10 / 13
第二話 彼女の物語
4、私が生まれて初めて目にした
しおりを挟む
『やあ、今日も健康そうでなにより』
と、今日も彼は言った。ここ最近ではそのあいさつは定型文のように毎日彼の口から聞かされている。とはいえ、昨日の声の調子と違って、今日は明るいような気がする、今日は暗いような気がする、なんて自分で勝手に解釈を付け加えたりしているので、飽きはしない。
ただ、その日の彼のそのあいさつは、いつもとまったく違うものだった。いや、あいさつ自体はいつもと変わらないものだ。けれどもいつもと違ったのは、そのあいさつをした彼のその後の表情だった。
その声を聞いて振り返った私は、いつものように彼に微笑みかけた。その次の瞬間、私は息を飲んだ。
――彼が、笑っている。
口角が上がり、目を細めるその表情は、紛れもなく笑顔だった。
それは、私が生まれて初めて目にした、自分以外の人間の笑顔だった。生まれて初めて自分に向けられた笑顔。
それを見て、私の中のなにかが弾けて、溢れ出した。
人に笑顔を向けられるということが、こんなにも嬉しいことなのか。いや、それともこれは彼が見せた笑顔だから、こんなにも心動かされたのか。きっと、その両方だ。初めて自分に向けられた笑顔。その相手が彼だったからこそ、私はこんなにも感動してしまっている。
自然と涙が溢れ、頬を伝う。
悲しくなんてないのに。寂しくなんてないのに。苦しくなんてないのに。それでも頬を伝うこの涙は、私の今の心情を表すのにきっとふさわしい涙だ。
彼は私の涙を見て、小さく首を傾げた。きっと、彼はどうして私が涙を流したのかわからないのだろう。なんだかその仕草が少し可笑しくて、思わず口元が緩んでしまう。
『キミはどうして泣いているんだ?』
と、彼は訊ねる。
「貴方の笑顔が嬉しくて」
当然、私の声は向こうには届かない。
『ああ、そうだったね。キミの声はこちらには聞こえないんだった』
けれども、彼はそんなことも失念してしまっていたらしい。それだけ私の涙に驚いた、ということなのだろう。
「ごめんなさい。貴方を驚かせるつもりはなかったの。むしろ、驚いたのは私のほうなんだから。貴方が急に笑ってみせるから、私は動揺して……」
『なにも言わなくていい。キミの声は届かない。だから、僕が一方的に話すだけだ』
そんな私の声を遮るようにして、彼は言う。別に、構わない。彼との会話はいつもこんな感じだ。もう慣れた。そもそも、私の声は彼には届いていないのだから、お互いの言葉がぶつかってしまうのは仕方がない。
「……ええ、そうね。いつも通り貴方が話す言葉を私が聞いて、私は届かない言葉を話すだけ。それでもいいのです。きっと、貴方が笑ったのは、私の思いが届いたからなのでしょう? なら、私はこれからもこうして貴方に語りかけ続けます」
彼が笑ったきっかけがなんなのかはわからない。けれども、彼が愛を見失った側の人類ならば、普通に生活していれば絶対にこんなふうに笑わなかったはずだ。それは、私が見てきた他の愛を見失った人たちを知っているから、断言できる。彼らは、絶対に彼のようには笑わない。彼はきっと、少しづつ変わりつつあるのだ。
彼の変化を見て、私は確信する。この先、私たちはもっと理解し合えるようになるはずだ、と。
と、今日も彼は言った。ここ最近ではそのあいさつは定型文のように毎日彼の口から聞かされている。とはいえ、昨日の声の調子と違って、今日は明るいような気がする、今日は暗いような気がする、なんて自分で勝手に解釈を付け加えたりしているので、飽きはしない。
ただ、その日の彼のそのあいさつは、いつもとまったく違うものだった。いや、あいさつ自体はいつもと変わらないものだ。けれどもいつもと違ったのは、そのあいさつをした彼のその後の表情だった。
その声を聞いて振り返った私は、いつものように彼に微笑みかけた。その次の瞬間、私は息を飲んだ。
――彼が、笑っている。
口角が上がり、目を細めるその表情は、紛れもなく笑顔だった。
それは、私が生まれて初めて目にした、自分以外の人間の笑顔だった。生まれて初めて自分に向けられた笑顔。
それを見て、私の中のなにかが弾けて、溢れ出した。
人に笑顔を向けられるということが、こんなにも嬉しいことなのか。いや、それともこれは彼が見せた笑顔だから、こんなにも心動かされたのか。きっと、その両方だ。初めて自分に向けられた笑顔。その相手が彼だったからこそ、私はこんなにも感動してしまっている。
自然と涙が溢れ、頬を伝う。
悲しくなんてないのに。寂しくなんてないのに。苦しくなんてないのに。それでも頬を伝うこの涙は、私の今の心情を表すのにきっとふさわしい涙だ。
彼は私の涙を見て、小さく首を傾げた。きっと、彼はどうして私が涙を流したのかわからないのだろう。なんだかその仕草が少し可笑しくて、思わず口元が緩んでしまう。
『キミはどうして泣いているんだ?』
と、彼は訊ねる。
「貴方の笑顔が嬉しくて」
当然、私の声は向こうには届かない。
『ああ、そうだったね。キミの声はこちらには聞こえないんだった』
けれども、彼はそんなことも失念してしまっていたらしい。それだけ私の涙に驚いた、ということなのだろう。
