上 下
12 / 13

12 軍靴の響き

しおりを挟む
スパルタノス帝国軍は、モランシー領の遥か北で、レメニー河を渡河した。そのまま西へ進めば、ロタリンギアだ。昔から、スパルタノスは、虎視眈々と、レメニー河の東側の諸国を狙っていた。


河の東側諸国では、ロタリンギア王国が中心となって、対スパルタノス同盟が結成された。防衛協定に基づいて、わがモランシー公国もこの同盟に加盟した。

ロタリンギア王国では、直ちに、ジュリアンの弟・新王太子アルフレッド殿下の元、軍が再編された。
モランシーもまた、父を総司令官に、4個歩兵連隊と2個騎兵隊からなる大隊が、北へ向けて行軍を開始した。


私も従軍したかったけど、許されなかった。モランシーの公女には、務めがある。魔力で結界を張り、国を守護するという、聖なる務めが。
敵が攻めてきたら、公民の楯となるのは、守るべき自分の子を持たない、独身の公爵令嬢なのだ。

3人の異母妹達は、まだ幼い。今、領邦守護の任を負えるのは、私と、異母姉のフェーリア(ロタリンギアへ嫁いだデズデモーナの双子の妹)だけだ。

今度ばかりは、呪文の言い間違いは、絶対に、許されない。守護魔法は、強大だ。少しでも呪文を言い間違えたら、領邦のひとつくらい、軽く消滅してしまう。
幸いにも鸚鵡おうむ先生は、鍋に入れられるのを免れ、深山の奥に潜んでいた。半狂乱になって逃げ回る彼を捕獲し、再び私は、魔術の鍛錬に励み始めた。


慌ただしく、ただならぬ気配が、大陸を覆っていた。
……。




そんな中、私は、ジュリアンの元気がないのに気がついた。
朝からぼんやりしているし、水槽の中から出そうとしても、なかなか手に乗ってこない。食欲もないらしく、目の前でいくらスプーンを振ってみせても、飛びついて来ない。


「コルデリア」
ある日、思い切ったように、ジュリアンは言った。
「僕を、君の寝床にいれてくれないか」

とうとうこの日が来たかと、私は思った。
覚悟はしていた。でも、私の寝床で大丈夫だろうか。

「君でなくちゃ、ダメなんだ」
ジュリアンは言い張った。
「僕は、人間になりたい」

「あなたがそれを望むなら……」

試してみる価値はあるだろう。そして、彼に付きあう義務が、私にはある。

だって、全ては、「アイ」と「イーッ」を言い間違えた私の責任だから。ジュリアンは、充分、苦しんだと思う。できることなら、そろそろ、元の姿にもどしてやらなければならない。ヴィクトレーヌの元へと、帰らせてあげなくちゃ。美しい王子に戻った彼なら、彼女も再び、受け入れるだろう。
カエルのジュリアンは、それはそれは可愛いいけれど。いつまでも、手元に置いておきたいのだけれど。でもそれは、私の身勝手だ。ジュリアンには、ジュリアンの幸せがある。


ところが彼は、意外なことを言い出した。

「国境付近で、弟の部隊は苦戦をしていると聞く。君の父上の連隊も、加勢に出掛けた。僕だけが、のうのうと、ここにいるわけにはいかない」

「でも、あなたはカエルよ? 剣を持つこともできないし、銃を撃つこともできないわ!」
思わず私は叫んでしまった。カエルが戦争? とんでもない! 
残酷だと思ったが、あふれ出る言葉が止まらない。
「戦争に行ったって、あなたは、何もできないわ。殺されてしまうのがオチよ」

黒い艶やかな瞳が、私を見返した。
「だからお願いだ、コルデリア。僕を人間の姿に戻しておくれ」

私は絶句した。震えながら、声を振り絞った。
「戦争に行くために、私と寝るというの?」

「違うよ」
血の気の失せた土色の顔で、彼は首を横に振った。
「君のことを愛している、コルデリア。君の願いなら、なんでも叶えてあげたかった。だから、今まで、我慢してきた。君への愛を! ……でも、これだけはダメだ。僕は、ロタリンギアの王子だ。国を護らなければならない」

「あなたはもう、王の後嗣じゃないのよ? あなたはただのカエルだわ」
「だからだよ!」

悲鳴のような声で、ジュリアンは叫んだ。

「お願いだ、コルデリア。わかってほしい。僕は、姿。そうしなければ、祖国の為に、戦えない」

呆然と、私は立ち尽くした。

「君に対して僕は、絶対に許されないことをした。婚約を破棄して、取り返しのつかない傷を、君に負わせた。けれど、コルデリア。僕は、君のことばかり考えて生きていくわけにはいかないんだ。王族として、国を護らなければならない。君がモランシーの為に、魔術の鍛錬に励むように、僕も剣を取る。祖国ロタリンギアの為に!」

