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ガラスの柩
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それにしても、なんて穏やかな顔をしているのだろう。穏やかで、美しい……。
思わず見惚れてしまった。
だって、見れば見るほど美しい。ぱりっとした軍服はスマートでカッコいいし、サッシュやエポレットは彼の勇敢さを褒め称えている。
ガラスの棺の中で青い薔薇に埋もれて眠る男から目が離せない。
純粋にその美しさのせいだと思う。
生前悪魔のように残虐だった男が、こんなにも美しいとは、妙な話だ。
ヴァーツァ・カルダンヌが死んでから一年以上が経っている。考えてみれば、遺骸が全く損傷しておらず、それどころか薔薇の花に囲まれて瑞々しい状態を保っていることこそが怪異なのだ。
彼は百人もの敵に切りつけられ、傷だらけになって死んだ。それなのに、見た限りでは、遺体には傷ひとつなく、出血死の様相も呈してはいない。
何より、この美しさはなんだ? まるで彼の死を悼んだ美の女神が彼を浄め、生気を吹き込んだとしたとしか見えない。
冷静に考えれば不気味でしかない。
遺体に、何らかの呪いがかけられているのに違いない。ますます、魂と一緒に葬り去らねばならない。
だが、若干のためらいを感じる。
浄化が済めば、彼の身体は、今あるべき状態に戻ってしまう。塵になって、吹き飛んでしまうのだ。
この美しい男が、塵になってしまう。
言いようのない悲しみに襲われた。
無常観……けれどその底に沈んでいたのは、紛れもない喪失の悲哀だった。それは、恋の苦しみにも似ていた。
だって彼は、こんなにも美しい。まるで生きていて、ちょっと午睡を楽しんでいるだけのようだ。きっといい夢を見ているのだろう。きゅっと上がった瑞々しい唇の端が微笑んでいる。
棺の蓋を開け、豊かなその黒髪に手を差し入れたい衝動に駆られた。ゆるくウェーブした髪の束を手に取り、指に巻き付けたい。それから、柔らかそうな頬を撫でる。初めは人差し指の横で、それから、小指の外側。思う存分頬の感触を堪能したら、艶やかな赤い唇に口を近づけ……。
な、何を考えているんだ、俺は! 相手は死骸だぞ? それも、とんでもない悪魔の!
我に返り、慌てて一歩後ろに身を引いた。いつの間にか柩に近づき、滑らかなガラスに手を掛けていたのだ。ガラスの上からキスでもするつもりだったのか、俺は!
殆ど逃げるようにして聖具室を後にした。
音を立てて入り口の引き戸を閉め、階段を駆け上がる。
夕べ使った寝室まで来て、ようやく立ち止った。胸の鼓動が痛いくらいだ。どきどきと胸郭から飛び出そうに脈打っている。
けれどそれは、階段を駆け上ったからではない。恐怖からでは、もちろんない。
当たり前だ。俺は一流のエクソシストだ。悪霊ごときに怯えるわけがない。
頬が熱い。
なぜ?
恋?
まさか。
思わず見惚れてしまった。
だって、見れば見るほど美しい。ぱりっとした軍服はスマートでカッコいいし、サッシュやエポレットは彼の勇敢さを褒め称えている。
ガラスの棺の中で青い薔薇に埋もれて眠る男から目が離せない。
純粋にその美しさのせいだと思う。
生前悪魔のように残虐だった男が、こんなにも美しいとは、妙な話だ。
ヴァーツァ・カルダンヌが死んでから一年以上が経っている。考えてみれば、遺骸が全く損傷しておらず、それどころか薔薇の花に囲まれて瑞々しい状態を保っていることこそが怪異なのだ。
彼は百人もの敵に切りつけられ、傷だらけになって死んだ。それなのに、見た限りでは、遺体には傷ひとつなく、出血死の様相も呈してはいない。
何より、この美しさはなんだ? まるで彼の死を悼んだ美の女神が彼を浄め、生気を吹き込んだとしたとしか見えない。
冷静に考えれば不気味でしかない。
遺体に、何らかの呪いがかけられているのに違いない。ますます、魂と一緒に葬り去らねばならない。
だが、若干のためらいを感じる。
浄化が済めば、彼の身体は、今あるべき状態に戻ってしまう。塵になって、吹き飛んでしまうのだ。
この美しい男が、塵になってしまう。
言いようのない悲しみに襲われた。
無常観……けれどその底に沈んでいたのは、紛れもない喪失の悲哀だった。それは、恋の苦しみにも似ていた。
だって彼は、こんなにも美しい。まるで生きていて、ちょっと午睡を楽しんでいるだけのようだ。きっといい夢を見ているのだろう。きゅっと上がった瑞々しい唇の端が微笑んでいる。
棺の蓋を開け、豊かなその黒髪に手を差し入れたい衝動に駆られた。ゆるくウェーブした髪の束を手に取り、指に巻き付けたい。それから、柔らかそうな頬を撫でる。初めは人差し指の横で、それから、小指の外側。思う存分頬の感触を堪能したら、艶やかな赤い唇に口を近づけ……。
な、何を考えているんだ、俺は! 相手は死骸だぞ? それも、とんでもない悪魔の!
我に返り、慌てて一歩後ろに身を引いた。いつの間にか柩に近づき、滑らかなガラスに手を掛けていたのだ。ガラスの上からキスでもするつもりだったのか、俺は!
殆ど逃げるようにして聖具室を後にした。
音を立てて入り口の引き戸を閉め、階段を駆け上がる。
夕べ使った寝室まで来て、ようやく立ち止った。胸の鼓動が痛いくらいだ。どきどきと胸郭から飛び出そうに脈打っている。
けれどそれは、階段を駆け上ったからではない。恐怖からでは、もちろんない。
当たり前だ。俺は一流のエクソシストだ。悪霊ごときに怯えるわけがない。
頬が熱い。
なぜ?
恋?
まさか。
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