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4、この先も
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それからの日々も、基本的にはこれまでと変わらなかった。
作業をしていると、気が付けば彼女がそばにいて、どうでもいいような雑談を交わしている。会話をしている間の作業スピードは相変わらず遅くなる。けれども、べつにそれはそれでもいい、と思えた。
彼女と話すのはそれなりに楽しかったし、名残惜しい感情というものも、なくはなかった。
ただ、作業を中断していたわけではないので、完成しないわけではない。
本日ついに、その宇宙船は完成した。
テストは無し、たった一回だけの一発勝負に賭ける、乾坤一擲のプロジェクト。それを担う青い船体は、幽玄のリクエスト。塗装は無くてもいいと思っていたけれども、こうして出来上がった宇宙船を見てみると、たしかに以前の無骨な雰囲気と比べると精悍さが増したように見える。
「どうじゃ?」
なぜか彼女のほうが自慢げに胸を張る。彼女の貢献は塗装による外見のブラッシュアップだけ――しかも助言だけで塗装用のアンドロイドのプログラミング、設定はすべて俺が請け負った――なのだけれど。まあ、でもたしかにその貢献も悪くはなかった。
外見の良い船というのは意外とこちらの気分も高揚させてくれる効果もあるのだな、と知った。
「うん、悪くないね」
「あとはもう打ち上げるだけ、か」
「そうだね」
「今すぐにでも行くのか?」
彼女のその言葉に少し、考える。
宇宙船が完成したのならば、すぐにでも出て行くつもりだった。
彼女と出会う前は。
けれども今は、これが彼女との最後になるのならば、その前になにか話すべきではないだろうか、とも思う。
「……うん、そうだね」
少しの間をおいて、思考を巡らせた俺はそう答えた。
ここで最後に彼女と会話を交わすと、決心が揺らいでしまいそうな気がしたから。
それに、今はまだ夜が明けていない。明るくなってからだと、恐らく都合が悪いだろう。行くのならば、きっと今しかない。
「そうか。天候はわしに任せておけ」
「そうするよ」
鉄骨が剥き出しの無骨な天蓋が開き、地下の施設から宇宙船を地上に持ち上げる。
空の下に出た宇宙船は、窮屈な地下から解き放たれて、嬉しそうに光って見えた気がした。
宇宙船に乗り込む直前、会話を交わすまではしなくても、せめて最後のお別れくらいはしておくべきだろう、と振り返る。
あらためて、彼女の顔を見つめる。これが最後だから、その容貌をこの目に焼き付けるために。
緑色の虹彩はブレずに真っ直ぐ俺の目を見返している。青と白の髪はそよ風に揺れて、ぱらぱらと表情を変え続けている。その褐色の肌も、赤い唇も、きっと忘れないだろう。忘れようもないくらいに、彼女は、地球は美しい。
「さようなら」
「うむ、恐らくわしらはもう二度と再会することはないじゃろうが……それでもこうしておぬしと出会い、わずかな時間ではあったが、対話も重ねることができてよかったと思っておる」
「俺もだよ。キミと出会えてよかったと思っている」
「ふふん、もっと褒めてもよいのじゃぞ」
「ああ、そうだね。これから先、俺はずっと孤独な日々を過ごす。もしかしたら、その旅にゴールは無いのかもしれない。なにも見つけられないままに、たったひとりで死を迎えることになるかもしれない。それでも死の間際にはきっと、この美しい惑星のことを想うんだろう」
そういう最期ならば、それは悪いものではないだろう。
「そうか。なら、よい」
そう言って微笑んだ彼女のその笑みは、なんだか少し寂しそうだった。まあ、別れの時なのだから、そんな表情になってしまうのは仕方ないのかもしれない。俺だって、彼女にちゃんとした笑顔を向けられているかは、自信がなかった。