不意に、ためらいがちになった。
「ロタリンギアと、、だ」

きりきりと、私は歯ぎしりをした。
「なら、私が、ロタリンギアの守護をしますわ! モランシーは異母姉フェーリアに任せて。それならば貴方も、ロタリンギアに残れますでしよ」
「それはダメだ。わかってるだろ?」

ジュリアンが何を言いたいか、すぐにわかってしまった自分が悲しい。私の守護魔法のテストに、鸚鵡先生は、一度も合格点を出してくれない。

気遣うように優しい言葉を、彼は継いだ。
「ありがとう。君の気持ちは嬉しい。でも、僕は、王子だ。王子は、国の為に戦わなくてはならない」

同じように、領民を持つ者として、彼の気持ちは、痛いほど伝わった。ジュリアンは、自分の義務を遂行しようとしている。



その晩、私は彼を、水槽に入れなかった。







翌朝、私は、金髪碧眼の美しい青年の腕の中で目を覚ました。







「これを、君に」
朝食が済むと、彼は、薄い小さなものを、私に手渡した。

「なに、これ」
「脱皮した皮だよ。人間になる前の、最後の」
顔を赤らめ、金髪碧眼の美しい青年は答えた。

よくよく見ると、薄い皮は、完全に、昨夜までのジュリアンの形をしていた。
脱いだ皮を食べてしまうのは、カエルの本能だと彼は言っていた。本能に逆らってまで、食べずにとっておいてくれたなんて……。

「君は、を好きでいてくれたから。だから、これを僕だと思って、大事にしていてほしい」

そこまで言うと、赤味がかっていたジュリアンの頬が、すうーっと白くなった。何か、真剣なことを言おうとしているのだ。

「僕は、人間の姿に戻ってしまったけれど。君にとって、本意ではなかったかもしれない。でも人間に戻ったのは、僕が、君を好きだという証だよ。誰よりも君を、愛しているから。だって、これは、そういう魔法だろう?」

私は考えこんだ。ジュリアン自身が、思いを寄せている人に受け容れてもらわなければ、この解毒魔法は、効果を発揮しない。
今、彼が、人の姿に戻ったということは……。もしかして私は、最高の愛を、ジュリアンから与えられたということ? 
彼は、戦争へ行きたいから、私と寝たわけではない……の?。

「ジュリアン。ええと。あなたは、私を愛しているの?」
それだけ尋ねるのに、膝ががくがく震えた。

「もちろんだよ!」
ジュリアンが即答する。

「こんなに、あの、美人じゃなくて、巨乳でもない私を? オツムがアレで、性格も歪みきってる、この私を!?」

「何を言ってるんだ、コルデリア」
怒った声が聞こえた。
「君は、ステキだ。君は優しく賢い。もし、君の悪口を言うやつがいたら、僕は、そいつに決闘を申し込む。そして必ず、殺す」

なにがなんだか、わからなくなった。こんな風に言われたのも初めてなら、自分のことを褒められたのも、初めてだったから。

「君はもっと、自分を大切にしてあげなければならない。だって君には、最高の価値がある。それを自ら貶めるようなことは、しないでほしい」
強く、私を見つめた。
「約束しておくれ」

青い目に射すくめられ、何も考えられなくなった。気がついたら、私は頷いていた。
そうか。自分を大切にしてもいいのか……。

「必ず帰ってきてくれる?」
それだけが、願いだった。

ずっとそばにいて欲しい。前に私はそう望んだ。でもそれは、カエルのジュリアンにだ。今、同じことを望んでいる。人間のジュリアンに対して。

彼は何も言わず、私を抱き寄せた。







人間の姿に戻ったジュリアンは、国境の戦線へ旅立っていった。







半年後。
私は彼の、戦死の知らせを受け取った。






しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢と言われ冤罪で追放されたけど、実力でざまぁしてしまった。

三谷朱花
恋愛
レナ・フルサールは元公爵令嬢。何もしていないはずなのに、気が付けば悪役令嬢と呼ばれ、公爵家を追放されるはめに。それまで高スペックと魔力の強さから王太子妃として望まれたはずなのに、スペックも低い魔力もほとんどないマリアンヌ・ゴッセ男爵令嬢が、王太子妃になることに。 何度も断罪を回避しようとしたのに! では、こんな国など出ていきます!

悪役令嬢のススメ

みおな
恋愛
 乙女ゲームのラノベ版には、必要不可欠な存在、悪役令嬢。  もし、貴女が悪役令嬢の役割を与えられた時、悪役令嬢を全うしますか?  それとも、それに抗いますか?