「ごめんなさい。貴方を驚かせるつもりはなかったの。むしろ、驚いたのは私のほうなんだから。貴方が急に笑ってみせるから、私は動揺して……」
『なにも言わなくていい。キミの声は届かない。だから、僕が一方的に話すだけだ』
そんな私の声を遮るようにして、彼は言う。別に、構わない。彼との会話はいつもこんな感じだ。もう慣れた。そもそも、私の声は彼には届いていないのだから、お互いの言葉がぶつかってしまうのは仕方がない。
「……ええ、そうね。いつも通り貴方が話す言葉を私が聞いて、私は届かない言葉を話すだけ。それでもいいのです。きっと、貴方が笑ったのは、私の思いが届いたからなのでしょう? なら、私はこれからもこうして貴方に語りかけ続けます」
彼が笑ったきっかけがなんなのかはわからない。けれども、彼が愛を見失った側の人類ならば、普通に生活していれば絶対にこんなふうに笑わなかったはずだ。それは、私が見てきた他の愛を見失った人たちを知っているから、断言できる。彼らは、絶対に彼のようには笑わない。彼はきっと、少しづつ変わりつつあるのだ。
彼の変化を見て、私は確信する。この先、私たちはもっと理解し合えるようになるはずだ、と。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
地球の愛
綿柾澄香
SF
人類が宇宙への打ち上げに成功しなくなって久しい近未来。
そんな中、たったひとりで宇宙を目指す男。
その前に現れた少女。少女は自らを地球の化身だと言う。
その少女は男になぜ自分から出て行くのかを訊ねる。
それに答えたくない男は、少女の言葉を受け流すものの、それでも少しずつなにかが変わっていく。
* * *
近未来SFラブストーリーです。
少しでもいいな、と思ったら感想、評価いただけると幸いです。
よろしくお願いします。
女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。
矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。
女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。
取って付けたようなバレンタインネタあり。
カクヨムでも同内容で公開しています。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
それはまるで魔法のようで
綿柾澄香
ファンタジー
久島高校に通う柏木アリサは魔女であることを隠しながら、日々を過ごしていた。
そんなある日、一人の女性と出会う。とても美しいその女性は雨雲を消し去り、消えてしまう。まるで魔女のように。
その日の放課後、アリサはロンドンで魔女が武装蜂起を起こしたというニュースを知る。それにより、アリサの日常は大きく脅かされることになる、と思ったものの、実際には特に変わりなく日々は過ぎていく。
そうして魔女の武装蜂起から一週間後、アリサの住む街、秋馬市が唐突に孤立した。周囲の街々と連絡が取れなくなり、さらには物理的にも街の外に出ることができなくなったのだ。
そうして孤立した街で、アリサは事態収拾のために奔走する。
※プロローグ、エピローグ込みで全30話です。
現代に生きる一人の魔女の物語です。
すごく読みやすい、という文章ではなく、ストーリーも若干スローテンポかもしれませんが、ラストの部分の展開だけはずっと頭の中にあって、そこに向かってなんとか書き上げました。
なので、最初のほうはあまり面白くないと思っても、最後まで読めば、きっとなにか感じるものがあるのではないか、と思います……そう思いたいです。
エピローグのラスト三行が書きたくて、頑張りました。その部分までぜひ最後まで読んでいただければ幸いです。
よろしくお願いします。
イラストはノーコピーライトガール様よりお借りしました。
ぼくらの国防大作戦
坂ノ内 佐吉
SF
始まりは、周人に届いた一通の脅迫メールだった。メールの主は2065年からタイムスリップしてきた未来人。
数年後に第三次世界大戦が勃発、日本に核ミサイルが落とされると言う未来人の話を聞いて、周人とその仲間たちは、日本を救うためのミッションに加わっていく。
神風として死ぬしかない私たちに、生きる意味を教えてもらえませんか?
駆威命(元・駆逐ライフ)
SF
『大切な人の為に、あなたは自分の命を差し出せますか?』
2033年、地球はオームと呼ばれる異星人から侵略を受けた
コンピューターを無効化する敵に対する人類の持てる武器は、己の命しかない
斯くして、人々は再び神風を願う事となる
それは守るべき人の為に、命を差し出すことを強要する行為だった
クローン技術によって生まれた少女を、生きる誘導チップとして桜花と呼ばれる特攻兵器に搭乗させて使い捨てる
そんな中、強い自我と感情を発現させた少女・美弥は、『先生』に出会って想うようになる
「死にたくない」
※本作は『小説家になろう』『カクヨム』『アルファポリス』にて公開しております
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる