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第4章 急襲の五月闇

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 美術部の新入部員、木次政宗を歓迎するための「男子会」は、おおむね予想通りに展開した。
 巽の目論見通り、自分の好む美術品のネタに斎の持論展開に終始した。ファミレスの片隅で三時間にも及ぶ『斎節』を聞かされ続け、さすがの俊も限界だった。

 何で、皆平気なんだ?

 和矢は相変わらず楽しそうにうなづきながら、噂に聞いていた斎信奉者の政宗も、初めて見るような満面の笑みで目をキラキラさせて聴いている。
 巽は、日常茶飯事で慣れてしまっているのか、適度に相槌を打ちながら、しっかり『ぼんやり』していた。擬態しながらも完全に逃避状態である。さすがにそこまでの技を身に付けてはいない俊は、一人苦行に耐えていた。正直、食べ物の味も覚えていない。
 ドリンクバーに飲み物の補充に行っている時間が唯一の安らぎだった。とはいえ、そう何杯も飲めるものではない。甘いものが苦手の俊は、ほぼブラックコーヒーだけで胃が溢れそうだった。

「斎、そろそろ……」
「そろそろって、人の話を遮るなんて、俊らしくないね。まだこの後、文楽人形の神秘と技についての異説をね……」
「あの、時間が……それに、雨も降りそうだし」
「ああ、そう言えば、何だか暗いね。雨に濡れるのも嫌だね。そうだ、英人を呼ぼう」
「?」
「今日は三上さんも女子会でいないから、どうせ暇だろう。車で迎えに来させよう、巽」
 振り向けば、巽がスマホを操作して、もう英人を呼び出していた。

「じゃあ、迎えが来るまで、もうしばらく」

 再び『斎節』は始まったが、少なくとも英人が来るまでのガマンだ。そう思って、俊は耐えた。しかし、この会合における自分の存在意味って、何だったのだろう?
 多分、会話らしい会話は、今の斎とのやり取りだけだ。まあ、積極的に話さなくてよかっただけ、気は楽だった、はず。

 しばらくして、ぶすっとした表情で英人が迎えに来た。不機嫌さは隠さないものの、斎には逆らえないらしい。「早く行くぞ」と帰宅を促す。

 会計を済ませ、外に出ると、まだ雨は降っていないものの、かなり空が暗くなっていた。

「こんな天気だから、加奈も送っていくぞ。もう、そろそろ終わるだろう。早くしろよ」
「慌てるなよ。どうせ駅前で合流できるだろう? あっちはまだかかるんじゃないのかな?」

 そう言われて、俊は女子会中の美矢達の様子が気になり、スマホを取り出す、と。
 ちょうど美矢からメッセージが入った。あちらも、同じタイミングで終了したらしい。折り返し電話をしてみると、すぐに電話に出た。

『あ、先輩。よかった。終わったんですね?』

 斎に翻弄されていることを見抜いていたのか、気遣うような美矢の声に、俊はホッとする。

「今から駅に向かうから。その……」
『ええ、駅前で待ってますね』

 言葉足らずな俊の意図を美矢はほぼ正確に読み取ってくれる。

「何だよ、そっちが終わったんなら、斎達なんか放っておいて、僕もそっちに行くよ」

 俊の電話の内容を聞きつけて、英人が口を挟む。加奈が一緒にいることを知っているのだろう。

「英人もここにいるんだけど。斎がタクシー代わりに呼び出して。でも三上さんを拾いたいって連絡待って……」
『え? 本当に? え? だって今ここに英人さんが……加奈先輩が、追いかけて……』

 声が遠ざかり、電話の向こうで会話している様子が伝わる。おそらく、真実と話しているのだろう。

『……真実先輩、おかしいです……』
『……じゃあさっきのは?……ああ、とにかく連絡!』


 切れ切れに聞こえるやり取りを聞き取り終わる前に、横から手が伸びる。斎が俊のスマホを取り上げて。

「あ、僕。二人はそこを動かないで。今、英人たち向かわせるから」
 スピーカーにしていたわけでもないのに、斎は美矢の言葉を聞き取っていたらしい。

「大丈夫だって。俊もいるから、分からなかったら、このスマホに連絡入れさせる」

 電話の向こうに響いていたのは真実の声だった。

「というわけで、大至急彼女達の元へ向かって。場所は知っている?」
 俊はうなづくが、詳しい状況がわからない。が、切迫した美矢達の声の様子から、加奈に何か起きたらしいことは分かった。俊は英人を促す。
「三上さんが、危険だ、多分。急ぐよ」

 それだけで理解したらしい英人は、俊より早くマイカーに向かう。それを追いかけて、英人がロックを解除すると同時に、助手席に乗り込む。
 何故か、政宗まで後部座席に乗り込んできた。

「木次君?」
「巽先輩も斎先輩もいなくなってしまいましたから。よく分からないけど、三上先輩が大変なんですよね?」

 説明するのも追い出す時間も惜しく、俊は諦めてそのまま英人に発進を促した。
 車窓に雨が当たり始める。まだそこまで勢いはないが、すぐに止みそうもなかった。
 商店街を抜けて駅方向に向かうと、美矢達が女子会をしていたカフェにすぐたどり着いた。店の軒先に、美矢と真実が待っていた。

