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15、祈らなければ奇跡も起こらない

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 それからの数日間は今、この時代に存在するはずの若き日の青の魔女を探す日々となった。とはいえ、今の秋馬市には太陽は常に空に二つ浮かび、かつ月までもが浮かんでいる。時間の感覚は曖昧で、数日、というのもあくまで大体の感覚でしかない。もしかしたら、一日しか経っていないのかもしれないし、もう一週間経っているのかもしれないし、やっぱり数日が経っているのかもしれない。街中の時計の針も、すべてが違う時を指し示している。

 時間の感覚はもうすでに麻痺してしまい、これが永遠の中に取り残されるということなのか、と改めて実感が湧いてくる。

 それに、いくら彼女がこの街にいるのだという可能性が高くても、やはり他に手掛かりがなにもなければ、捜索は困難だ。青の魔女についての情報は一切手に入ることはなかった。

 今の街の様子はだいぶ落ち着いている。

 さすがに街が切り取られた直後は混乱もあったものの、混乱に乗じての犯罪等は起こらなかった。と、いうよりも、起こせなかった。なにか問題を起こそうとしても、防がれてしまうのだ。

 例えば、刃物で人を刺そうとすれば、刃は人体に触れる直前で消失し、人が人を殴っても衝撃はなく、金を盗んでも、盗んだ人間の手元からは消え、元の場所に戻る。

 きっと、あの青の魔女が最も幸福な時を残したい、と言っていたことと関係しているのだろう。この街は、彼女にとっての理想を形にしたものなのだ。だから、彼女の思う醜いものは排除される。

 青の魔女が創り出す、人工の最も幸福な人類の在り方。

 それはある意味、桃源郷や楽園と呼べるもので、きっと素晴らしいものだ。とても美しい。けれどもそれは、テラリウムのようで、まるで手の平の上に強引に寄せ集めた、とても窮屈な世界だ。無理矢理一か所に押し込められた、偽りの幸福。そんなもの、やはりアリサは認めることができない。

「ねえ、マックス。なにかわかったことはある?」

 空に光源が三つも浮かんでいるというのに、相も変わらず薄暗い化学準備室で、アリサはマクスウェルに訊ねる。

「いや、まったく。プラナの反応は見つからんし、もうお手上げやわ」

「……ねえ、私にはもう本性はバレてるんだから、別に関西弁で喋らなくてもいいんだよ?」

 そう言われて、マクスウェルは少し拗ねたような表情で、アリサを睨む。

「うるさいなあ、別にええねん。僕は関西弁が喋りたくて、そのための練習として普段から関西弁で話すようにしてるねんから。あの時はちょっと起きた現象に対して、そこに意識が行きすぎたから、つい最初に学んでた喋り方が出てしもただけやし」

 と、腕を組んでそっぽを向いてしまう。

 マクスウェルはキャラ付けとして関西を喋っているわけではなく、好きなアニメのキャラクターが喋っていた関西弁が可愛かったから、それを真似したくて関西弁を学び始め、普段から使うようになったのだという。

 確かに彼は優秀な科学者ではあるかもしれないけれども、それと同時にとんでもないアニメ好きのオタクじゃないか、とアリサは呆れた。けれども、やはり世の中の優秀な人というのはどこか普通じゃない面を持っているものなのだろう、と納得もした。

「まあ、でもそうだよね。青の魔女を探すにしてもやっぱり情報が無さすぎるもんね。ここがまだ人口二百人くらいの小さな村なら片っ端から当たっていけばいいけど、それなりの人口を抱えるこの秋馬市じゃあ、見つけるのも楽じゃないよ」

「正直言って、万策は尽きた、と思うわ。とりあえず、魔女からの使い魔が来て、直接交渉をする日時を知ってから、実際に魔女と対面するその時までになんとか策を講じるしかないと思う」

「でも、そうなったとしても、うまく対策を講じれる保証もない。というか、そもそもあそこまで強大な魔女相手だと、どんな策も無意味でしょう?」

「それでも考えるのが科学者ってもんやねん」

「そりゃあ、私も諦めたりはしないけどさ……」

 正直、あの青の魔女がこの時代に現れた時点で、大局はもう決していたのだろうと思う。退路も進路もなく、袋小路に追い込まれ、もうどう足掻いても詰んでしまっている状況。それでも、そんなどん詰まりの状況に追い込まれることによって、ネズミは猫を噛むのだし、まだきっと何らかの道が残されているのだ。と、信じたい。

