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第6章 明けやらぬ驟雨

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 インドラ。
 日本では帝釈天の名で知られる。

 インド神話における、最高位の軍神。教典や時代によっては、最高位三柱トリムルティを越えて最高神とされる、雷を操る神。

「……できれば、知らせないで欲しかったな」

「君も過保護だよね? シンヤ。まあ、暴走するシバは本能的に力を引き出していたけど、そろそろちゃんと教えても大丈夫だろう? 健太っていうストッパーもいるんだし。溺愛する健太ムルガンがいれば、気持ちも凪ぐだろう。シバは、一番インドラの性質に近いし」
「そういう言い方はやめてくれ。英人やEightは、健太本人に好意を持っているだけなんだ」

「ま、そうだね。でも、本質的な部分では、魂の部分では、影響していると思うよ。ある意味、シバという純粋培養の依代は、余計にね。君が理知的な分、そう言った論理や倫理に囚われていなかったシバは、力の発現に最適だっただろうしね。だから、狙われたのかもしれないな」

「どういうことだ?」
 斎の不穏な発言に、健太が反応する。

「俊や君が追い詰められないと力を発現しないのは、おそらく君達本人の自我が、それを制御しているんだよ。神の力は、本能的な衝動に近い。そのまま無制限に発動したら、大変なことが起きることを、無意識に感じているんだろう。けれど、英人は違う。制限しようとする英人本人やシンヤの制止を振り切って、本能の衝動のまま行動できるシバ、という人格が生まれたことで、神の力を引き出しやすくなった、と考えれば、これは大発見だよ」

 斎の言葉に、英人の顔はさらに強張る。

「そもそも、旧来の依代は、なるべく無垢な、論理や倫理なんて自覚できない幼少期から神の依代としての意識を叩きこむことで、その憑依を容易にしてきた。古民族学的にも、心理学の分析に当てはめても、自我が発達して、衝動を抑制できるようになることで、依代として力の発動はしにくくなる、と考えるのが妥当だ。だけど、後天的な方法で、別人格を作ることで、力の発現を容易にできるとしたら? すでにその実例となった英人と、抑制している健太や……俊は、丁度いい実験対象になると思われても、仕方がない」

「斎! 言い方!」
「取り繕っても仕方ないだろう? 和矢。君だって、他人事じゃないよ? 力の発現がないのは、君も同じだ。ただ、君はすでに組織に属して、その所有権が決まっているから、安全なだけだ。最初に言ったよね? 本気で全員の安全を願うなら、とっとと全員君の組織に囲いこんでしまった方が楽だって。でも、そうしたくないっていう君の気持ちを僕は汲んだ。まあ、その方が僕も面白いって思ったんだけどね。だから、最大限、僕は――唐沢宗家は協力するけど。でも、一番確実で簡単な手段は強制囲い込みだって、皆にも自覚してもらわないと。自由を満喫するためには、それ相応の覚悟と努力が必要なんだって、分かってるよね?」

「……そこには、遠野さんも入るのか?」
「遠野さんって、いい加減名前で呼べばいいのに。まあ、いいや。美矢ちゃんの力は、不確定だけどね。単に君や三上さんの影響を受けているだけなのか。ああ、そう言う意味では三上さんも、分からないけど。英人や俊の意思を受けて、彼女を救おうと働いた力なのか、彼女自身に何かしらの要素があるのか。今回のことで、もしかしたら彼女らにも影響は与えるかもしれないね。でも、まずは心のケアだな。こういう時、すっと人の心に入り込める森本さんの存在はありがたいよね」

「ああ」
 
 健太も、真実のそういった美質は認めているし、実感している。なのに、斎に言われると何だかモヤモヤする。

「巻き込んでおいて今更だけど、僕はやっぱり、君達をなるべく組織からは引き離しておきたい。できれば、力の発動もせずに。あそこは、最高品質の衣食住が確保された牢獄みたいなものだ。そんな場所に、君達を連れていきたくない」

 最高品質の牢獄……そこに、十年以上囚われていた和矢や美矢の生活を想像して、健太は胸が痛くなる。程度は違えども、健太自身、家を出るまでは同じような環境だった。それは、おそらく英人も。そんな環境に、俊を追い込みたくない。