彼女は、小さく手を上げる。
それを見て、俺も手を上げた。
きっとこれ以上会話を続ければ、俺はこの右足を前に踏み出せなくなる、ということを彼女はわかっていたのだろう。
それ以上なにも言わずに、俺は振り返って船内へと入っていった。
* * *
船内でコクピットの座席にシートベルトで体を固定し、発射の準備を進める。
ひとり用の宇宙船とはいえ、ロケットによって打ち上げるのだから、やはり田舎の片隅でも、その存在は隠し切ることはできないだろう。恐れているのは、この宇宙船の存在が近くの人たちの目に触れて、打ち上げの妨害をされてしまうことだった。
世の中の人々が、あまり他人には関心を持たなくなった世の中だとはいえ、さすがに高さ十メートルを優に超えるロケットが突如として現れたのならば、それに気付かないはずがないだろう。
世の人々はみな、宇宙への打ち上げは、神の意志に背く行為だと思っている。
いや、まあこれまでの打ち上げをことごとく邪魔してきていたのは地球そのものである彼女で、神のような存在による妨害であったということに違いはないのだけれども。
とにかく、そんなふうに思っている人たちがこのロケットを見つけた場合、神の意志に背くような行為を行おうとしている不埒者がここにいるぞ、と大挙して押しかけてきて、打ち上げの妨害行為を行う可能性は高いだろう、と思う。
だから、急いで打ち上げ準備を行う。
夜が明けて、この機体が文字通り明るみに出てしまう前に。
船外カメラから、うっすらと東の空が白み始めているのが見える。
うなるエンジンの轟音。
やはり、と言うべきか。その音に、町中が目を覚ます。べつにそれはいい。想定していたことだ。
船外カメラで外の様子を窺う。
少し離れた場所から、幽玄はロケットを見守るようにして立っている。その周囲に、少しずつ人が集まり始めていた。彼らは口々になにかを喚きながら、両腕を振ったり、人差し指を向けてきたりしている。当然、その声はこちらには届かない。どうせ、聞く必要性もない罵声を浴びせかけているのだろう。「神を冒涜するつもりか」とかなんとか。そんなものに実害はない。投石してくる者もいるけれども、もちろんそんなものが届くような距離ではない。それ以上近付けば、自身にも危険が及ぶだろうということをわかっているのだろう。
大丈夫、このまま何事もなく打ち上げることができるはずだ。
最終チェックは間もなく終了する。進行状況を示すタスクバーは92パーセントを示している。それが終われば、あとは打ち上げのカウントダウンが開始される。問題はない、問題はない、と自分に言い聞かせるようにして祈るようにモニターに映るタスクバーを見守る。
もう一度、船外カメラの映像を確かめる。
「……はぁっ⁉」
と、その映像に映ったものに思わず叫んでしまった。
幽玄と、その周囲の叫び続ける人々。そして、そのすぐ側に止まったトラック。さっきまでは無かったそのトラックは、ついさっきここに着いたのだろうか。そのトラックの荷台に乗っている一人の男が、細長い筒状のものを肩に担いでいるのが見えた。
肩撃ち式のロケットランチャー。
「……っでんなもんがあんだよっ!」
こんな片田舎でロケットランチャーが必要になる場面なんてあるかよ!
なんて吐き捨てるけれども、今は3Dプリンタと必要なデータがあれば、なんでも作り出せる時代ではある。きっとこのロケットを見つけて、慌ててプリントアウトしたのだろう。
「くそっ! くそっ!」
地元住人の妨害はある程度想定はしていたとはいえ、さすがにロケットランチャーは想定外だ。あんなものを撃ち込まれてしまっては、無事に済むはずもない。
アレが撃ち出される前にロケットの準備は整うか?