「なんで、あんたがいるのよ?」
 後部座席の政宗に文句を言いながら、押し込むようにして二人は車に乗り込んだ。

「状況は?」
 英人が問うと、真実が目にした事実を話始める。道向こうに、英人がいて、それを加奈が追いかけて。それだけだったら、なんてことない情景。ただし、その追いかけた相手が、別の場所にいたとなれば話は違う。

「僕、そっくりの?」
「遠目だったけど、よく似ていたわ。薄暗かったせいもあるけど、髪型や、仕草も、よく似ていた……英人さん、もしかして生き別れの双子とか、いるの?」
「記憶にないけど、心当たりはある。あいつか……」

 英人は、自分そっくりの留学生が加奈に興味を持っていたことを端的に話す。

「で、どうするの?」
「大学へ行く。今のところ手掛かりはそれしかない」

 先ほどまでの焦燥感が消え、理知的な表情が際立つ。おそらく、今前面に出ているのはシンヤなのかもしれない。
 英人の通う大学に車を走らせている最中に、斎から連絡が入った。

『ああ、さすがだね。僕も向かっているよ。今回、内部の状況に一番詳しいのは英人だからね。エリアはおそらく……』
「理学部、工学部だな」

 スピーカー越しに英人が答える。

『調べていたんだ?』
「念のためな。と言っても、目立つから、放っておいても噂が耳に入る。正面入口より、南側の裏口の方が近い。関係者用の駐車場があるからそこから入れ。院生なら産学センターが怪しい。あそこの通用口は、院生のパスがないと入れない」
『なるほど。ということは、僕達も入れないよね?』
「いや、申請すれば可能だ。唐沢のコネを総動員して、今すぐ手続きしろ。高校生ならそれで正面から入れる」
『了解』

 斎との通話が終わってすぐに、英人の車は大学に到着する。正面を迂回して、裏口に回る。テニスコートやグラウンドを通り過ぎて、『関係者専用』と看板が出た大学構内の駐車場に車を停める。

「あれが、産学センターだ」

 やや古びた建物の中で、ひときわ目立つ、真っ白なビル。正確には『産学提携交流センター』という、民間の企業と大学が提携して研究を行う施設である。俊も理学部志望なので、興味を持っていた。
 小雨の降る中、車を降りる。砂利の駐車場を出ると、舗装された道に出る。そのまま進むと産学センターにたどり着くようだった。

「スーパーコンピューターや様々な専門分野の研究機器が配備されているらしい。機密性が高く、防音もされていて……関係者以外、原則立ち入り禁止だ。おあつらえ向きだな」
「でも、俺達は入れるって」
「ああ、未来ある高校生には開放されているんだ。申請はいるが。身分証明書……生徒証、あるだろう?」

 俊がうなづくと、英人は無言で足を進める。しかし。

「……イヤッ!」

 突然、美矢が叫んだ。両手で自身を抱きしめ、ガタガタと震え出す。

「やめてっ! いや……こんな!」
 恐慌状態に陥る美矢に俊は駆け寄る。

「遠野さ……」
「助けて! 先輩! 加奈先輩が……! いやっ!」

 俊にしがみつく美矢の目元には涙が溢れている。必死で何かを払い落とすかのように、かぶりを振り、俊の腕をつかむ指に力が入る。途端、『何か』が、体の奥から湧き上がってくるのが、分かった。

 その『何か』が、俊の腕の中で震える少女に、流れ込んでいくのも。美矢の身体から、ゆらゆらと青い靄が、立ち上る。それはほんの一瞬で、薄暗い小雨の中、たちまち消えて。

 美矢の身体が崩れ落ちる。その瞬間。


 ドカーンッ!


 爆音が鳴り響く。走り出す英人。俊は意識を失った美矢を真実に預けると、英人を追いかける。

 産学センターの、壁が崩壊していた。
 まるで、内部から爆破されたように、道端に無数の瓦礫が散乱している。その瓦礫の上に。

 加奈が、いた。

 正確には、浮かんで、いた。
 手首には、引きちぎられた帯のようなものが見える。そして……引き裂かれたブラウスから、胸元が露出している。幸い見えているのは、白いシンプルなインナーだが、何が起きていたのか、容易に想像がつく。

「加奈!」

 英人が叫ぶと、加奈の身体はゆっくり下りてくる。吸い込まれるように、英人の元にたどり着き、その手に触れた瞬間、どさっと体重がかかる。
 露わな胸元を覆い隠すように英人は加奈を抱きしめる。
 そして、キッと頭上を見上げる。
 その眼差しの先を俊も追いかける。

 穴の開いた壁、数メートル上の、高さに向かって。

 そこからのぞくのは。
 二人の人影。一人は、英人によく似た風貌の、男。そして。

「……須賀野?」

 行方が知れなかった、男。一年前、俊に暴行を加えた、男。怯えたように見下ろす顔が、昨夏の悲劇を思い出させる。俊は、こみ上げる苦しさに拳を胸に当て、その手が震えていることに気が付いた。思わず、もう片方の手で、震える拳を握りしめる。そうして、何とか気を鎮めようと息を整える、と。

「何で……兄さん?」

 いつの間にかそこにいた政宗が、つぶやいた。
 その視線の先にいるのは……須賀野。

「何で? 兄さ……お前が」

 須賀野を見つめる政宗の瞳に宿るのは、明らかな憎しみの色。

 
 空は暗く、雨がいよいよ激しくなってきた。

 それは、俊の胸に渦巻く不安と恐怖を象徴するような、嵐の予感だった。
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