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アルゴスの献身 3

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 モルが自分の不調に気がついたのは、ライヒシュタット公の闘病末期のことだった。病室の籠った空気のせいか、変に悪心を感じたのが始まりだった。体に力が入らず、物を食べようとすると、吐き気がする。

 ここで自分が看護の任から外されたら、大変なことになる……。それだけを、モルは、気に病んだ。ライヒシュタット公の最期の日々に、本当の意味で、彼と会話を交わせたのは、モルだけだったからだ。

 プリンスは、当初は、皇帝祖父の犬と、モルら補佐官を貶んでいた。シェーンブルン宮殿に移ってからも、モルたちの言うことを聞こうとしなかった。病人は、ひっきりなしに外出したがり、それは確実に、病状を悪化させた。

 ついに彼を叱りつけ、外出を禁じたのは、モルだった。

 モルは、身を尽くして、プリンスの看護をした。汚れ物の始末さえ、厭わなかった。それは、軍人の仕事ではなかった。けれどモルは上官に対する敬意をもって、この任を遂行し続けた。

 モルの献身が伝わったのか。プリンスは時折、心の深みを垣間見せてくれることがあった。
 死期の近づいたある晩のことだった。彼は、モルの手を取って、子どものような声で、感謝の気持ちを囁いた。





 ついにライヒシュタット公が力尽きたのは、先月(1832年7月)22日。暑い夏の日の、早朝のことだった。

 皇帝夫妻は、リンツでの会議に出席していた。祖父であられる皇帝に、ライヒシュタット公の死を知らせるのは、モルの役目だった。彼は、一日中馬を走らせて、リンツの皇帝の元へ、報告に行った。

 「悪い知らせなのだな」
 モルの姿を見ると、皇帝は言った。
「ウィーンに帰ったら、あの子に会いたいと望んでいた。彼に望みがないことはわかっていた。しかしもう一度、生きている彼に会いたかった」

「非常な苦しみであったにも関わらず、プリンスにおかれましては、最後の数週間は、純粋な、彼本来のお姿であられました」

 モルは奏上した。自分の手を握り、感謝の気持ちを伝えてきた、プリンス。子どものような、その、物言い。
 涙が、皇帝の老いた頬を、静かに伝った。

「死は、あの子にとって、希望であり、祝福でさえあった」

 この不思議な言葉を、モルは聞き流した。
 死の間際の苦しみを、間近で見てきたからだ。あの苦しみから逃れることができるのなら、確かに死は、救済だ。

 静かに、皇帝は、涙を拭った。
「教えて欲しい、モル男爵。あの子は、キリスト教徒として死んだのだろうか?」

「最後の日々におかれては、プリンスは、とても柔らかくなられました。彼本来の、穏やかで優しい性格が出てきたものと思われます。ご臨終には、お母上のマリー・ルイーゼ様と、叔父君のフランツ・カール大公が、立ち会われました」

 深い溜め息を、皇帝は吐いた。
「あの子の死は、あの子自身と、わが王朝……両方にとって、本当に不幸だったのか。それを、考えずにはいられない」

 モルは、混乱した。プリンスの死は、プリンスにとって、不幸なことだ。ハプスブルク家にとっても、大変な損失だ。それなのに皇帝の口ぶりは、まるで、孫の死は、彼にとっても、宮廷にとっても、よいことだった、とでも言いたげだ。さらに、皇帝は付け加えた。

「あの子の不幸な性格は、その中に、悪の存在が内在することを予感させた」


 不可解な会見だった。

 葬儀が終わった今も、モルは考え続けている。あの年齢にありがちな、エゴイズムと強情さを、プリンスもまた、持ち合わせていた。しかしそれは、青年期の一過性の傾向であって、「悪」とまで言い切れるものではない。

 ……ナポレオンの息子だったから?

 皇帝は最後まで、その事実を、許せなかったのだろうか。最愛の娘を、ナポレオンに嫁がせたことを。死してなお、そしてプリンスが死ぬまで、ナポレオンは、わが子の人生を支配し続けたというのか。

 なるほど、ナポレオンというのは、悪鬼だったのだと、モルは、身に染みて理解した。






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