タスクバーを見る。進行状況は96パーセント。予定完了時間まではあと約四分。
とても間に合わない。
男は、ロケットランチャーの照準を合わせている。あとはもう、引き金を引けば弾頭が飛んでくるだろう。
――引き金を、引く。
船外カメラからの遠く離れた映像でさえ、その瞬間が手に取るように分かった。そして、映像の中に映る幽玄の表情が微笑んだようにも見えた。
次の瞬間、砲身から飛び出した弾頭は大きく逸れて、遠く離れた場所に着弾した。
幽玄が浮かべた笑みの意味を、そこで知る。
彼女は言っていたじゃないか。誰にも邪魔はさせない、と。彼女がアシストできるのは当日の天候くらいのもの、と言っていたけれども、それはつまり天候ならば、彼女の自由にできるということ。
いま彼女はあの男がロケットランチャーを撃つ瞬間に突風を吹かせ、その態勢を崩し、狙いをずらさせたのだ。
彼女の周囲の人々は手を顔の前に持って来たり、よろめいたりいている。強風に煽られているのだろう。その中で、幽玄だけが微動だにせずにその場に立ち尽くしている。身体は小さいのに、まるで大木のような存在感。
存在感があって当然だ。
彼女はこの地球そのものなのだから。
俺はただ、彼女を信じていればいい。
ふたたびロケットランチャーから弾頭が放たれることはない。それができないほどの強風で彼女が抑え付けてくれている。
そしてついに最終チェックが完了し、カウントダウンに入る。
打ち上げ60秒前。
59、58、57、56。
無機質な機械音声が告げる秒読み。なんの感情も抱かないその音声に、なぜか緊張感は増してくる。
55、54、53、52、51。
大きく息を吸って、止める。そして、吐き出す。
50、49、48、47、46。
自分自身の感情に欠落を抱えている自覚はあったけれども、それでも緊張はするものなのだな、と自嘲してしまう。
45、44、43、42、41。
必死の抵抗が実ったのか、トラックに乗っていた男がふたたびロケットランチャーを放つ。
40、39、38、37、36。
もちろん、そんなものが当たるはずもない。幽玄の起こした突風によって、ふたたびその弾頭は見当違いの場所に着弾して、地を穿つ。
35、34、33、32、31。
大丈夫、俺は彼女を信じている。俺は、なにも心配せずに打ち上げに集中すればいい。
30、29、28、27、26。
俺の身体を震わせるのは、このロケットエンジンの轟音のせいか、それともこれから先の自身がたどるであろう未知の体験に対する武者震いか。きっと、その両方だ。
25、24、23、22、21。
自分の呼吸が浅くなってきている。恐らくは心拍も早くなっているのだろうが、その鼓動は自分ではよくわからない。エンジンの轟音にかき消されているのだろう。
20、19、18、17、16。
空は晴天。ロケットの打ち上げを遮るものはなにもない。本当に彼女の言葉通り、天候にはなんの問題もない。彼女が得意げに、自慢げに胸を張っていたあの姿を思い出す。
15、14、13、12、11。
なんだか徐々に時の進みが遅くなってきているような気がする。時の流れは相対的だとアインシュタインは言ったっけか。たしかにそれは真実のようだ。俺は、このたった一分間でさえ、時間の流れが変わっていくように感じられている。
10。
その時は迫る。
9。
後悔も未練もない。
8。
ただ……
7。
ただ、彼女のことは気がかりだ。
6。
幽玄。
5。
彼女はこの先、幸せでいてくれるだろうか。
4。
もう二度とキミと会うことのできない俺には。
3。
信じることしかできないけれど。
2。
けれどもきっと、それでいいのだろう。
1。
ああ、地球がこの先も幸福であらんことを。
リフトオフ。
ロケットは、さらに激しい轟音と揺れを伴って、俺の身体をシートに押し付ける。強力な負荷に、指先ひとつさえもロクに動かせない。
そうこうしているうちに、第一補助ロケットブースターの燃焼が終了し、切り離される。そして、それに続いて第二補助ロケットブースターの燃焼が終了、分離。それからしばらくの間をおいて第一メインエンジン燃焼停止、分離。さらに第二メインエンジン燃焼開始。第二メインエンジンの燃焼によって、ロケットはついに大気圏を突破。そして、宇宙船がロケットを切り離し、メインエンジンを点火する。
