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1 悪役令息
10.インゲレ王国での生態
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「俺の結婚式を台無しにしてくれたインゲレの王子め! いったいどうやってここまで来た!」
いやしくも宮殿だ。厳重な警備が敷かれているはずだ。
「どうやってって、普通に歩いて入ってきましたが」
「衛兵はどうした!」
「これを見せたら、あっさりと」
「あっ、それは!」
結婚式を司っていた尊師のメダルだった。つまり、通行証だ。
「どうやってそれを手に入れた?」
「下山の途中で尊師殿にお会いしまして。二人のお子さま方と一緒に貴方が消えてしまわれた後」
恨めし気な口調だった。
「あいつらが勝手についてきたんだ」
「ふうん。まあいいでしょう。私が宮殿へ向かうと言ったら、尊師殿がこれを賜ったんです」
そういえば、俺の宗教上の家庭教師でもある尊師は、若く美しい男が大好きだった……。
「うぉっほん」
王座で咳払いが聞こえた。ダレイオだ。
「インゲレの王子か? 今まさに、大艦隊を擁して我が国に攻め込もうとしてるインゲレ王国の?」
「御意」
恭しくダレイオが頭を下げる。
「我が国を侵略せんと近づいてくる敵国大艦隊の総司令官、ヴィットーリア姫の弟君で間違いないな」
「御意」
糾弾されているのに、ダレイオは言い訳ひとつしない。彼は何を考えているのだろう。頭を下げているので、その表情は窺えない。
「そして、わが弟、サハルの結婚式をぶち壊した張本人とな?」
「その通りでございます」
「でかした!」
ダレイオは叫んだ。
「よくやった、ジョルジュ王子。心から礼を言うぞ」
「そこかよ」
俺は毒づいた。
「違うだろ、ダレイオ。こいつは我が国に攻め込んでくる憎っくき敵国の王子で、今まさに旗艦ヴィクトリー号で総指揮を執っているヴィットーリオの弟なんだぞ! しかもヴィットーリオは、俺との婚約を、一方的に破棄しやがったんだぞ!」
「慶事である」
「は?」
「だから、ヴィットーリオ姫の婚約破棄は、今世紀まれに見る英断だった。返す返すもめでたいことだ」
「わけわかんねえ」
俺は頭を抱えた。いや、婚約を破棄されたのは嬉しいが。だが俺は、そのヴィットーリオの弟のせいで神聖な結婚式をぶちこわされ、今まさに、愛するエルナを失いかけているわけで……。
「それで、ジョルジュ王子。貴国でのわが弟の様子はどうでしたかな? 詳しいことを聞かせてはもらえぬか?」
なぜかダレイオは、涎を垂らさんばかりだ。
「今はそれどころじゃないだろ!」
割り込んだが、無視された。
ジョルジュの目が輝いた。
「貴重な秘話ですよ? そうそうお話しするわけには参りません」
「そこをなんとか」
無言でジョルジュが首を横に振る。
「なら、これでどうだ? サハルの姿絵をやろう」
玉座の下から、俺の肖像画を取り出した。額が手垢で汚れている。きっと掃除が行き届いていないのに違いない。王の執務室だというのに困ったことだ。後日、掃除係をむち打ち刑に処してやろう。
それにしても、あんなに大きい肖像画を、よく玉座の下に入れておけたものだ。
うっとりとジョルジュの眼差しが宙を泳ぐ。
「婚約が成立した時に、姉が貰ったのの複写ですね。剣を下げたお姿の、なんと凛々しいことか!」
「複写? 馬鹿な。こっちがオリジナルだ」
「なんですと? 私の手元にある絵は複写だというんですか!」
「なぜ貴殿の手元に、サハルの肖像画が? あれは、ヴィットーリア姫に贈ったものだ」
「そちらこそなぜ、わが姉に、複写を寄越したんです?」