「自由を得るための、相応の覚悟と努力、か。俺は、協力するよ」
 健太が言い切ると、俊もうなづき、やや遅れて英人も同意を示す。

「やれやれ。なら僕も協力するしかないね」

 言葉とは裏腹に、斎は妙に嬉しそうにしている。どうせ、面白がっているんだろうな、と思いつつ、現実的に一番対処できそうな力を持っているのは斎なので、あえて突っ込まないでおく。



 週明けに英人と連れ立って、学校帰りに真実に連れられた加奈に会い。
 悲鳴こそ上げなかったものの、明らかに顔色が変わり、呼吸が粗くなった加奈を守るように、真実に接触を禁じられた英人が、目に見えて落ち込み。
 
 とにかく英人を放っておけなかったことと、献身的に加奈に尽くす真実を少しでも手助けしたいという思いと――そして。

 もし、英人同様自分もターゲットになっているとすれば、真実にも危険が及ぶことを懸念して、健太はしばらく上京せず、真実の送迎をすることにした。斎も真実を含めて護衛を強化するとは言っていたが、加奈の護衛をしていた人間が、不可解な状況で視力を奪われたと聴き、不安が募った。
 今も完全には回復せず、療養している。まるで、太陽光を直接目にしたような症状が起きているのだという。アキラの顔を見た瞬間、強烈な光で目を灼かれたらしいが。
 あの雨模様の中、どのようにして? そこに、自分達と同様の、何かしらの超越した力が働いていると、健太はほとんど確信的に感じていた。

 幸い、今撮影した分の納品だけで、急ぎの仕事は入っていなかった。上京しての依頼はしばらく断り、地元の仕事を唐沢家や遠野弓子の伝手で斡旋してもらって時間を確保した。


 1ヶ月たって、そんな日々も、ようやく落ち着きを取り戻し。

 加奈が、英人に会う、と言ったという。二人きりではまだ不安なので、真実と健太で見守り、開放的で見晴らしのよい公園にセッティングして。雨が降っても大丈夫なように、屋根のある東屋の近くを選んだ。
 幸い、梅雨の晴れ間に当たり、薄曇りの空の下、加奈と英人は、久々の邂逅を果たした。

「何とか大丈夫みたい」
「よかったな。連絡は取り合っていたとはいえ、英人もよく我慢したよ」
「そうよね。遠くから見守るだけって、何もできないって思いが強くて、かなりストレスだったかも。でも、ホント、よかった」
「……なあ、来週、二人きりで会える?」

 嬉しそうな真実の様子に、幾分気が急いて、健太は問いかける。
 来週は、真実の誕生日がある。
 そこで、指輪をプレゼントして、プロポーズをする、と健太は決めていた。
 それは、真実も知っている。

 ただ、状況が状況だったので、実行できないことも覚悟していたのだが。
 けれど、加奈の状態が落ち着いて、英人と元のような関係に戻れたなら、そんな懸念は無用になるのでは、と健太は考えてた。

「それなんだけどね。……ちょっと、言いにくいんだけど」
「うん?」
「延期、できない?」
「へ?」
「その、プロポーズ、をさ」
「何でそれを?」

 バースデープレゼントに誕生石の指輪をプレゼントすることは伝えてあったが、プロポーズについてはサプライズにしていたつもりだったのに。

「ゴメン、聞いちゃったの、連休のお出かけの時に」
「あ……。そっか……。こっちこそゴメン。勝手に盛り上がって、勇み足だった、よな……」
「そんなことない! すごく嬉しかったよ! 嬉しいけど……嬉しいんだけど」
「……加奈さんのことがあるから?」
「そうじゃないよ。そうじゃなくて……それも、きっかけではあったけど。でも」
「じゃあ、どうして? 別に、今すぐ結婚して、とかじゃないよ? 約束だけ、したいんだよ」

 バレてしまっていてサプライズにはならないとしても、健太としては、一つのセレモニーとして行いたい気持ちが強い。

「分かってる。でもね。その、……逃げ道、作りたくなくて。私、きっと健太に甘えちゃうと思うんだ。今回みたいに」
「甘えていいんだけど。大歓迎」
「でもこのために、大きな仕事断っているんでしょ?」
「そんなことないよ。地元でも、仕事はあるし」
「それは、健太がやりたい仕事なの? 一流のカメラマン、目指しているんでしょう?」

