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19 ごめんなさい
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フランツの説得があったのだろうか。ヴァーサ公は、皇妃の勧めに従い、バーデン大公の身内を妻に迎えた。奇しくも彼女は、フランツと同い年、そして、ナポレオンが遅くに迎えた養女が産んだ娘だった。
「君はそれでいいの? 本当に、それでいいの?」
ヴァーサ公とバーデン大公女の結婚を知ったフランツは、ゾフィーを問い詰めた。
「ええ」
ゾフィーは微笑んだ。
「ヴァーサ公は、君を愛している。君だって……」
「あなたは、彼に言ったわ。オーストリアを傷つけてはならない、って」
「それは、」
フランツの顔が赤らんだ。大きく息を吸い、何か言おうとした。
すぐに、しゅんと項垂れた。
「ごめん、ゾフィー。僕は、オーストリアを愛している。オーストリアの為なら、全世界に剣を向ける覚悟がある。フランス以外は。だが、君にそれを強要したことは、間違いだった」
「間違いじゃないわ。私は、オーストリアの大公妃よ」
「君は、君だ」
「私はね」
ゆっくりと、ゾフィーは言った。
「私は、一人でも男の子を産んだら、この国への義務は、果たしたことになると、考えていたの。生まれた子どもを宮廷に残して、出ていけばいい。そう、思っていたの。もし、彼が望むなら、グスタフと一緒に」
「ヴァーサ公は、今でもそれを、望んでいるよ」
優しい声だった。
ゾフィーは、首を横に振った。
「いいえ、フランツル。違ったの」
「違った? 何が?」
「出産前に想像していたのを、遥かに超えて、子どもは、可愛かった。彼が、愛しい。私は、フランツ・ヨーゼフを裏切れない。決して」
グスタフ・ヴァーサとの不義が公になれば、たとえそれが、フランツ・ヨーゼフ出産後の不倫であっても、ゾフィーがウィーン宮廷に残ることは、難しいだろう。
彼女は、宮廷から追放される。
永遠に。
「子どもを残して出ていく。あの子を誰かに託して、育ててもらう。そんなこと、私には、到底、できはしない」
「ゾフィー……」
「フランツル。あなたが……」
ふいに、ゾフィーの声が裏返った。
「あなたが、そんなに孤独で悲しいのに、私が、自分の子どもを裏切れるわけ、ないじゃないの!」
一息で言って、肩で大きく呼吸をした。
「ごめんなさい、フランツル。私は、あなたのお母様が、嫌い。小さな子どもだったあなたを、省みなかったマリー・ルイーゼ様を、軽蔑するわ!」
フランツの顔が歪んだ。
「母上の悪口は、言わないで。……ゾフィー、君まで。お願いだ」
「そうよ。あなたは、いつも、そう言うの」
泣き笑いの表情を、ゾフィーは浮かべた。
「私は不思議に思うわ。いったいどうして、マリー・ルイーゼ様は、あなたを放っておくことができたのかしら。健気なあなたを置き去りにして、どうして、他の男なんかに、夢中になることができたの?」
「ゾフィー!」
ゾフィーの背を、フランツは抱いた。長身を屈め、その肩に、顔を埋める。
眼の前に現れた金色の巻き毛を、ゾフィーは優しく撫でた。
「それでも、母上のことを悪く言うのは……いやだ」
くぐもった声が、主張した。
「だから、最初に謝ったでしょ? ごめんなさいって」
「……うん」
肩に押し付けた顔を、ぐりぐりとこすりつけてくる。
「子どもみたい」
ゾフィーは笑った。
「うん」
フランツは答えた。
「君はそれでいいの? 本当に、それでいいの?」
ヴァーサ公とバーデン大公女の結婚を知ったフランツは、ゾフィーを問い詰めた。
「ええ」
ゾフィーは微笑んだ。
「ヴァーサ公は、君を愛している。君だって……」
「あなたは、彼に言ったわ。オーストリアを傷つけてはならない、って」
「それは、」
フランツの顔が赤らんだ。大きく息を吸い、何か言おうとした。
すぐに、しゅんと項垂れた。
「ごめん、ゾフィー。僕は、オーストリアを愛している。オーストリアの為なら、全世界に剣を向ける覚悟がある。フランス以外は。だが、君にそれを強要したことは、間違いだった」
「間違いじゃないわ。私は、オーストリアの大公妃よ」
「君は、君だ」
「私はね」
ゆっくりと、ゾフィーは言った。
「私は、一人でも男の子を産んだら、この国への義務は、果たしたことになると、考えていたの。生まれた子どもを宮廷に残して、出ていけばいい。そう、思っていたの。もし、彼が望むなら、グスタフと一緒に」
「ヴァーサ公は、今でもそれを、望んでいるよ」
優しい声だった。
ゾフィーは、首を横に振った。
「いいえ、フランツル。違ったの」
「違った? 何が?」
「出産前に想像していたのを、遥かに超えて、子どもは、可愛かった。彼が、愛しい。私は、フランツ・ヨーゼフを裏切れない。決して」
グスタフ・ヴァーサとの不義が公になれば、たとえそれが、フランツ・ヨーゼフ出産後の不倫であっても、ゾフィーがウィーン宮廷に残ることは、難しいだろう。
彼女は、宮廷から追放される。
永遠に。
「子どもを残して出ていく。あの子を誰かに託して、育ててもらう。そんなこと、私には、到底、できはしない」
「ゾフィー……」
「フランツル。あなたが……」
ふいに、ゾフィーの声が裏返った。
「あなたが、そんなに孤独で悲しいのに、私が、自分の子どもを裏切れるわけ、ないじゃないの!」
一息で言って、肩で大きく呼吸をした。
「ごめんなさい、フランツル。私は、あなたのお母様が、嫌い。小さな子どもだったあなたを、省みなかったマリー・ルイーゼ様を、軽蔑するわ!」
フランツの顔が歪んだ。
「母上の悪口は、言わないで。……ゾフィー、君まで。お願いだ」
「そうよ。あなたは、いつも、そう言うの」
泣き笑いの表情を、ゾフィーは浮かべた。
「私は不思議に思うわ。いったいどうして、マリー・ルイーゼ様は、あなたを放っておくことができたのかしら。健気なあなたを置き去りにして、どうして、他の男なんかに、夢中になることができたの?」
「ゾフィー!」
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くぐもった声が、主張した。
「だから、最初に謝ったでしょ? ごめんなさいって」
「……うん」
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「子どもみたい」
ゾフィーは笑った。
「うん」
フランツは答えた。
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