「オリジナルは私の物と決まっているからな!」
「ひ、卑怯な……」
ジョルジュの声が裏返った。
「そんな卑怯なことをする方に、我が国におけるサハル殿下の大切な秘話をご披露する訳には参りません!」
「ほほう。なら、これも追加しよう。少年だった頃の肖像画だ」
「……え?」
「幼児期のスケッチもある」
「なんと! サハル殿下のお子様時代の?」
ジョルジュがダレイオににじり寄っていく。二人の間に、ボロボロになった紙がちらりと見えた。
「よほど熱心に見返した跡が」
「惜しいが、背に腹は代えられぬ。サハルのインゲレでの生態が知りたいのだ」
「うわあ! レアものばかり!」
ジョルジュが歓声をあげた。
大量の紙片が玉座の下から出て来た。どの紙もひどく劣化していて、触れば崩れそうだ。あんなのが王座の下にあったなんて。もし万が一、王座にダニでも湧いたら、国威に関わる。掃除係は斬首だ。
「お話ししましょう」
あっさりとジョルジュが初志を翻した。
なぜか俺の背筋に寒気が走った。
「たとえば、サハル殿下は、カランの実がお好きで」
「なんと。あのような酸っぱいものを?」
「ええ、夕食後に毎食、召されていました」
「よし。さっそくインゲレから、カランを大量に輸入するよう命じよう。もちろん苗も」
「おい、何をのんきなことを……」
俺は割り込んだ。だって、敵の艦隊が押し寄せてきているといるというのだ。
だが、全く相手にされなかった。ダレイオは話に夢中になっていて、何も聞こえていないようだった。
「こっちはスケッチもつけるのだぞ? 他には?」
「少年時代のと幼児期の絵、必ずですよ? サハル殿下は、ぴんと張ったシーツがことのほかお気に入りでした」
「ぴんと張った……シーツ?」
ダレイオにはイメージが湧かないようだ。
夜間が寒冷なエメドラードでは、シーツは獣毛の入った起毛製品が多い。一方、盆地が多いインゲレでは、吸湿性の高い、木綿のシーツが好まれる。
「ええ。インゲレでは、アルマドという木の樹液を採って、それからどろどろの糊を作るのです。それに布を浸すと、乾いた時に、独特の肌触りが得られます」
「ほう?」
「シーツを洗った後、この樹液に浸して、ぴんと張って干すと、乾いた時に、大層、肌に心地がよいのです」
「変わった習慣だの。だが、サハルは気に入ったのだな?」
「はい。殿下の御部屋係は常に、シーツに糊付けしておりました」
「アルマドの糊を、その部屋係ごと、わが宮殿に召し出そう。給金は、インゲレの十倍出すぞ」
「しかと申し伝えておきましょう」
「何、人のプライバシーを語ってんだよ!」
大声で俺は叫んだ。
「ジョルジュ、そんな細かいことまで、どうしてお前が知ってるんだよ!」
私生活を覗かれていたようで、なんだか気持ちが悪い。答えたのはダレイオだった。
「愛する人のことは、どんなに些細なことでも知りたいものだ」
「そうですよ、サハル殿下。それが人間のサガというものです」
すかさずジョルジュが付け加える。
ダレイオの目がぴかりと光った。
「さっきから気になっていたのだが……。ジョルジュ王子。貴殿、まさか……」
「ええ、御推察の通りですよ、ダレイオ殿下。そもそも、ですよ?」
ジョルジュの目が、妖しく輝いた。
「サハル殿下の結婚相手は、姉ではなく、私だった筈!」
「サハル本人が嫌がったのだ」
ダレイオが返した。いささか食い気味だった。
「なるほどね。ふふん」
人の悪い笑みを、ジョルジュは浮かべた。ダレイオの言うことなど、ちっとも信じていない様子だ。
ダレイオの言ったことは事実だ。何度も言うように、インゲレの王女があんなアマゾネスだったなん思いもしなかったらな!
