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万葉の季節
10 思ふ子
しおりを挟む「防人の歌は、家持のクーデターだった……」
呆然と、俺はつぶやいた。それまでは、爆然と、大伴家持は、ひ弱な文人だと思っていたのだ。
「あの素朴な歌の数々に触れたら、誰だって、心を動かされずにはいられません。彼らの過酷な任務。残された家族の悲惨な境遇。それに、想いを馳せないではいられないでしょう」
出来上がった歌集を、為政者に奉ったら……。
それは、君主の心を刺すだろう。
平気でいられたら、君主の資格はない。
だが、聖武は死んでしまった。それから、家持はどうしたのだろう……。
「兄は、あまりにロマンティストでした。政変よりもむしろ、万葉の相聞歌を愛していました」
遠い目をして、桐原の弟はつぶやいた。
「ああ、駿河の浜で、親の言いつけに背いて出てきた娘と、どうこうしたという歌を、聞かされた」
思い出して言うと、彼は、ほんのり笑った。
それで、ちょっとからかってみる気になった。
「君も、好きな歌があるのかい?」
「……」
少しためらい、結局、弟は口ずさんだ。
「ひさかたの雨は降りしく思ふ子が宿に今夜は明して行かむ」*
(空をこめて雨は降り続きます。それも一興、恋しい子の家に今夜は夜を明かしていきましょう)
「安積皇子の話をしていいですか?」
歌が終わると、桐原の弟は言った。
「安積皇子?」
俺は鸚鵡返す。
さっきちょっと話に出たと、思い出した。
早くに亡くなった、聖武の皇子だ。
確か側室腹の方だ。
何かに憑かれたように、桐原の弟は語り始めた……。
☆―――――――
*巻六 1940(現代語訳も)
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