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8 おもてなし

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「たとえカエルといえど、神のお導きで修道院に保護を求めて来られた方を、無碍に追い出すわけにはまいりません」

気絶から回復し、きっぱりと言い切った尼僧長は、立派だった。

「ここは、神のお膝元。私たちは、神の花嫁です。カエルさん。安心してお疲れを癒して下さい」

「神の花嫁というのは、そんなにたくさんいるものですか?」
恐る恐るジュリアンが尋ねる。

「望めばみんな、神は受け容れて下さいます。私たちはみんな、神の花嫁です」
「コルデリアも?」
「ひい様はまだ、見習です」
「それはよかった」

ぺろんとジュリアンが舌を出した。
「あっ!」
尼僧長の悲鳴を、初めて聞いた。
「ここは清浄の地。せ、殺生はいけませんぞ」
明らかに動揺している。

「すみません。目の前を飛んでいったものですから、つい」
カエルのジュリアンがしょげかえっている。私はちょっと、可哀想になった。
「尼僧長様。ジュリアンが捕まえたのは、蚊です。あれは害虫ですわ。刺されたら痒くて、その上、まかり間違えば死ぬことだってあります」
「蚊にも命があります」
「人類滅亡は、蚊によって達成されると言われていますわ」
「なんですと!」

尼僧長は飛び上がった。
「あの小さい生き物は、そんなに邪悪なものだったんですね! 人類滅亡とは! 悪魔じゃないですか! 蚊は、悪魔の遣いだったんですね。よろしい。カエルさん、お好きなだけ、蚊を退治なさい」
「はい。ありがとうございます……」

素直に礼を言われ、尼僧長は、大満足で退出していった。


遠巻きに見ていた尼僧たちは、ジュリアンに近づこうとしなかった。恐る恐るやってきて挨拶だけすると、ぱっと退出していく。

「ありがとう、コルデリア。君は優しいね」
二人きりになると、潤んだ瞳でジュリアンは私を見上げた。
「僕が虫を食べると、ロタリンギアでは、みんな、気持ち悪がるばかりだったのに」

「見事なお手並みでしたわ」
やはり賞賛すべきと所はきちんと褒めなければいけないと思う。たとえ相手がカエルであっても。
「私、蚊には逃げられてばかりですの」

「これからは僕が君を守る!」
ぴょん、と飛び跳ね、ジュリアンが叫んだ。
「僕が蚊の襲来から、君を守るんだ!」
「あら、嬉しい」

これは本心だった。どういうわけか、私は、蚊にだけは好かれるのだ。ここでも、他においしそうな尼僧がいっぱいいるというのに、私ばかりが狙われる。私は目が悪いものだから、自分を刺している蚊がよく見えず、刺され放題になっていた。その上ここは川が近いから、蚊が多いのだ。だから、ジュリアンのは、本当にありがたかった。

「でも、もしかして、ジュリアン。あなた、お腹が空いていらっしゃるんじゃなくて?」
私が言うと、ジュリアンは、ぽっと頬を赤らめた。
「空腹だったのに、尼僧長のお話が長くてごめんなさいね……」
あんな小さな蚊では、ろくにお腹の足しにならなかったろう。

人間の食事で大丈夫だと言うから(但し、歯がないので、離乳食のように柔らかくしてほしいと、リクエストされた)、私とジュリアンは、差し向かいで食卓についた。テーブルに届くように、ジュリアンの椅子は、座面を高くしてあった。

「私たちはお先に済ませましたから」
ひきつった愛想笑いを浮かべながら、配膳を終えた尼僧たちは、我先にと、食堂から出ていった。


ちなみに、モランシーでは、カエルを食する。鳥のように淡白な味で、こりこりしていて、これがなかなか、美味なのだ。もちろん、この日の食卓には、カエルは載っていなかったけど。そもそも潔斎中だから、肉や魚は供されない。