「それでもやっぱり、結婚するなら女とだろ、フツー」
「……」
「……」
ダレイオとジョルジュが雁首揃えて俺を見た。
何事もなかったかのように、ジョルジュが話題を戻す。
「ですが、まあ、部屋係はお譲りしましょう。私からの二重スパイだと思って頂いて結構です」
「無視かよ!」
「ぐぬぬ。だが、シーツに糊付けの秘儀は必要だ。そうだ。やり方を聞いたらその部屋係は殺してしまえばよいのだ」
「止めろ! 彼女はいい人だ!」
無視された怒りも忘れ、思わず俺は叫んだ。あの部屋係には、インゲレにいた頃、どんなに世話になったことか。まさに、献身的なお世話係だった。寝苦しい夜など、俺が寝付くまで、うちわで扇いでいてくれたんだぞ。
それなのに、ダレイオの目が、すう―っと細くなった。
「彼女……。女か?」
「ご安心を、ダレイオ陛下。還暦をとうに過ぎた婆でございます」
「さすがジョルジュ王子。やることにそつがない」
アホらしくなってきた。とりあえずインゲレで世話になった部屋係の無事は確保できたようなので、俺は足音を忍ばせて、外へ出た。
王はジョルジュに任せておけばいい。今はとにかく、メラウィー港沖にいる、敵の大艦隊を殲滅しなければならない。
いやしくも宮殿だ。厳重な警備が敷かれているはずだ。
「どうやってって、普通に歩いて入ってきましたが」
「衛兵はどうした!」
「これを見せたら、あっさりと」
「あっ、それは!」
結婚式を司っていた尊師のメダルだった。つまり、通行証だ。
「どうやってそれを手に入れた?」
「下山の途中で尊師殿にお会いしまして。二人のお子さま方と一緒に貴方が消えてしまわれた後」
恨めし気な口調だった。
「あいつらが勝手についてきたんだ」
「ふうん。まあいいでしょう。私が宮殿へ向かうと言ったら、尊師殿がこれを賜ったんです」
そういえば、俺の宗教上の家庭教師でもある尊師は、若く美しい男が大好きだった……。
「うぉっほん」
王座で咳払いが聞こえた。ダレイオだ。
「インゲレの王子か? 今まさに、大艦隊を擁して我が国に攻め込もうとしてるインゲレ王国の?」
「御意」
恭しくダレイオが頭を下げる。
「我が国を侵略せんと近づいてくる敵国大艦隊の総司令官、ヴィットーリア姫の弟君で間違いないな」
「御意」
糾弾されているのに、ダレイオは言い訳ひとつしない。彼は何を考えているのだろう。頭を下げているので、その表情は窺えない。
「そして、わが弟、サハルの結婚式をぶち壊した張本人とな?」
「その通りでございます」
「でかした!」
ダレイオは叫んだ。
「よくやった、ジョルジュ王子。心から礼を言うぞ」
「そこかよ」
俺は毒づいた。
「違うだろ、ダレイオ。こいつは我が国に攻め込んでくる憎っくき敵国の王子で、今まさに旗艦ヴィクトリー号で総指揮を執っているヴィットーリオの弟なんだぞ! しかもヴィットーリオは、俺との婚約を、一方的に破棄しやがったんだぞ!」
「慶事である」
「は?」
「だから、ヴィットーリオ姫の婚約破棄は、今世紀まれに見る英断だった。返す返すもめでたいことだ」
「わけわかんねえ」
俺は頭を抱えた。いや、婚約を破棄されたのは嬉しいが。だが俺は、そのヴィットーリオの弟のせいで神聖な結婚式をぶちこわされ、今まさに、愛するエルナを失いかけているわけで……。
「それで、ジョルジュ王子。貴国でのわが弟の様子はどうでしたかな? 詳しいことを聞かせてはもらえぬか?」
なぜかダレイオは、涎を垂らさんばかりだ。
「今はそれどころじゃないだろ!」
割り込んだが、無視された。
ジョルジュの目が輝いた。
「貴重な秘話ですよ? そうそうお話しするわけには参りません」
「そこをなんとか」
無言でジョルジュが首を横に振る。
「なら、これでどうだ? サハルの姿絵をやろう」
玉座の下から、俺の肖像画を取り出した。額が手垢で汚れている。きっと掃除が行き届いていないのに違いない。王の執務室だというのに困ったことだ。後日、掃除係をむち打ち刑に処してやろう。
それにしても、あんなに大きい肖像画を、よく玉座の下に入れておけたものだ。
うっとりとジョルジュの眼差しが宙を泳ぐ。
「婚約が成立した時に、姉が貰ったのの複写ですね。剣を下げたお姿の、なんと凛々しいことか!」
「複写? 馬鹿な。こっちがオリジナルだ」
「なんですと? 私の手元にある絵は複写だというんですか!」
「なぜ貴殿の手元に、サハルの肖像画が? あれは、ヴィットーリア姫に贈ったものだ」
「そちらこそなぜ、わが姉に、複写を寄越したんです?」
「オリジナルは私の物と決まっているからな!」
「ひ、卑怯な……」
ジョルジュの声が裏返った。
「そんな卑怯なことをする方に、我が国におけるサハル殿下の大切な秘話をご披露する訳には参りません!」