いまのところ、大きなトラブルも見当たらない。船は安定している。
どうやら、打ち上げは成功したらしい。
体がふっと軽くなり、これが無重力というものか、とその未知の感覚に感動する。
ロケットの負荷で身体が動かなかった時にはその余裕はなかったけれども、いまならば、外の光景を見ることができる、と窓の外に目を向ける。
そこには、漆黒の空間にぽっかりと浮かぶ、碧い惑星があった。
写真や映像でも何度も見たことのある光景。
地球の青さ、美しさは知識としてわかっているつもりだった。
それでも、こうして本当に自分の目で見てみると、これまでに体感したことのない感動が胸に飛来した。
――本当に。地球はこんなにも綺麗だったんだな。
その紺碧の宝石はまさに幽玄と呼ぶに相応しい。
「さようなら」
もう一度、最後に別れの言葉を告げる。
きっと、彼女にはもう聞こえない、自分自身に言い聞かせるための、覚悟を決める一言。
その言葉を最後に、俺はもう二度と振り返らずに前だけを見据えた。
作業をしていると、気が付けば彼女がそばにいて、どうでもいいような雑談を交わしている。会話をしている間の作業スピードは相変わらず遅くなる。けれども、べつにそれはそれでもいい、と思えた。
彼女と話すのはそれなりに楽しかったし、名残惜しい感情というものも、なくはなかった。
ただ、作業を中断していたわけではないので、完成しないわけではない。
本日ついに、その宇宙船は完成した。
テストは無し、たった一回だけの一発勝負に賭ける、乾坤一擲のプロジェクト。それを担う青い船体は、幽玄のリクエスト。塗装は無くてもいいと思っていたけれども、こうして出来上がった宇宙船を見てみると、たしかに以前の無骨な雰囲気と比べると精悍さが増したように見える。
「どうじゃ?」
なぜか彼女のほうが自慢げに胸を張る。彼女の貢献は塗装による外見のブラッシュアップだけ――しかも助言だけで塗装用のアンドロイドのプログラミング、設定はすべて俺が請け負った――なのだけれど。まあ、でもたしかにその貢献も悪くはなかった。
外見の良い船というのは意外とこちらの気分も高揚させてくれる効果もあるのだな、と知った。
「うん、悪くないね」
「あとはもう打ち上げるだけ、か」
「そうだね」
「今すぐにでも行くのか?」
彼女のその言葉に少し、考える。
宇宙船が完成したのならば、すぐにでも出て行くつもりだった。
彼女と出会う前は。
けれども今は、これが彼女との最後になるのならば、その前になにか話すべきではないだろうか、とも思う。
「……うん、そうだね」
少しの間をおいて、思考を巡らせた俺はそう答えた。
ここで最後に彼女と会話を交わすと、決心が揺らいでしまいそうな気がしたから。
それに、今はまだ夜が明けていない。明るくなってからだと、恐らく都合が悪いだろう。行くのならば、きっと今しかない。
「そうか。天候はわしに任せておけ」
「そうするよ」
鉄骨が剥き出しの無骨な天蓋が開き、地下の施設から宇宙船を地上に持ち上げる。
空の下に出た宇宙船は、窮屈な地下から解き放たれて、嬉しそうに光って見えた気がした。
宇宙船に乗り込む直前、会話を交わすまではしなくても、せめて最後のお別れくらいはしておくべきだろう、と振り返る。
あらためて、彼女の顔を見つめる。これが最後だから、その容貌をこの目に焼き付けるために。
緑色の虹彩はブレずに真っ直ぐ俺の目を見返している。青と白の髪はそよ風に揺れて、ぱらぱらと表情を変え続けている。その褐色の肌も、赤い唇も、きっと忘れないだろう。忘れようもないくらいに、彼女は、地球は美しい。
「さようなら」
「うむ、恐らくわしらはもう二度と再会することはないじゃろうが……それでもこうしておぬしと出会い、わずかな時間ではあったが、対話も重ねることができてよかったと思っておる」
「俺もだよ。キミと出会えてよかったと思っている」
「ふふん、もっと褒めてもよいのじゃぞ」
