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転移前1

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「まるっきり異世界転移物で草」

 クラス中が嘗てない緊張感に包まれ誰もが言葉失う中、場に似つかわしくない軽薄な口調で現実味のない台詞を誰かが吐いた。自然とクラス中の視線が声主に集まる。もちろん俺もそいつに眼を向けた。

「な、なんだよみんなして。僕が何か間違ったことを言ったか!?突然、床が光ったと思えば何もない白い空間に居て、これから異世界に送り込むからスキルを選べって、まるっきり異世界ものじゃないか!?」

 視線が集まるとは思っていなかったのか。声主である清水は興奮気味に今俺たちが置かれている状況を口早に捲し立てる。それから何を思ったのか突然声高らかに「ステータス!」と叫び、数瞬の後に奇声とも呼べる歓声を上げた。そして口を閉ざし一心不乱に指先を動かす。目の前の何もない空を叩くように。

「やば、気狂《きちが》いじゃん」

 誰かが言った。あまり褒められた言葉遣いではないが俺もそう思う。どう見ても正気じゃない。けれども俺たちのように正常な感想を抱いた人間は少数派だったようだ。少し前まで同じように呆然としてただ白い床にへたり込んでいたクラスメイト達が次々に叫び出す。

「「「ステータス!!!」」」

(だからなに?それ)

 自分の名誉のために言葉の意味は分かるとだけ言っておこう。『status』——『社会的地位』を表す英単語のことだろ?だがしかしその言葉を叫ぶ意図が俺には分からない。

 突如光った教室の床、何処までも白い空間、聞こえて来た謎の声、清水を筆頭に始まった謎のコール。新興宗教立ち上げの場面に立ち会っているのだろうか。
 しかし自分だけがみんなと違う行動をしているというのは結構来るものがある。空気読み大国日本に生まれ育った者としての勘が警鐘を鳴らす。右に倣えと。

(あぁ、こうやって宗教は生まれたのか)

 多分そうだけど多分違う。意識を別方向に逸らしても状況が良くなるとは思えないので今は諦めて信徒の一人になってみよう。「ステータス!」。きゃぁ恥ずかし。

「お…?」

 原因不明の羞恥に悶えていると突如目の前に大量の文字列が浮かんだ。支えも何もないのに自立し浮かんでいる。新技術だろうか、新技術なのだろうな。何せつい先ほど教室の床が光ったのだから。度重なる不可解な事象の数々に一人納得して、件の文字列に眼を通す。そこにはこう書いてあった。

 <異世界を生き抜くためのスキルを各群から一つずつ選択しましょう>

 また文章の下にはそれぞれAランク、Bランク、Cランクと名付けられた三つの大枠と夥しい数の固有名詞が並んでいる。そして一番下には米印から始まる文章が。

 <※既に他転移者が取得したスキルを選択することは出来ません>

 有無を言わさず白い謎空間に放り込んだにしては丁寧な文章である。

(で、結局なに?この中から三つ選べばいいの?)

 まぁ俺にはさっぱりなわけだが。こういう時は理解していそうな人物に頼るのが一番だ。ということで謎の文字列から目を逸らしクラスメイト達に注意を向けた。そして驚愕する。明らかに名簿上の総数と視界に映る人間の数が一致していなかった。減っていたのだ。

 予想外の事態に作戦変更。取り敢えずは一番近くの人間に声を掛けるとしよう。明るい髪色にピアス、沢田かな。今思えば清水を気狂いと呼んだのは彼女なのかもしれない。近づいてもこちらの存在に気付く素振りを見せなかったので肩を叩く。

「ッ来るな!」

 しかし肩に触れた瞬間沢田は猫を想わせる俊敏さで距離を取り俺に向かって吠えた。え、変なとこ触ってないよな。肩と見せかけてお尻とかないよな。気分は痴漢の冤罪を掛けられた中年サラリーマン。

「あぁすまん、そこまで驚くとは…――」
「東雲ッ、あんたがそんな卑怯な奴だとは思わなかったよ!最低だ!」

 ――…思わなかった。言い切るより先に言われてしまった。しかも末尾に最低まで付けて。…あ、東雲って言います俺。東雲礼二。五十音順で席を決めているから沢田とは前後席の関係。だから良く話していた。割と仲良しだと思っていたので今の言葉には傷ついた。

「なんかしたかな俺」
「は?後ろからこっそり近づいてきといて惚ける気?」
「いやいや普通に近づいたよ、沢田が気づかなかっただけだろ。ストーカーのように言わないでくれ」
「いやいやいや、だとしてもだよ。今の状況で人に声掛けるってどういう神経してるわけ?信じらんない」

 え~そこまで言う?と喉元まで出かけた言葉を引っ込める。平常心を失っている状態の沢田に対してこれ以上語り掛けても無駄だ。周りに助けを求めようとした。しかしみんな俺ではなく沢田の理解者のようだったから。仲間外れだ。

「なんか…ごめん」
「分かったらさっさとあっちに行って」

 沢田に言われるがまま距離を取りもう一度手元を見る。しかし既にそこに文字列はなく、仕方なしにもう一度ステータスと叫んだ。再び現れる原理不明の文字列。目を凝らしてスキルであろう固有名詞を一つずつ確認する。

体力増強、危険察知、隠蔽、怪力。ふ~ん、で?

「分からんて…」

 だが分からない。これを押すとどうなるのだろう。なんかイライラしてきたな。何故俺に理解出来なくて他のみんなには理解できる。最初はみんな同じだったはずなのに。

(俺とみんな、何処から違った?)

