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悪友たち
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ライヒシュタット公。
皇帝の孫で、ナポレオンの息子である。れっきとしたオーストリアのプリンスでありながら、彼は、かつての敵の息子だった。
オーストリアの宰相メッテルニヒは、この複雑な立場のプリンスを、ウィーン宮廷から一歩も出さなかった。
彼は、黄金の檻に囚われた高貴な囚人だった。
ハプスブルク家の宮廷で、彼が親しくしていた友人が、モーリツ・エステルハージと、グスタフ・ナイペルクだった。
エステルハージ家はオーストリアでも一、二を争うほど高位の家柄で、由緒正しいハンガリー貴族だ。その子息であるモーリツは、しかし、評判が悪かった。彼は遊び人だったのだ。
モーリツは、プリンスより4つ年上だ。その分、女性経験が豊富だと自負していた。もっともハプスブルクの帳に覆われて暮らしているプリンスより経験が少ないなどということはありえなかったのだが。
そういうわけで、深窓の貴公子に楽しい遊びを教えるのが自らの義務だと、モーリツは考えた。彼は、家庭教師の監視を突破し、途中からつけられた軍の付き人を撒いて、プリンスを遊びに連れ出した。
もう一人の友人、グスタフ・ナイペルクは、ライヒシュタット公たは幼い頃からの付き合いだった。亡くなった父親が、パルマ領主となった彼の母と秘密裏に結婚していたから。
この結婚は貴賤婚であり、正式には認められていない。二人の間には男女二人の子どもが生まれた。その子たちは、異母ではあるが、紛れもないグスタフの弟妹だ。
もちろん、グスタフとライヒシュタット公は、一滴も血が繋がっていない。
ナポレオンとの間に生まれた幼い息子を自分の父である皇帝に託し、プリンスの母は、パルマへ旅立っていった。彼が5歳になる直前のことだった。
なかなかウィーンへ帰って来ない母を、プリンスは待ちわびて暮らした。
その間、遠いイタリアで、彼の母は、ナイペルクとの間の子どもを、何度も身籠っては出産、あるいは流産していた。2回の出産は、遠いセント・ヘレナでナポレオンがまだ生存中のことだった。
プリンスは、母の再婚も、自分に幼い義妹弟がいることも知らされていなかった。母の夫となったナイペルク(グスタフの父だ)が死の間際に皇帝に書き送った手紙で始めて知った。
プリンスは18歳だった。
我が父の非道に憤慨し、グスタフはプリンスの味方になることを誓った。
偶然、二人は同い年だった。
そしてまた、父のナイペルクの血を引いて、グスタフも遊び好きだった。
どちらかというと、モーリツ・エステルハージもグスタフ・ナイペルクも、プリンスの悪友だといえた。
ウィーンの悪所は大抵知り尽くしていると噂される二人は、プリンスをあちこち連れ回した。
人気の女優の楽屋へ連れて行ったり、知り合いの貴族の娘の家で夜通し踊りまくったり。
あのナポレオンの息子にしては、プリンスはひどく奥手だった。女優は彼の心を惹くことができず、モーリツが紹介した令嬢は、一度はプリンスの心を捉えたが、彼はモーリツが一緒でなければ、決して彼女の邸を訪れることがなかった。そしていつの間にか、彼女の家を訪れることを止めてしまった。
しかし、これらは、メッテルニヒの警戒を招くに十分だった。
ライヒシュタット公が軍の実務に就く前後に、モーリツとグスタフは、続けて、イタリアへ追い払われてしまった。
1832年。
数年来、密かに咳と微熱に苦しんでいたライヒシュタット公は、とうとう、自分の病状を隠し切れなくなった。
彼は、結核に罹患していたのだ。
5月、風薫る美しい季節。
余命いくばくもない彼は、郊外の離宮、シェーンブルン宮殿へ移された。
皇帝の孫で、ナポレオンの息子である。れっきとしたオーストリアのプリンスでありながら、彼は、かつての敵の息子だった。
オーストリアの宰相メッテルニヒは、この複雑な立場のプリンスを、ウィーン宮廷から一歩も出さなかった。
彼は、黄金の檻に囚われた高貴な囚人だった。
ハプスブルク家の宮廷で、彼が親しくしていた友人が、モーリツ・エステルハージと、グスタフ・ナイペルクだった。
エステルハージ家はオーストリアでも一、二を争うほど高位の家柄で、由緒正しいハンガリー貴族だ。その子息であるモーリツは、しかし、評判が悪かった。彼は遊び人だったのだ。
モーリツは、プリンスより4つ年上だ。その分、女性経験が豊富だと自負していた。もっともハプスブルクの帳に覆われて暮らしているプリンスより経験が少ないなどということはありえなかったのだが。
そういうわけで、深窓の貴公子に楽しい遊びを教えるのが自らの義務だと、モーリツは考えた。彼は、家庭教師の監視を突破し、途中からつけられた軍の付き人を撒いて、プリンスを遊びに連れ出した。
もう一人の友人、グスタフ・ナイペルクは、ライヒシュタット公たは幼い頃からの付き合いだった。亡くなった父親が、パルマ領主となった彼の母と秘密裏に結婚していたから。
この結婚は貴賤婚であり、正式には認められていない。二人の間には男女二人の子どもが生まれた。その子たちは、異母ではあるが、紛れもないグスタフの弟妹だ。
もちろん、グスタフとライヒシュタット公は、一滴も血が繋がっていない。
ナポレオンとの間に生まれた幼い息子を自分の父である皇帝に託し、プリンスの母は、パルマへ旅立っていった。彼が5歳になる直前のことだった。
なかなかウィーンへ帰って来ない母を、プリンスは待ちわびて暮らした。
その間、遠いイタリアで、彼の母は、ナイペルクとの間の子どもを、何度も身籠っては出産、あるいは流産していた。2回の出産は、遠いセント・ヘレナでナポレオンがまだ生存中のことだった。
プリンスは、母の再婚も、自分に幼い義妹弟がいることも知らされていなかった。母の夫となったナイペルク(グスタフの父だ)が死の間際に皇帝に書き送った手紙で始めて知った。
プリンスは18歳だった。
我が父の非道に憤慨し、グスタフはプリンスの味方になることを誓った。
偶然、二人は同い年だった。
そしてまた、父のナイペルクの血を引いて、グスタフも遊び好きだった。
どちらかというと、モーリツ・エステルハージもグスタフ・ナイペルクも、プリンスの悪友だといえた。
ウィーンの悪所は大抵知り尽くしていると噂される二人は、プリンスをあちこち連れ回した。
人気の女優の楽屋へ連れて行ったり、知り合いの貴族の娘の家で夜通し踊りまくったり。
あのナポレオンの息子にしては、プリンスはひどく奥手だった。女優は彼の心を惹くことができず、モーリツが紹介した令嬢は、一度はプリンスの心を捉えたが、彼はモーリツが一緒でなければ、決して彼女の邸を訪れることがなかった。そしていつの間にか、彼女の家を訪れることを止めてしまった。
しかし、これらは、メッテルニヒの警戒を招くに十分だった。
ライヒシュタット公が軍の実務に就く前後に、モーリツとグスタフは、続けて、イタリアへ追い払われてしまった。
1832年。
数年来、密かに咳と微熱に苦しんでいたライヒシュタット公は、とうとう、自分の病状を隠し切れなくなった。
彼は、結核に罹患していたのだ。
5月、風薫る美しい季節。
余命いくばくもない彼は、郊外の離宮、シェーンブルン宮殿へ移された。
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