「ほほう。なら、これも追加しよう。少年だった頃の肖像画だ」
「……え?」
「幼児期のスケッチもある」
「なんと! サハル殿下のお子様時代の?」
ジョルジュがダレイオににじり寄っていく。二人の間に、ボロボロになった紙がちらりと見えた。
「よほど熱心に見返した跡が」
「惜しいが、背に腹は代えられぬ。サハルのインゲレでの生態が知りたいのだ」
「うわあ! レアものばかり!」
ジョルジュが歓声をあげた。
大量の紙片が玉座の下から出て来た。どの紙もひどく劣化していて、触れば崩れそうだ。あんなのが王座の下にあったなんて。もし万が一、王座にダニでも湧いたら、国威に関わる。掃除係は斬首だ。
「お話ししましょう」
あっさりとジョルジュが初志を翻した。
なぜか俺の背筋に寒気が走った。
「たとえば、サハル殿下は、カランの実がお好きで」
「なんと。あのような酸っぱいものを?」
「ええ、夕食後に毎食、召されていました」
「よし。さっそくインゲレから、カランを大量に輸入するよう命じよう。もちろん苗も」
「おい、何をのんきなことを……」
俺は割り込んだ。だって、敵の艦隊が押し寄せてきているといるというのだ。
だが、全く相手にされなかった。ダレイオは話に夢中になっていて、何も聞こえていないようだった。
「こっちはスケッチもつけるのだぞ? 他には?」
「少年時代のと幼児期の絵、必ずですよ? サハル殿下は、ぴんと張ったシーツがことのほかお気に入りでした」
「ぴんと張った……シーツ?」
ダレイオにはイメージが湧かないようだ。
夜間が寒冷なエメドラードでは、シーツは獣毛の入った起毛製品が多い。一方、盆地が多いインゲレでは、吸湿性の高い、木綿のシーツが好まれる。
「ええ。インゲレでは、アルマドという木の樹液を採って、それからどろどろの糊を作るのです。それに布を浸すと、乾いた時に、独特の肌触りが得られます」
「ほう?」
「シーツを洗った後、この樹液に浸して、ぴんと張って干すと、乾いた時に、大層、肌に心地がよいのです」
「変わった習慣だの。だが、サハルは気に入ったのだな?」
「はい。殿下の御部屋係は常に、シーツに糊付けしておりました」
「アルマドの糊を、その部屋係ごと、わが宮殿に召し出そう。給金は、インゲレの十倍出すぞ」
「しかと申し伝えておきましょう」
「何、人のプライバシーを語ってんだよ!」
大声で俺は叫んだ。
「ジョルジュ、そんな細かいことまで、どうしてお前が知ってるんだよ!」
私生活を覗かれていたようで、なんだか気持ちが悪い。答えたのはダレイオだった。
「愛する人のことは、どんなに些細なことでも知りたいものだ」
「そうですよ、サハル殿下。それが人間のサガというものです」
すかさずジョルジュが付け加える。
ダレイオの目がぴかりと光った。
「さっきから気になっていたのだが……。ジョルジュ王子。貴殿、まさか……」
「ええ、御推察の通りですよ、ダレイオ殿下。そもそも、ですよ?」
ジョルジュの目が、妖しく輝いた。
「サハル殿下の結婚相手は、姉ではなく、私だった筈!」
「サハル本人が嫌がったのだ」
ダレイオが返した。いささか食い気味だった。
「なるほどね。ふふん」
人の悪い笑みを、ジョルジュは浮かべた。ダレイオの言うことなど、ちっとも信じていない様子だ。
ダレイオの言ったことは事実だ。何度も言うように、インゲレの王女があんなアマゾネスだったなん思いもしなかったらな!
「それでもやっぱり、結婚するなら女とだろ、フツー」
「……」
「……」
ダレイオとジョルジュが雁首揃えて俺を見た。
何事もなかったかのように、ジョルジュが話題を戻す。
「ですが、まあ、部屋係はお譲りしましょう。私からの二重スパイだと思って頂いて結構です」
「無視かよ!」
「ぐぬぬ。だが、シーツに糊付けの秘儀は必要だ。そうだ。やり方を聞いたらその部屋係は殺してしまえばよいのだ」
「止めろ! 彼女はいい人だ!」
無視された怒りも忘れ、思わず俺は叫んだ。あの部屋係には、インゲレにいた頃、どんなに世話になったことか。まさに、献身的なお世話係だった。寝苦しい夜など、俺が寝付くまで、うちわで扇いでいてくれたんだぞ。
それなのに、ダレイオの目が、すう―っと細くなった。
「彼女……。女か?」
「ご安心を、ダレイオ陛下。還暦をとうに過ぎた婆でございます」
「さすがジョルジュ王子。やることにそつがない」
アホらしくなってきた。とりあえずインゲレで世話になった部屋係の無事は確保できたようなので、俺は足音を忍ばせて、外へ出た。
王はジョルジュに任せておけばいい。今はとにかく、メラウィー港沖にいる、敵の大艦隊を殲滅しなければならない。
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