「俺は……本音を言えば、写真さえ撮って生活できれば、別に、そういう肩書は、いらないんだよ。ただ、そう言う肩書があった方が、仕事しやすいってだけで。だから、別に上京しての仕事にこだわってはいない」

「健太の性格を考えると、それが嘘とは思わないけど。でも、そういう意味では、上京した方が、仕事はやりやすいんじゃないの?」
「それは否定しないけど。確かに、効率はいいよ。でも、カメラと素材だけあれば、どこでも仕事はできるよ」

「……そうやって、耳触りのいいことばっかり言うから、私が甘えちゃうのよ」
「だから、甘えていいんだって」
「だめなの! こんな気持ちで、大学受験に向き合えないのよ。……いざとなれば、健太さえいればいいって、そういう甘えが出るの」

 そう思ってもらえるのは、自分としては何よりなのだが。正直、究極的には、健太も真実さえいればいい。けれど、それだけでは生活できず、結局真実に苦労を背負わせることになりかねないから、仕事に励んでいる面もある。
 自分一人なら、最低限の収入を得る仕事をして、あとは好きな写真だけ撮って生活することだって、厭わない。むしろ、真実がいるおかげで、努力できている部分がある。

 それが、真実には重荷なのだろうか?

「あのね。加奈と、約束したの。一緒に、国立大学、行こうねって。私、かなり頑張らないと、ダメなの。だから、今は、プロポーズされても、受けられない」

 理由を聞かされ、それが自分との関係を厭うものではなかったことに安堵しつつも、健太は受け入れがたい気持ちだった。けれど、固く決意した真実の目を見て、その意志を変えることも難しいことを悟る。何より、何かを決めた時、そこに向かって真っすぐ突き進む真実の芯の強さを、健太は尊敬すらしていたし。

「……分かった。でもこのまま、付き合ってはもらえるんだよな?」
「誰も、別れるなんて言ってないし! ただ、ちょっと、待って欲しいだけで」
「うん。待つ。だから、約束して。絶対、俺以外の男に、なびかないで。もし、何か言われても、絶対、断って」
「当たり前じゃない? 健太のこと、…………大好きだし」
 
 真っ赤になって、「大好き」という一言を絞り出すように言う真実を、健太は抱きしめたくて仕方なかったが。さすがに、こんな開けっ広げな場所でハグしたら、真実が怒るだろうと思って、じっと我慢する。

「あ、指輪は、プレゼントしてもいいよな? バースデイプレゼントなんだから」
「……それは、貰いたい、デス」

 とりあえず、真実の意向を受け入れて、プロポーズは先延ばしにしたが。
 
 斎に知られたらまた、ちょっかいをかけられそうだな。

 散々牽制しているのに、斎の真実への関心は、減じることがない。
 ……あの時のモヤモヤの正体は、これか。

 斎が真実を語る時に混じる、果てしない好意が、健太の気に障る。
 斎がほぼ無条件で誉めそやし、赦し、甘える相手が真実だと、真実本人は気付いていないかもしれない。
 
 真実を愛しいと思いその気持ちを尊重したいと思う一方で、何気なさを装って真実に近付いてくる斎の存在が、健太は怖い。不安よりも、さらに、明確な感情。

 隙を見せたら、容赦なくそこを穿ってくるような、斎の底の見えなさが、怖い。

 唐沢宗家の主流とはいえ、たかが高校生の、それも年下の、やっと青年の域に達した男の存在に怯える自分は、きっと傍から見たら滑稽だろう。

 けれど、油断できない。
 
 今、周囲を取り巻く問題に比べたら、こんな色恋の些末事に翻弄されているのはどうかとは思う。
 
 
 モヤモヤした気持ちは晴れないまま、降り出してきた雨を潮に、真実と健太は、加奈と英人と合流し、それぞれ送り届けて、健太は空を見上げる。



 まだ、雨は止みそうもない。健太の心に射した翳りも、簡単に明けそうにはなかった。
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