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第3章 胸騒ぎの青嵐

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 プラネタリウムに入り座席に着くと、後方から入ってきた加奈達の姿に俊は気が付いた。大混雑で合流できなかったが、あらかじめ真実に言われた通り、終わった後合流することにして行列に並んだ。

「加奈先輩達、来たみたいですね」
 美矢も気が付き、俊に話しかける。声を潜めているので、自然と耳元で囁くようになるが、何だか距離が近くて少し気恥ずかしい。
 いるのは分かっていたが、照れ隠しに美矢が示す方向へ視線を送ると、健太に手を引かれた真実の姿も見えた。よく見れば、英人も加奈と手をつないでいるし、その後ろの巽達も……。

 今日、まだ手なんてつないでいないな。もしかして、こういう時は手をつなぐものなのかな?
 一応、何度か手をつないで歩いたことはあるが、人前だとなかなかチャンスがない。
 季節も暖かくなって、手を温める、という理由がなくなってしまったし。
 
 あれ、そう言えば、人混みでははぐれないように手をつなぐんだぞ、って正彦に言われなかったっけ?
 半年も前の、イルミネーションイベントの時だから、すっかり忘れていたけど。

 今日みたいな混雑の時は、つないだ方がよかったのかな?
 
 正彦が聞いたら「そういう意味じゃない! 義務じゃなくてキッカケだ!」と頭を抱えそうな、相変わらずの斜め上思考である。

 俊だって、手をつなぎたくないわけじゃない。美矢と手をつなぐと、恥ずかしいけれど、温かい。実際の体温としてでなく、心が。ただ、何だか妙な気分になって、落ち着かなくなるのも事実で。

 恥ずかしさとは違う、そわそわするような、ざわざわするような、そんな心持ちがする。

 そうすると、美矢をまっすぐ見られなくなって、つい顔を背けがちになってしまい。だったら手をつながないで顔を見ながらいる方がいいのかな、と、最近は全然手をつながない。それはそれで、何だか一抹の寂しさも感じはするのだが。

 隣り合って座っているせいか、今は美矢の顔の位置が近い。隣り合って座ることは初めてではない。今日ここに来る最中だって車の中で席は隣だったけれど。
 一応離れた場所にみんなが座っているとはいえ、ごく周囲には知り合いが誰もいない、という状況で、視界に入るのは美矢ばかりになるためか、余計にそう感じる。

 右隣の席で、今日の番組の内容が載ったリーフレットを真剣に読んでいる美矢の横顔に、つい見入ってしまう。いつもは少し見下ろすのが、目の高さが近くなり、視点が変わって新鮮な気分だ。リーフレットを読むため、少し伏目になっている。その長い睫毛に縁どられた美矢の瞳。よく見たら、虹彩の縁が少し青みがかっている。今まで濃い茶色の瞳だと思っていて、気が付かなかった。

「……先輩?」
 視線に気が付いて、美矢がこちらを向く。
「あ、ゴメン。目の色、少し青いんだね、って思って」
「ああ、そうなんです。周りだけ少し。変ですか?」
「ううん。きれいだな、って思って」
「……ありがとうございます」
 ちょっと赤くなって、美矢はうつむく。

 あれ? 今、俺、けっこう恥ずかしいこと、言った?

 いや、瞳の色がきれいって、言っただけで……もちろん、美矢自身もきれいだけど、いいやそうじゃなくて!

 もちろん、美矢に対して服装を誉めたこともあるし(ただし、何だか見当違いな誉め方で、あきれられたことの方が多いが)、「この絵がきれい」とか「この壺がきれい」とか、ちゃんと口にしたことはあるし。

 でも、そう言えば、美矢本人に「きれい」とか「かわいい」だとか、言ったことは、ない。健太などは『真実はかわいい』と本人がいてもいなくても連発するのに。

 もちろん、心の中では、そう思っているけど。口にしたことはないけど。

 うわ、いつも気の利いた事言おうと思って、美矢に苦笑いされていたけど、素直にこういうこと言えばよかったのか?