悪役令嬢がグレるきっかけになった人物(ゲーム内ではほぼモブ)に転生したので張り切って原作改変していきます

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢になるはずだった子を全力で可愛がるだけのお話。 ご都合主義のハッピーエンド。 ただし周りは軒並み理不尽の嵐。 小説家になろう様でも投稿しています。

婚約破棄されたのたが、兄上がチートでツラい。

藤宮
恋愛
「ローズ。貴様のティルナシア・カーターに対する数々の嫌がらせは既に明白。そのようなことをするものを国母と迎え入れるわけにはいかぬ。よってここにアロー皇国皇子イヴァン・カイ・アローとローザリア公爵家ローズ・ロレーヌ・ローザリアの婚約を破棄する。そして、私、アロー皇国第二皇子イヴァン・カイ・アローは真に王妃に相応しき、このカーター男爵家令嬢、ティルナシア・カーターとの婚約を宣言する」 婚約破棄モノ実験中。名前は使い回しで← うっかり2年ほど放置していた事実に、今驚愕。

婚約破棄されたおっとり令嬢は「実験成功」とほくそ笑む

柴野
恋愛
 おっとりしている――つまり気の利かない頭の鈍い奴と有名な令嬢イダイア。  周囲からどれだけ罵られようとも笑顔でいる様を皆が怖がり、誰も寄り付かなくなっていたところ、彼女は婚約者であった王太子に「真実の愛を見つけたから気味の悪いお前のような女はもういらん!」と言われて婚約破棄されてしまう。  しかしそれを受けた彼女は悲しむでも困惑するでもなく、一人ほくそ笑んだ。 「実験成功、ですわねぇ」  イダイアは静かに呟き、そして哀れなる王太子に真実を教え始めるのだった。 ※こちらの作品は小説家になろうにも重複投稿しています。

少し先の未来が見える侯爵令嬢〜婚約破棄されたはずなのに、いつの間にか王太子様に溺愛されてしまいました。

ウマノホネ
恋愛
侯爵令嬢ユリア・ローレンツは、まさに婚約破棄されようとしていた。しかし、彼女はすでにわかっていた。自分がこれから婚約破棄を宣告されることを。 なぜなら、彼女は少し先の未来をみることができるから。 妹が仕掛けた冤罪により皆から嫌われ、婚約破棄されてしまったユリア。 しかし、全てを諦めて無気力になっていた彼女は、王国一の美青年レオンハルト王太子の命を助けることによって、運命が激変してしまう。 この話は、災難続きでちょっと人生を諦めていた彼女が、一つの出来事をきっかけで、クールだったはずの王太子にいつの間にか溺愛されてしまうというお話です。 *小説家になろう様からの転載です。

悪役令嬢はざまぁされるその役を放棄したい

みゅー
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢に転生していたルビーは、このままだとずっと好きだった王太子殿下に自分が捨てられ、乙女ゲームの主人公に“ざまぁ”されることに気づき、深い悲しみに襲われながらもなんとかそれを乗り越えようとするお話。 切ない話が書きたくて書きました。 転生したら推しに捨てられる婚約者でした、それでも推しの幸せを祈りますのスピンオフです。

悪役令嬢より取り巻き令嬢の方が問題あると思います

恋愛
両親と死別し、孤児院暮らしの平民だったシャーリーはクリフォード男爵家の養女として引き取られた。丁度その頃市井では男爵家など貴族に引き取られた少女が王子や公爵令息など、高貴な身分の男性と恋に落ちて幸せになる小説が流行っていた。シャーリーは自分もそうなるのではないかとつい夢見てしまう。しかし、夜会でコンプトン侯爵令嬢ベアトリスと出会う。シャーリーはベアトリスにマナーや所作など色々と注意されてしまう。シャーリーは彼女を小説に出て来る悪役令嬢みたいだと思った。しかし、それが違うということにシャーリーはすぐに気付く。ベアトリスはシャーリーが嘲笑の的にならないようマナーや所作を教えてくれていたのだ。 (あれ? ベアトリス様って実はもしかして良い人?) シャーリーはそう思い、ベアトリスと交流を深めることにしてみた。 しかしそんな中、シャーリーはあるベアトリスの取り巻きであるチェスター伯爵令嬢カレンからネチネチと嫌味を言われるようになる。カレンは平民だったシャーリーを気に入らないらしい。更に、他の令嬢への嫌がらせの罪をベアトリスに着せて彼女を社交界から追放しようともしていた。彼女はベアトリスも気に入らないらしい。それに気付いたシャーリーは怒り狂う。 「私に色々良くしてくださったベアトリス様に冤罪をかけようとするなんて許せない!」 シャーリーは仲良くなったテヴァルー子爵令息ヴィンセント、ベアトリスの婚約者であるモールバラ公爵令息アイザック、ベアトリスの弟であるキースと共に、ベアトリスを救う計画を立て始めた。 小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。 ジャンルは恋愛メインではありませんが、アルファポリスでは当てはまるジャンルが恋愛しかありませんでした。

処理中です...