「ねえ、貴方は何かないの?」

 と、アリサは分厚い本を開く。その開いた本から、三頭身の髭のオジサン、ザ・ブックが飛び出す。

『さあ、私はデータベースとして情報を提供することは得意なのですが、前例のないものを新たに見つけ出したり考えたりするのは苦手なもので……私の知りうる魔女の情報は貴方に提供することができますが、青の魔女の止め方は知りません。前例がありませんから。かつて、彼女を月の牢獄に投獄することに成功したというのも、極秘の作戦だったらしく、その情報は残っていませんでした。口づけによって、魔女は魔女でなくなる、というのは光明かもしれませんが、あの魔女と口づけできる人間が果たして存在するのかどうか。正直、今のあの魔女には近付くことさえ困難かと思われます』

「つっかえないなぁ、未来から来たハイテクのAIなんでしょ? もっとこう、未来の凄さを見せてよ」

『そう言われましても……向き不向き、というものがありますからねぇ。私、計算は苦手なんですよ。どちらかといえば文系なもので』

 ザ・ブックは首を横に振りながら、目を閉じ、両腕を組む。

「はぁ。まあ、仕方ないか」

 なんとかいいアイデアが出ないものか、とマクスウェルとアリサは考え込む。

 静かになった化学準備室はなんだか、水槽の中にいるような浮遊感がある。棚に置かれたホルマリン漬けの標本たちが今にもふわふわと漂いだしそうな気がする。

「あの、すみません」

 と、不意に静かだった化学準備室の外の廊下から声が響いて、ゆっくりと扉が開く。街が切り取られてからは、学校に来る生徒もほとんどいなくなったのだけれども、それでもいまだに律儀に来ている生徒もいる。そんな少数の物好きな生徒のうちの誰かが来たのだろう。と、アリサとマクスウェルは扉に目を向ける。

 けれども、そこに生徒の姿は無かった。それどころか、人影すらもない。

「え……うん? あれ?」
「誰も……いない……」

「……どういうことや?」
「そんなの、私が知るわけないでしょ」

「でも今、確かに誰かの声がしたよな?」
「うん」

「で、扉が開いたよな?」
「うん」

「でも、誰もおらん……」

 しばらく、ふたりは黙り込む。教室内はさっきよりもより薄暗く、水槽の中のような浮遊感も増し、溺れてしまっているのかもしれない。と、錯覚してしまいそうなくらいに息苦しい。

 その息苦しさに耐えきれなくなって、アリサは口を開く。

「いったい何なの?」

「……このシチュエーションからいえば、最も高い可能性は……幽霊、とか?」

「はぁ? 科学者がいったい何を言ってんのよ。幽霊なんているわけないじゃない。バカじゃないの?」

「ははっ。魔女であるキミが幽霊を否定するんか? それはちょっと視野が狭すぎやないか? 魔女がこの世に存在するんやから、吸血鬼や妖怪、人魚にチュパカブラやネッシーだって存在するかもしれんやないか。もちろん、幽霊の存在も否定できんやろ」

「う、うぅぃい……」

 アリサは悔しそうに歯を食いしばる。

 確かに、この世界において空想や幻想、妄想といった類のものであるとされた魔女がこうしてここに存在しているのだ。魔女以外の不可思議なものが存在していてもおかしくはない。