「ジュリアン。ご遠慮なくどうぞ」

私が食べないから遠慮しているのか思い、豆のスープに匙をつけた。だが、ジュリアンは、一向に食べ始めようとしない。向かいの席で、じっとしている。

「召し上がらないの? お口に合わないのかしら」
やっぱりカエルに、人間の食べ物はきついのか。

「そうじゃないんだ」
困ったようにジュリアンは言った。

「それじゃ、ほら。このタマネギの姿煮もおいしいわよ」
ジュリアンのそれは、ペースト状にすりつぶされているけど。

「あ。もしかして、カエルって、肉食だったかしら?」
「大丈夫。人間の食べ物なら、たいがい、イケる」
「よかったわ」
再び私は、自分の食事に専念した。



「あのね、コルデリア」
しばらくしてから、思い切ったようにジュリアンが言った。
「僕って、ほら。カエルだろ? だから、問題があって」

「問題?」
「僕らは、動いているものじゃないと、食べることができないんだ」
「まあ!」

そういえば、カエルはじっとしていて、目の前に蠅などが近づくと、長い舌をぱっと伸ばして捕食する。

「つまり、僕は……。あの、君が……」
「ああ、そうか!」

唐突に私は理解した。席を立って、ジュリアンの隣に座る。ぴょん、とジュリアンが飛び跳ねた。なんだか、うろたえているようだ。

私はスプーンを取り上げ、そら豆のペーストを掬った。緑色のペーストをこんもりと乗せたスプーンを、ジュリアンの目の前で、左右に揺らす。
「私が、こうしてスプーンを振って上げたら、あなたは、食べやすいのかしら」
言い終わらないうちに、ぱくっ、と、ジュリアンが飛びついた。それはもう、全身で。

「わっ!」
思わず私は叫んだ。勢いあまって、彼は、スプーンの先全部を、口の中に飲み込んでしまったのだ。
「ちょっとジュリアン、放してよ!」

ばたばたばた。
両手両足を振って、口だけで、スプーンの先端にぶら下がっている。スプーンの反対側を握ったまま、私は途方に暮れた。

ぽたり。
ジュリアンが、スプーンから離れた。テーブルの上に零れ落ちる。

「失礼。もう、1ヶ月近くも、何も食べてなかったんだ」
長い舌をべろりと伸ばして、口の周りを嘗め回しながら、ジュリアンが言った。

「1ヶ月も?」
「つまり、レメニー河を流れていたから」
「ああ、そうか」

山の勾配がきついので、レメニー河は、結構な急流だ。一度流れに身を任せたなら、食事どころではなかったろう。
そうまでして、モランシーまで来なくてもよかったのにと、私は思った。


今度は、トマトのすりつぶしをスプーンに乗せた。ゆっくりと、ジュリアンの鼻先で振る。

ぱくっ!
ジュリアンが、スプーンの横の、空気を噛んだ。

「外れてる! ジュリアン、トマトはこっちよ」

ぱくっ! ぱくっ! 何もない空間に、連続して飛びついている。

カエルは、左右の視力が合っていないのだろうか。遠近感が、全くつかめていないようだ。最後にジュリアンは、スプーンの先ではなく、横からスプーンの軸に食らいつき、滑って落ちた。
ぜいぜいと、肩で息をしている。

「落ち着いて。ここにあるのは、全部、ジュリアンのものよ。誰も取ったりしないから」
トマトの乗ったスプーンを振ってみせながら、私は言った。
「うん」

食事を終えるのに、2時間近くかかった。







夜になるとジュリアンは、自分の寝床として、硝子の水槽を所望した。

「硝子なら、つるつるしているから、自分では、外に出られないからね。うっかり君のベッドに忍び込んでしまうこともない」

「うっかり? 私のベッドに?」

「それが僕の願いだから」


ああそうか。ジュリアンは、人間に戻りたいのだな、と、私にはわかった。

eiの魔法は、愛で解く……。でもそれは、ジュリアンが心から愛している人のベッドでなくてはならないのだ。私のベッドに潜り込んでも、それは無駄というものだ。私だって、カエルの慰み者になる気はない。というか、エリザベーヌのように、壁に叩きつけてやる。


と、露骨に宣言するのもどうかと思われ、マイルドに、私は言った。
「ジュリアンには、いつまでもカエルの姿でいてほしいわ。だって、とても可愛いんだもの。金髪碧眼の王子だった頃より、ずっとよ」

「そお?」
ジュリアンは複雑な顔をした。嬉しいような、困ったような?
「わかったよ、コルデリア。僕は君の騎士だ。君の言うことなら、何だって聞く。僕は水槽に入るから、朝になったら、君が僕を外へ出しておくれ」



尼僧たちが、遠巻きに、恐々と見ている。突然やってきたカエルに、彼女たちは、ひどく怯えていた。
仕方がないから、ジュリアンの入った水槽は、私が自分で寝室へ運んだ。








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