 文字列を睨み考える。どの段階で俺は一人浮き始めたのだろうかと。
 授業中に教室の床が光った時か――違う、誰も何も出来ないまま光に吞み込まれていった。では白い空間に放り出された時か――これも違う、みんな状況が理解できずにただ呆然と立ち尽くすか座り込むしかなかった。

(ならば…)

 文字列から再び目を逸らしある場所を見つめる。そこには誰もいない。しかしそこは清水がいた場所だった。

(そうだ…あいつだ。清水が狂い始めてからみんなもまた狂い始めた)

 地に足が付く感覚がした。消去法で選んだ自他の分岐点。十数分遅れてはいるが皆と同じ道に戻ってきた確信があった。

(確かあいつは…)

 十数分前まで記憶を辿り清水の言動を思い出す。彼は”まるっきり異世界転移物でくさ”と言って次に”ステータス”と叫んだ。それから喜声を上げたかと思えば一転して真面目な面で空をタップし始め、今はもうこの場にいない。

(…ん、何故ステータスと?)

 やはり清水の言動が分岐点のようだ。彼は俺と違い事前知識があった。でなければ何も情報を与えられておらず右も左も分からない状況でピンポイントに”ステータス”という単語を当てられる…なんて奇跡起こり得ないから。
 そして他のクラスメイトにも清水ほどの精度ではないが同様の事前知識があった。清水の狂言を引き金に錆び付いていた知識を思い出す。事前知識がゼロなのは東雲礼二ただ一人。

「なら無理じゃん」

 何気なく沢田に話しかけた時とは違い目の前の問題は”解いておいた方が良い問題”から”解かなければならない問題”に変化している。しかしその問題は自力解答が不可能であり、また常識に則れば人に頼ることを許さない。この時人は…俺はどうするべきなのか。

(常識…ポイっ)

 それ即ち他人の事情など知ったことかと常識を溝に捨て形振り構わず頼るべきである。たとえ先ほどの沢田のように心無い声をぶつけられると分かっていてもだ。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。を志す俺に対して無口な親父が授けてくれた数少ない教えの一つ。

 既に沢田の姿までなくなっていた。もう一つ前の席の黒井に問いかける。

「ねぇ、これ何か知ってる?」
「…こ、こっち来んな…殺すぞ」
「あ”?」
「ひぃごめんなさいっ」

 殺してみろよ、糞ナード。強気の姿勢も忘れない。この状況が何なのか知ってる?と言外に一睨みすると伝わったのか、黒井が慌てて喋り出す。

「えっと、その、これは多分異世界転移というやつで、あ、異世界転移って言うのはラノベの異世界ファンタジーにありがちな設定の一つでよく魔王を倒す目的で王族とかの特権階級に呼び出されるやつなんです。で、同じ異世界転移物でもいくつか種類はあって大枠は主人公のみが異世界に送られる単身転移型と主人公とその周りが巻き込まれて一緒に送られる集団転移型に分けられてですね、それから……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ黒井」

 しかしあまりにも早口で尚且つ内容が現実離れしていたためほとんど理解することが出来ていない。堪らず待ったを掛けると黒井は残念そうに口を閉じた。それから何かを思い出したかのように高速で空を指で叩いてからニヤリと笑い…

「精々頑張ることだな、くたばれ陽キャ!」

 捨て台詞を吐いてその場から消え失せた。

(陽キャってなんだ?…まぁいいか、次)

 恐らく黒井には逃げられたのだろう。脅したのが良くなかったか。次はもう少し優しく聞くべきだなと思いつつ三度視線を辺りに彷徨わせる。クラスメイトの数はより減っていた。付け加えると誰も俺と目を合わせようとしない。

(ならば無理やり合わせるまで)

 なるべく優しい声をと心掛けて現状で一番近くにいる人物。小動物のように震えながら指を動かす小谷の顔を覗き込んだ。

「小谷さん、こんにちわ」
「ぴゃあ!?」

 可愛らしい鳴き声と共に視界一杯に映り込む端正な顔。こんなに可愛かったのか。頭の片隅でそんな感想を浮かべつつ本題は忘れない。

「俺、ラノベとか異世界転移とかよく分からないんだ。だから教えてくれないかな?今の現状とか目の前に浮かんでるこのスキルってやつを」
「えと、あの…」
「ダメかな…?」
「う……」

 なるべく優しく問いかけているのだけど何だろう、この圧倒的弱い者虐めをしているような後ろめたさは。小さな身体を更に小さくした小谷はやがて動かなくなってしまった。周囲からは蔑む様な視線を送られている…気がする。なら助けてやれよ、ついでに俺のことも助けろよ。

「……た」
「た?」
「……対価は?東雲くんは私に何をしてくれますか?」

(勘違いでした。弱者は俺です)

 固まって何を考えているのかと思えば、彼女は小声ながらもはっきりと俺に対価を求めて来た。強かじゃないか。

「え~っと…」
「…その、なるべく早くしてください。有用なスキルを他の人に取られてしまうので」

 考えるための時間稼ぎを試みるが失敗に終わる。心の何処かで小柄で気弱な女子と嘗めていたが考えを改めなければならない。それに今の言葉で小谷は俺のような情弱でないことが分かった。ならば差し出そう、現状俺が彼女に出来る精一杯を。

「あっちの世界で美味いもんを沢山食わせてやる。俺はだ」

 訪れる静寂。気が付けば白い謎空間には俺と小谷のただ二人。さぁどう出る?

「なっ…」

 な?

「どっ…」

 ど?

「どうして私がご飯大好きなこと知ってるんですか!」
「……え?」

 それは知らなかったなぁ…。
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