万葉の軍歌

せりもも

文字の大きさ
上 下
18 / 22
万葉の季節

18 万葉集 最後の歌

しおりを挟む

 「ところで、『万葉集』の最後の歌って、知ってますか」

 桐原の弟が尋ねた。
 ものすごく真剣な目をしていた。

「知らない」

 正直に俺は答えた。
 家持の役割さえよく知らなかったのだ。どこにどの歌があるかなんて、知るわけがないではないか。

 弟は笑い出した。
 すぐにまじめな顔になって、暗唱した。


「新しき年の始の初春の今日振る雪のいや吉事よごと

(新しい年の初めの、初春の今日を降りしきる雪のように、いっそう重なれ、吉いことよ)


「家持、最後の歌です」
「死ぬ前に作った歌なの?」
「橘奈良麻呂の乱と、宿奈麻呂の乱の間に、この歌は詠まれました。家持は、不惑になったくらいの年齢です。彼は、60歳代中頃まで生きましたから……」
「残り四半世紀の間、歌を詠まなかったわけか」

 家持が、歌を見限るなんて。

「この後の家持は、大伴家の重鎮として責任も重く、常に政界復帰を睨みながら、にも拘らず、相変わらず、安積親王の甥氷上川継の乱に連座したりしています」


「家持の最後の歌が、『万葉集』の最後にあるのは、何か、意味があるのかな」

 思わず俺は口にした。

 意味があるとして、この歌を最後に配したのは、誰の意思か。
 家持?
 それとも、彼の死後、『万葉集』をまとめ上げた誰か……?


「これは、しゅだと思うのです」

そういう桐原の弟の声は暗く、どこか異界から届いているかのようだった。

「我々を恨んでくれるなよ。この日の本の国へ、災いをなしてくれるなよ。そういう願いを込めて、この歌は、『万葉集』の巻末に置かれたのではないでしょうか。いわば、家持の棺の上に置かれた重しのようなものです」


「いやしけよごと」

 俺はつぶやいた。妙に印象的な言葉だ。
 桐原の弟が目を上げた。

「ええ。永遠の寿ことほぎの言葉です」
「寿ぎ? 呪じゃなかったのか?」

 桐原の弟は、まっすぐに、俺の目を見据えた。

「言葉には魔力があります。でも、いやしけよごと。これは、家持自身の言葉です。しかも、平和を寿ぐ言葉だ。それゆえこの歌は、家持自身の怨念を封じる役割を果たしている」


「『呪い』と『祝う』は、似ているね。字が」

 思いついたことを、僕は言ってみた。たいして意味もない。情報量が多すぎて、それくらいしか反応ができなかったのだ。

 桐原の弟は目を丸くした。
 ややあって、彼はつぶやいた。

「さっき吉塚さんは、家持は、残りの人生を、歌を詠まないで過ごしたといいました。でも、僕は違うと思います」
「違う?」

 思わず俺は鸚鵡返した。
 桐原の弟は頷く。

「家持ほど饒舌に言葉を操る人が、言葉と無縁に生きていけるわけがない。いいえ。家持は、生涯に亘って、歌を詠み続けたはずです。ただしそれは、後世まで伝わっていない」
「……消されたのか? 後の為政者に」

 安積皇子や彼の姉君達のように。

「家持の最後の歌は、豊葦原の瑞穂の国を賀するものでなければならない。決して、反逆思想や謀反の気持ちをこめたものであってはならない。そう考えた人がいたということです」


 家持、後半生の歌は消され、残された歌は、恣意的に利用された。
 軍歌に。
 そして、日本の青年達を大勢、死へと導いた。

 今、冥界で、家持は、何を思っているだろうか。
 それとも、「いやしけよごと」の歌が重すぎて、身動き一つ、できないでいるのだろうか……。







☆――――――――

*巻二〇 4516(現代語訳も)






しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

勝利か死か Vaincre ou mourir

せりもも
歴史・時代
マレンゴでナポレオン軍を救い、戦死したドゥゼ。彼は、高潔に生き、革命軍として戦った。一方で彼の親族は、ほぼすべて王党派であり、彼の敵に回った。 ドゥゼの迷いと献身を、副官のジャン・ラップの目線で描く。「1798年エジプト・セディマンの戦い」、「エジプトへの出航準備」、さらに3年前の「1795年上アルザスでの戦闘」と、遡って語っていく。 NOVEL DAYS掲載の2000字小説を改稿した、短編小説です

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

ライヒシュタット公とゾフィー大公妃――マクシミリアンは誰の子?

せりもも
歴史・時代
オーストリアの大公妃ゾフィーと、ナポレオンの息子・ライヒシュタット公。ともに、ハプスブルク宮廷で浮いた存在であった二人は、お互いにとって、なくてはならない存在になっていった。彼の死まで続く、年上の女性ゾフィーへの慕情を、細やかに語ります。 *NOVEL DAYSに同タイトルの2000字小説(チャットノベル)があります *同じ時期のお話に「アルゴスの献身/友情の行方」がございます。ライヒシュタット公の死を悼む友人たちと従者の物語です。 https://www.alphapolis.co.jp/novel/268109487/427492085

鈍亀の軌跡

高鉢 健太
歴史・時代
日本の潜水艦の歴史を変えた軌跡をたどるお話。

最終兵器陛下

城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
黒く漂う大海原・・・ 世界大戦中の近現代 戦いに次ぐ戦い 赤い血しぶきに 助けを求める悲鳴 一人の大統領の死をきっかけに 今、この戦いは始まらない・・・ 追記追伸 85/01/13,21:30付で解説と銘打った蛇足を追加。特に本文部分に支障の無い方は読まなくても構いません。

帰る旅

七瀬京
歴史・時代
宣教師に「見世物」として飼われていた私は、この国の人たちにとって珍奇な姿をして居る。 それを織田信長という男が気に入り、私は、信長の側で飼われることになった・・・。 荘厳な安土城から世界を見下ろす信長は、その傲岸な態度とは裏腹に、深い孤独を抱えた人物だった・・。 『本能寺』へ至るまでの信長の孤独を、側に仕えた『私』の視点で浮き彫りにする。

処理中です...