 頬を染めてうつむく美矢の様子は、いつも以上にかわいい。でも、それをどうやって伝えればいいのか。っていうか、今言うべきなのか? 不自然じゃないか?

 自然に、という言動を意識して行えるような器用さがない俊の手元は、ついおろそかになり。
「あ……」
 パサリ、と俊の手からリーフレットが落ちる。
 拾おうとして、それに気付いた美矢も同じ動作をして。一瞬早く美矢がリーフレットを拾い上げ、その手を、俊がつかむ。

「……」
「あ、ゴメン、ありがとう」
 思わず手を引っ込めようとする俊の、その手の上から美矢がもう片方の手を乗せる。
「このまま、で」

 とは言え、美矢も俊も右利きで、リーフレットを拾おうとしたのも、二人とも右手で。
 俊はともかく、右隣の美矢が俊に右手を握られたままだと、かなり無理がある体勢になる。

 俊は、自分の左手で、乗せられた美矢の左手をつかんで持ち上げ、美矢の右手から手を離し、左手を握る。空いた左手で美矢からリーフレットを受け取り。
 二人の間にある手を握った状態で、置き場所に悩み。ふと周りを見ると、座席の間の手すりが、座席の隙間に下せるようになっているらしいことに気付いた。ボタンを押すと、俊側の手すりはゆっくり下がる。それを見て、美矢も手すりを下げる。
 座席がつながり、そこにできた隙間に、二人の手を置いた。

『まもなく、上映開始となります。会場が暗くなりますので、以降の出入りはご遠慮ください。暗くなると、背もたれが下がり、座面が斜めになります。動かずお待ちください』
 アナウンスが入り、やがて室内の照明が落とされる。少し間を置いて、今度は座席が動き始める。

 美矢の顔は見えなくなってしまったが、その手に確かに存在を感じる。目が慣れてきて、横を向くと、美矢もこちらを見ていた。薄暗くてはっきりしないが、微笑んでいるように見える。

『本日の上映を開始いたします。第1話、春夏の星座物語。皆様、天頂をご覧ください。この矢印から北に進むと……』

 矢印をたどり、北極星が示され、こぐま座から北斗七星、おおぐま座、うしかい座、おとめ座、しし座、というように星座の名前が並ぶ。

『……こちらのひときわ明るい三つの星をつないだものを、春の大三角と呼びます。北斗七星の柄、つまり、おおぐま座の尾のカーブをそのまま伸ばしていくと、この春の大三角のうしかい座アークトゥルスにつながります。これを春の大曲線と呼び……』

 俊は地学を選択していないので、星座については中学で学んだだけだが、うっすら記憶にある。こうして星空を見ながら改めて聴くと、なかなか面白い。

 けれど、つい気になって、時々美矢を見てしまう。天井を真剣な目で眺める美矢の頬に、星に見立てた光が反射している。その頬に触れたい衝動が芽生えて、俊は危うく顔を近付けそうになる。ハッと気づいて、何とかこらえるが、代わりに手を強く握ってしまった。美矢が驚いて、こちらを向く。その口元に、ふっくらとした唇に思わず目が行き、反射的に目を反らした。
 
 何なんだ、この気持ち……?
 
 胸が、ドキドキする。手を握っているせいなのか? 暗いからか、いつも以上におかしい。手を離すべきだろうか?

 ……離したくない。

 正彦がいたら「それが高校生男子としてあるべき姿なんだよ! 自覚しろ!」と喚いたかもしれないが、いないので誰も俊に指摘してくれない。

 手を離したくはないけれど、ドキドキしすぎて、もうプラネタリウムのナレーションも耳に入ってこない。

 そわそわ、ざわざわ、ドキドキ……モヤモヤ。



 様々な表現の変化が胸中に到来し、残り時間はただただ、恥ずかしさに身をすくめていた俊だった。
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