「ああ、そうだね。これから先、俺はずっと孤独な日々を過ごす。もしかしたら、その旅にゴールは無いのかもしれない。なにも見つけられないままに、たったひとりで死を迎えることになるかもしれない。それでも死の間際にはきっと、この美しい惑星のことを想うんだろう」
そういう最期ならば、それは悪いものではないだろう。
「そうか。なら、よい」
そう言って微笑んだ彼女のその笑みは、なんだか少し寂しそうだった。まあ、別れの時なのだから、そんな表情になってしまうのは仕方ないのかもしれない。俺だって、彼女にちゃんとした笑顔を向けられているかは、自信がなかった。
彼女は、小さく手を上げる。
それを見て、俺も手を上げた。
きっとこれ以上会話を続ければ、俺はこの右足を前に踏み出せなくなる、ということを彼女はわかっていたのだろう。
それ以上なにも言わずに、俺は振り返って船内へと入っていった。
* * *
船内でコクピットの座席にシートベルトで体を固定し、発射の準備を進める。
ひとり用の宇宙船とはいえ、ロケットによって打ち上げるのだから、やはり田舎の片隅でも、その存在は隠し切ることはできないだろう。恐れているのは、この宇宙船の存在が近くの人たちの目に触れて、打ち上げの妨害をされてしまうことだった。
世の中の人々が、あまり他人には関心を持たなくなった世の中だとはいえ、さすがに高さ十メートルを優に超えるロケットが突如として現れたのならば、それに気付かないはずがないだろう。
世の人々はみな、宇宙への打ち上げは、神の意志に背く行為だと思っている。
いや、まあこれまでの打ち上げをことごとく邪魔してきていたのは地球そのものである彼女で、神のような存在による妨害であったということに違いはないのだけれども。
とにかく、そんなふうに思っている人たちがこのロケットを見つけた場合、神の意志に背くような行為を行おうとしている不埒者がここにいるぞ、と大挙して押しかけてきて、打ち上げの妨害行為を行う可能性は高いだろう、と思う。
だから、急いで打ち上げ準備を行う。
夜が明けて、この機体が文字通り明るみに出てしまう前に。
船外カメラから、うっすらと東の空が白み始めているのが見える。
うなるエンジンの轟音。
やはり、と言うべきか。その音に、町中が目を覚ます。べつにそれはいい。想定していたことだ。
船外カメラで外の様子を窺う。
少し離れた場所から、幽玄はロケットを見守るようにして立っている。その周囲に、少しずつ人が集まり始めていた。彼らは口々になにかを喚きながら、両腕を振ったり、人差し指を向けてきたりしている。当然、その声はこちらには届かない。どうせ、聞く必要性もない罵声を浴びせかけているのだろう。「神を冒涜するつもりか」とかなんとか。そんなものに実害はない。投石してくる者もいるけれども、もちろんそんなものが届くような距離ではない。それ以上近付けば、自身にも危険が及ぶだろうということをわかっているのだろう。
大丈夫、このまま何事もなく打ち上げることができるはずだ。
最終チェックは間もなく終了する。進行状況を示すタスクバーは92パーセントを示している。それが終われば、あとは打ち上げのカウントダウンが開始される。問題はない、問題はない、と自分に言い聞かせるようにして祈るようにモニターに映るタスクバーを見守る。
もう一度、船外カメラの映像を確かめる。
「……はぁっ⁉」
と、その映像に映ったものに思わず叫んでしまった。
幽玄と、その周囲の叫び続ける人々。そして、そのすぐ側に止まったトラック。さっきまでは無かったそのトラックは、ついさっきここに着いたのだろうか。そのトラックの荷台に乗っている一人の男が、細長い筒状のものを肩に担いでいるのが見えた。
肩撃ち式のロケットランチャー。
「……っでんなもんがあんだよっ!」
こんな片田舎でロケットランチャーが必要になる場面なんてあるかよ!
なんて吐き捨てるけれども、今は3Dプリンタと必要なデータがあれば、なんでも作り出せる時代ではある。きっとこのロケットを見つけて、慌ててプリントアウトしたのだろう。
「くそっ! くそっ!」
地元住人の妨害はある程度想定はしていたとはいえ、さすがにロケットランチャーは想定外だ。あんなものを撃ち込まれてしまっては、無事に済むはずもない。
アレが撃ち出される前にロケットの準備は整うか?
