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1 悪役令息

4.十月十日《とつきとおか》前

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ホライヨンの泣き声があまりにすさまじかったせいだろうか。エルナの部屋から幻聴が聞こえる。子どもが中で泣いている……。

「エルナ?」

恐る恐る中へ入ると、ベビーベッドのそばにいた女性が、ぱっと立ち上がった。
? 
ベビーベッド?

「まあ! サハルじゃないの! いつ帰って来たの? 陛下ダレイオは、大隊に砲兵連隊を追加してインゲレへ迎えにやるって言ってたけど」
「大隊に砲兵連隊だと? 戦争を仕掛けるつもりか!」

俺は呆れた。インゲレとは講和が成立したばかりだというのに。もっとも、その講和は俺がぶち壊してきたわけだが。

「軍の迎えなど必要ない。インゲレ王室の厩から、一番いい馬を失敬してきたからな」

銀色に輝く珍しい馬だ。馬力があって、動作も俊敏、こんな馬は見たことがない。ついでだから雌雄で連れ帰って来た。エメドラードで繁殖させるつもりだ。

「それより、さっきから気になっていたんだけど……なぜ君の部屋にベビーベッドが?」
「赤ちゃんがいるからよ」
「あかちゃん?」
「そおよ。見る?」
「いや、その……」

俺が何か言おうとしたその時、ベッドの中から、ふぎゃふぎゃという猫の子の声のようなものが聞こえて来た。

「あら、坊や、起きちゃったの。うるさかった? ごめんねえ」
優しい声で囁き、エルナは屈みこみ、ベッドの中から赤ん坊を抱き上げた。
「ルーワンというの。かわいいでしょ?」

「あ、まあ」
真っ赤になって泣きわめいている赤ん坊をかわいいと言うなら。

「抱いてみる?」
「む、むり……」

今までの生涯で、俺は一度だって、赤ん坊など抱いたことがない。触ったことさえない。あんなふにゃふにゃした物体に触れるなど、考えただけで恐ろしい。それなのにエルナは、両手両足を振り回して暴れる赤ん坊を、俺に押し付けようとした。

「ほら、ルーワン。パパでちゅよぉ」
「えっ!」

驚いたはずみで、思わず赤ん坊を受け取ってしまった。
サイズのわりに意外と重く、そうか、この中に、骨だの筋肉だのが、みっしり詰まっているんだなと納得できた。
って。

「パパ? 俺が?」
「そおよ。他に誰がいるっていうの?」
「いや。あの、エルナ? 君、いつこの子を産んだの?」
「貴方がインゲレへ旅立った次の日よ」

いささか恨めし気に聞こえなくもない。
俺は素早く計算した。
確かに心当たりがある。

「あの時の子かあ!」
「そおよ。朝の紫陽花が、きれいだったわね」
「そうだったか?」
「まあ、忘れたの?」
「いや……。だって、君、避妊してるって言ったじゃないか」

その頃には、ヴィットーリアとの婚儀が決まっていたから、妊娠には充分、気を付けていたはずなのに。

「でも、できちゃったの」
「……」

俺の子かあ。
赤いサルのように見えていた赤ん坊が、急にかわいく見えて来た。

「だが、随分小さいな」

俺がインゲレへ向かった次の日に生まれたのなら、すでに生後半年は経過しているはずだ。それにしては、小さい。赤くて皺くちゃで、なんだか生まれたてのように見える。

「成長が遅いのよ。父親がそばにいなかったから」

エルナがズバリと言い、俺は項垂れた。

「す、すまなかった……」
「いいのよ、サハル。インゲレ王女との婚姻は、国策ですもの。貴方は国の為に身を捧げたのよ」

かつてつき合っていた女性の、あまりの健気さに、俺はいいようのない感情を感じた。怒りにも似た激しい感情だ。

「君が妊娠していると知ってたら、ヴィットーリアとの結婚は断った!」

それなのに俺は、彼女の妊娠に気がつかなかった。
エメドラードを出る直前まで、俺は毎日のように、エルナに会いに来ていたというのに。そして、俺の様子を探りに来ていた隣国インゲレ大使の隙あらば、彼女を抱いていたというのに。
なんだか俺、すげぇゲスじゃね?

「やっぱり、気がつかなかったのね?」
「うん……。ごめん……」

臨月になっていても、気がつかなかったとは。我ながら、当時の自分をぶん殴ってやりたい。

「いいのよ。貴方はヴィットーリア姫との結婚に夢中だったんですもの」
エルナが罪悪感のど真ん中を突く。

「す、すまなかった……」
「平気。それに、女の人の中には、妊娠がわかりにくい人がいるの。私はそうだったみたい」
「本当にごめん」
俺はますます深く項垂れるばかりだ。

「ちっとも怒ってないわ。ねえ、顔を上げて。ルーワンを見てあげてよ」

俺の腕の中で、赤ん坊はいつの間にか眠ってしまっていた。

「やっぱり実の父親に抱かれていると、坊やも安心するのね」
しみじみとエルナが言う。

俺は決意した。
男の責任とやらを取らねばならない。

赤ん坊を抱いたまま、両足を踏ん張った。声に力を入れ、一言一言、口にする。精一杯の誠意を込めて。

「順序が逆になってしまったが、エルナ。結婚しよう。二人でルーワンを立派に育てて行こう」

「まあ、嬉しい」
エルナの両眼から涙がこぼれた。

「嬉しいのは俺の方だよ。こんなにひどい仕打ちをしたのに、君は非難めいたことは一切言わず、それどころか、一人で立派に出産し、俺にこんなに愛らしい息子を授けてくれた。君ほど素晴らしい女性は他にいない。どうかぜひ、俺のものであっておくれ」

「もちろんよ、愛しい人」

涙にぬれた顔で、エルナはにっこりと笑った。
違った。
涙はとっくに乾いていた。してみると彼女は、殆ど泣いていなかったのだろう。もしかすると、さっき見た涙は見間違いだったのかもしれない。
さすがエルナだ。俺は、湿っぽい女は嫌いだ。







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