 もちろん幽霊も、その例外ではない。

「で、でもやっぱり幽霊は無理!」

 と、アリサは泣き出しそうな声で叫ぶ。

「あの……」

 そのアリサの声の間隙を縫うように小さな声がする。

「ひっ、やっぱり声がするよね?」

「ちょっと、静かに!」

 マクスウェルは人差し指を唇に当てる。

「……あの」

 と、静まり返った教室内に、確実に何者かの声が聞こえる。

「誰?」

「……あの、こっちです」

 それは、先程ひとりでに開いた扉の方から聞こえてくる。アリサとマクスウェルはゆっくりと扉に近付く。けれども、そこにはやはり人がいるような気配はない。

「こっちです」

 それでも声は確実に聞こえてくる。扉の、足元から。

 アリサとマクスウェルがゆっくりと視線を落とすと、そこには一匹のネズミがいた。

「うわっ、ネズミ!」

 と、アリサは驚いて二歩後ずさる。

「そ、そんなに驚かないでください」

 その声は、足元にいるそのネズミが発していたのもだった。

「もしかして、キミが青の魔女からの使い魔か?」

 マクスウェルはそう言ってしゃがみこんで、ネズミに顔を近づける。

「はい、そうです。青の魔女からの伝言を届けにやってきました」

 と、ネズミは立ち上がる。ただ、それでもやっぱり小さいものは小さい。マクスウェルはしゃがんだままその使い魔を観察する。

「ああ、そっか、使い魔か。ごめんね、驚いちゃって」

 そう言いながらアリサは小さく頭を掻いて、使い魔に近付く。

「いえ、別にいいんですけど。貴方が柏木アリサさん、ですよね?」

「ああ、うん。そうだよ」

「私、ネズミじゃなくてハムスターですから」

 明らかに、少し不機嫌な声色。それを聞いて、アリサは少し慌てる。

「ああ、ごめんごめん。そうだよね、よく見たらハムスターだよね。まさか学校にハムスターがいるだなんて思わなくって……」

「まあ、別にいいですけど」

 と、明らかにどうでもいい風ではない口調で使い魔は教室内に入り込む。それは、いかにもハムスターらしい、すばしっこい動きだった。するすると椅子の脚を避けて、小さな体を目いっぱい使って走り、教室の中央に置かれている大きな机の上に登る。

「この扉を開いたんはキミなんか?」

 と、机の上に登った使い魔にマクスウェルは訊ねる。

「ええ、もちろん。使い魔ですから。扉を開けることくらい、朝飯前ですとも」

 机の上のハムスターは立ち上がり、胸を張る。けれどもやっぱり、小さな彼がそんな仕草を見せても威厳はない。そんなハムスターに向かって、アリサは問いかける。

「で、青の魔女からの伝言って?」

「ああ、ええ。そうですね、それでは魔女からの伝言を一字一句違わずにお伝えします」

 そう言って使い魔のハムスターは少し、大げさに溜めを作ってから、魔女からの伝言を話し始める。

「桐宮拓光は無事です。それは保証します。安心してください。そもそも、私は彼に危害を加えるつもりはありませんでしたから。彼はあくまで、ただ柏木アリサを交渉の場に引っ張り出すための交渉材料だと以前にも言いましたよね。彼がいれば、貴方も出て来ざるを得ないでしょう? そのために彼には私のところにいてもらっているだけです。

 さて、本題ですが、交渉の日時は明日の正午とします。ただ、今現在の正確な日時はわかりづらくなっていると思うので、この使い魔に特別な時計を預けています。その時計を受け取ってください。

 場所ですが、それはまだ言えません。ですが安心してください。明日の正午ちょうどになれば、その時計の半径三メートル以内の人間は、私が今いる場所に直接転送されるようになっています。なので、その時計は絶対に無くさないでくださいね。

 私が使い魔に託す伝言は以上です。
 それでは、貴方との交渉を楽しみにお待ちしています」

 と、そこまで話してから、ハムスターは小さく息を吐き出してから、その口の中に自らの手を突っ込んだ。そして、ごそごそと頬を膨らましたりしながら、明らかにその口の大きさからは考えられないような大きさの腕時計を取り出す。ハムスターの頬袋には絶対に入りきらない大きさだ。けれども、このハムスターは時間を移動し、街ひとつを切り取る、あの青の魔女の使い魔なのだ。その頬袋の中が四次元空間に繋がっていたとしても、不自然ではない。

「えっと、それは……」

「伝言にあった、特別な時計です。この時計での明日の正午が、交渉の時間です。転送装置としての機能も兼ね備えているので、無くさないでくださいね」

 そう言って、ハムスターはその時計を机の上に置く。

「さて、なにか疑問点はございますか? 私に答えられることならば、答えさせていただきますが」

 と、彼はアリサとマクスウェルの顔を交互に見る。

「いや、特にないけども……今、青の魔女がどこにおるのか、とかは教えてくれへんやんな?」

「ええ、そうですね。それはお答えできません」

 まあ、それは当然だろう。魔女の使い魔である彼はどうあっても魔女の味方だ。アリサたちに協力的なはずもない。

「それでは、他に質問もなさそうなので、私はおいとまさせていただきます」

 そう言って、ハムスターは再びその小さな体を目いっぱい使って走り出す。それは、目にもとまらぬ、というほどの速さではないものの、やはりすばしっこく、あっという間に教室から飛び出して、見えなくなる。

 教室内には再び静寂が訪れた。

「……さて、いよいよ明日らしいけど、どうする?」

「……どうするもなにも、行くしかないやろ。街をこのままの状態で放っておくわけにもいかんし。策は相変わらず浮かばんし、今のまま魔女に会ってもどうしようもないかもしらんけど、会わずになにもせんよりも、とにかく会ってどうにかするしかないやん。それに、まだ明日の正午までの時間はある。ギリギリまで考えることは止めへんよ」

 マクスウェルのその言葉に、アリサは頷く。

 それはもはや、神に祈るようなものだけれども、それでも祈らなければ奇跡も起こらない。

 幸い、魔女であるアリサは、奇跡を起こすことは得意だ。
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