タスクバーを見る。進行状況は96パーセント。予定完了時間まではあと約四分。
とても間に合わない。
男は、ロケットランチャーの照準を合わせている。あとはもう、引き金を引けば弾頭が飛んでくるだろう。
――引き金を、引く。
船外カメラからの遠く離れた映像でさえ、その瞬間が手に取るように分かった。そして、映像の中に映る幽玄の表情が微笑んだようにも見えた。
次の瞬間、砲身から飛び出した弾頭は大きく逸れて、遠く離れた場所に着弾した。
幽玄が浮かべた笑みの意味を、そこで知る。
彼女は言っていたじゃないか。誰にも邪魔はさせない、と。彼女がアシストできるのは当日の天候くらいのもの、と言っていたけれども、それはつまり天候ならば、彼女の自由にできるということ。
いま彼女はあの男がロケットランチャーを撃つ瞬間に突風を吹かせ、その態勢を崩し、狙いをずらさせたのだ。
彼女の周囲の人々は手を顔の前に持って来たり、よろめいたりいている。強風に煽られているのだろう。その中で、幽玄だけが微動だにせずにその場に立ち尽くしている。身体は小さいのに、まるで大木のような存在感。
存在感があって当然だ。
彼女はこの地球そのものなのだから。
俺はただ、彼女を信じていればいい。
ふたたびロケットランチャーから弾頭が放たれることはない。それができないほどの強風で彼女が抑え付けてくれている。
そしてついに最終チェックが完了し、カウントダウンに入る。
打ち上げ60秒前。
59、58、57、56。
無機質な機械音声が告げる秒読み。なんの感情も抱かないその音声に、なぜか緊張感は増してくる。
55、54、53、52、51。
大きく息を吸って、止める。そして、吐き出す。
50、49、48、47、46。
自分自身の感情に欠落を抱えている自覚はあったけれども、それでも緊張はするものなのだな、と自嘲してしまう。
45、44、43、42、41。
必死の抵抗が実ったのか、トラックに乗っていた男がふたたびロケットランチャーを放つ。
40、39、38、37、36。
もちろん、そんなものが当たるはずもない。幽玄の起こした突風によって、ふたたびその弾頭は見当違いの場所に着弾して、地を穿つ。
35、34、33、32、31。
大丈夫、俺は彼女を信じている。俺は、なにも心配せずに打ち上げに集中すればいい。
30、29、28、27、26。
俺の身体を震わせるのは、このロケットエンジンの轟音のせいか、それともこれから先の自身がたどるであろう未知の体験に対する武者震いか。きっと、その両方だ。
25、24、23、22、21。
自分の呼吸が浅くなってきている。恐らくは心拍も早くなっているのだろうが、その鼓動は自分ではよくわからない。エンジンの轟音にかき消されているのだろう。
20、19、18、17、16。
空は晴天。ロケットの打ち上げを遮るものはなにもない。本当に彼女の言葉通り、天候にはなんの問題もない。彼女が得意げに、自慢げに胸を張っていたあの姿を思い出す。
15、14、13、12、11。
なんだか徐々に時の進みが遅くなってきているような気がする。時の流れは相対的だとアインシュタインは言ったっけか。たしかにそれは真実のようだ。俺は、このたった一分間でさえ、時間の流れが変わっていくように感じられている。
10。
その時は迫る。
9。
後悔も未練もない。
8。
ただ……
7。
ただ、彼女のことは気がかりだ。
6。
幽玄。
5。
彼女はこの先、幸せでいてくれるだろうか。
4。
もう二度とキミと会うことのできない俺には。
3。
信じることしかできないけれど。
2。
けれどもきっと、それでいいのだろう。
1。
ああ、地球がこの先も幸福であらんことを。
リフトオフ。
ロケットは、さらに激しい轟音と揺れを伴って、俺の身体をシートに押し付ける。強力な負荷に、指先ひとつさえもロクに動かせない。
そうこうしているうちに、第一補助ロケットブースターの燃焼が終了し、切り離される。そして、それに続いて第二補助ロケットブースターの燃焼が終了、分離。それからしばらくの間をおいて第一メインエンジン燃焼停止、分離。さらに第二メインエンジン燃焼開始。第二メインエンジンの燃焼によって、ロケットはついに大気圏を突破。そして、宇宙船がロケットを切り離し、メインエンジンを点火する。
いまのところ、大きなトラブルも見当たらない。船は安定している。
どうやら、打ち上げは成功したらしい。
体がふっと軽くなり、これが無重力というものか、とその未知の感覚に感動する。
ロケットの負荷で身体が動かなかった時にはその余裕はなかったけれども、いまならば、外の光景を見ることができる、と窓の外に目を向ける。
そこには、漆黒の空間にぽっかりと浮かぶ、碧い惑星があった。
写真や映像でも何度も見たことのある光景。
地球の青さ、美しさは知識としてわかっているつもりだった。
それでも、こうして本当に自分の目で見てみると、これまでに体感したことのない感動が胸に飛来した。
――本当に。地球はこんなにも綺麗だったんだな。
その紺碧の宝石はまさに幽玄と呼ぶに相応しい。
「さようなら」
もう一度、最後に別れの言葉を告げる。
きっと、彼女にはもう聞こえない、自分自身に言い聞かせるための、覚悟を決める一言。
その言葉を最後に、俺はもう二度と振り返らずに前だけを見据えた。
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