たちのお話です。
イラスト:imooo様
【二日に一回0時更新】
手元のデータは完結済みです。
・・・・・・・・・・・・・・
※以下、各CPのネタバレあらすじです
①竜人✕社畜
異世界へと飛ばされた先では奴隷商人に捕まって――?
②魔人✕学生
日本のようで日本と違う、魔物と魔人が現われるようになった世界で、平凡な「僕」がアイドルにならないと死ぬ!?
③王子・魔王✕平凡学生
召喚された先では王子サマに愛される。魔王を倒すべく王子と旅をするけれど、愛されている喜びと一緒にどこか心に穴が開いているのは何故――? 総愛されの3P。
④獣人✕社会人 案内された世界にいたのは、ぐうたら亭主の見本のようなライオン獣人のレイ。顔が獣だけど身体は人間と同じ。気の良い町の人たちと、和風ファンタジーな世界を謳歌していると――?
⑤神様✕○○ テイルとシヴァン。この話のナビゲーターであり中心人物。
双子攻略が難解すぎてもうやりたくない
はー
BL
※監禁、調教、ストーカーなどの表現があります。
22歳で死んでしまった俺はどうやら乙女ゲームの世界にストーカーとして転生したらしい。
脱ストーカーして少し遠くから傍観していたはずなのにこの双子は何で絡んでくるんだ!!
ストーカーされてた双子×ストーカー辞めたストーカー(転生者)の話
⭐︎登場人物⭐︎
元ストーカーくん(転生者)佐藤翔
主人公 一宮桜
攻略対象1 東雲春馬
攻略対象2 早乙女夏樹
攻略対象3 如月雪成(双子兄)
攻略対象4 如月雪 (双子弟)
元ストーカーくんの兄 佐藤明
異世界に転移したショタは森でスローライフ中
ミクリ21
BL
異世界に転移した小学生のヤマト。
ヤマトに一目惚れした森の主のハーメルンは、ヤマトを溺愛して求愛しての毎日です。
仲良しの二人のほのぼのストーリーです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる