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6 奥様?

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 ゾフィーが彼を、舞踏会や観劇のエスコート役に指名することが多くなっていった。


 フランツと一緒だと、ゾフィーは、いつも楽しかった。芝居の感想やオペラ歌手の技量など、彼とは話もよく合った。フランツと一緒だと、ゾフィーは、ふっと、気が抜けるのを感じた。宮廷で、自分がいかに気を張って生きているのかを、改めて自覚する。

 ……フランツルもそうなら、嬉しいのだけれど。


 色物の演劇もいいが、正統派のオペラも楽しかった。
 舞台の歌声をじっと聞き入っていり、時折、感に堪えないといった風に、隣に座っているフランツの膝を叩いてみる。
 最初は戸惑っていたフランツも、この頃は、平然としているようになった。ゾフィーの手が膝に触れても、ぴくりともしない。
 それがちょっと、ゾフィーにはつまらない。こっそり様子を窺うと、耳たぶが真っ赤になっているのが見えた。
 大いに、ゾフィーは満足した。



 オペラがはねると、一般客に混じって、馬車に向かう。フランツが腕を直角に曲げ、肘の下辺りに、ゾフィーが手を添えている。
 時々、二人の正体を知る者が、ぎょっとしたように立ち止まった。だが、彼らは、詮索するような野暮はしない。不躾にならぬように視線をそらし、そっと通り過ぎていく。


 「少し踊りたいの」
フランツのエスコートで並んで歩きながら、ゾフィーは言ってみた。
「体を動かしたいの」

「でも、今から踊りに行ったら、帰りは夜中になってしまう。またにしようよ」
まるで妹に対するように、フランツがなだめる。ゾフィーは、むっとした。
「大丈夫よ。そんなに遅くならないわ。今日は、嫌なことがあったの。くさくさするわ。つきあってよ、フランツル」
 ゾフィーが何に「くさくさ」しているか、フランツには、だいたい予想がついたようだ。


 ゾフィーは、なかなか妊娠しなかった。まだ若いのだから焦ることはないと思っていたし、皇帝もそう言って下さる。だが、周囲の目は、厳しくなる一方だった。
 今日も、皇妃……ゾフィーの異母姉……カロリーヌが、とんでもないことを言い出した。

 「牛乳や卵をたくさん食べたらいいんじゃないかしら。あまり早起きしないで、体をゆっくり休めて。そうだ! 最近妊娠された方の、を聞くといいわ。私が探してきて、紹介してあげる」

 皇帝の年齢を考えれば、異母姉カロリーヌが妊娠することは、もう、ないだろう。だからこそのおせっかいだということはわかっていた、
 それでも、うっとおしかった。脅迫めいた嫉妬さえ感じる。妊娠できる環境で妊娠しないのは、怠慢であると糾弾されているような気が、ゾフィーはするのだ。
 実の姉という遠慮のなさが、より一層、逃げ場がなかった。


「でも、叔父上が心配なさるでしょ? 愛する奥方が、こんなに遅くまで出歩いていては」

 優しい声が、穏やかに諭した。フランツは、F・カール大公ゾフィーの夫の気持ちを思いやっている。

「あの人の話はしないで」
ぴしゃりとゾフィーが言い返した。

「あの人って、貴女の夫君じゃないか」
「今はあなたといるの、フランツル」
「誰といたって、夫は夫だと思うけど……」


 「失礼、ライヒシュタット公でいらっしゃいますね」

 呼びかけてきた貴公子があった。フランツより、2つ3つ、年上だ。隣に、若い令嬢を連れている。
「僕は、モーリツ。モーリツ・エステルハージです」

 エステルハージ家は、オーストリア有数の貴族である。

「……あっ!」
 不意に、モーリツが連れていた令嬢が、短い声を挙げた。髪を高々と結い上げた、ひどく若い女の子だ。腰を締め上げたドレスが、体のラインを際立たせて見せている。

 彼女は、驚愕の眼差しで、ゾフィーを見つめていた。
 憮然として、ゾフィーは視線をそらせた。

 棒立ちのままの令嬢の腕を、モーリツが強めにつついた。はっと我に返った令嬢を指し示し、彼は言った。
「こちらの女性は……、まあ、いずれそのうち、ご紹介することがあるかもしれません。彼女の無礼をお許し下さい、マダム。素敵なオペラでしたね。お楽しみになりましたか?」

 曖昧にゾフィーは頷いた。
 モーリツが、にっこり笑った。

「では、僕たちは、ここで失礼致します」


 だが彼は、動かなかった。立ち止まったまま、フランツの目を、しっかりと見据えた。
「一度、ライヒシュタット公に、ご挨拶を申し上げたくて。父に頼んでも、なかなか仲介の労を取ってくれないものですから。ご機嫌よう。……いずれまた、お会い出来る日を、楽しみにしています」


 「なあに、あれ」
二人が立ち去ると、ゾフィーは言った。むっとしている。
「あの子のドレス、胸を強調しすぎだわ。唇と頬の色も不自然に赤いし。みっともないったら、ありゃしない」

「あれが、今年の流行らしいです」
 フランツが答えた。確信は無さ気だった。
「ゾフィー。今夜はもう、帰ろうよ」

「えっ! 踊りに行くって、言ったじゃない!」
「言ってないよ」

 モーリツ・エステルハージは、フランツと近づきになりたくて声を掛けてきたのは、明らかだった。高位の貴族であり、年齢も近い彼なら、フランツの良い友達になるだろう。
 連れの女の子は、全くもって、ゾフィーの気に入らなかったが。
 フランツが早く帰ろうと促すのは、大公妃としてのゾフィーの立場を慮ってくれているのは明らかだった。
「早く帰らないと、僕、ディートリヒシュタイン先生家庭教師の先生に、叱られる」

「ディートリヒシュタイン先生? ですって?」
ゾフィーは柳眉を逆立てた。
「夜歩きは、体に悪いって、先生、言うんだ」
申し訳なさそうに、フランツが眉を寄せる。
「朝も、早く起きられなくなるし。皇帝との朝食に遅れるからダメだって、先生が」

「……まったく、あの先生は、あなたの奥様なのかしら」
ため息とともに、ゾフィーは言った。
「それも、とっても口うるさい……」

「奥様?」
「そうよ」

 広い額、正しい姿勢、謹厳実直なディートリッヒシュタイン伯爵が、ドレスを着てシナを作っている姿を、二人は、思い浮かべた。

 二人同時に、爆笑した。







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