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2章

プロローグ

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突然だが、夢の中に馴染みの店がある人はいるだろうか。夢とはもちろん 寝ている間に見る夢のことだ。

その店は小さなベーカリーで、いつから通い始めたのかは曖昧だ。魂を行き来しているあの世界かと思っていたが、何度か行くようになると ただの夢だとわかった。
夢の中で知らない街の雑踏の中をぶらぶら歩いて店を探す。行く度に場所も外観も変わるその店を俺は何故かちゃんと見つけ出せるのだ。

ショーウインドウの飾りパンを眺め、洒落た店の扉を開くと、真っ先に目に入るのは赤い果実のタルトだ。夢の中のベーカリーは、場所を変えても店構えを変えても、この赤い果実のタルトだけは店のいちばん良い場所に出すと決めているようだった。猫足の小さな丸台の上に ひとつだけ置いてある。
俺はなんとなくパンを選んで、なんとなく買って店を出る。あの赤い果実のタルトをそのうち買おうと思いつつ、今日こそ買おうと思った時にはほかの誰かが手に取って、買えそうな時はまあまた今度と、そんなふうに眺めながら結構な年月を通っていたのだったけれど、それは突然消えてしまった。
俺がきょろきょろしていると 店の奥から店主が出てきて、あの赤い果実のタルトは終売しました、そう言ってまた奥へ戻った。店主を見たのは初めてのことだった。

少し寂しさを覚えたが、そういうこともあるだろうと俺はなんとなくパンを選んで店を出た。カランカランと扉が閉まる音を遠くに街の雑踏に紛れる。俺はふと、自分がなぜ知らない街を歩いているのか不思議になって立ち止まった。
思い出すのは瑞々しい赤――まるで王冠のようだった赤い果実のタルト。

街の色が抜け落ちていく。冷たい風が胸の中心を通り抜け、すっと身体が軽くなる。
酷い喪失感だった。俺はなにも失っていないのに。


けれどおまえは失くしたのだと、音のない白黒の街が そんなことを言っていた。



********



目を覚ますと俺は白い部屋にいた。
昼の陽光が俺の右側から降り注いで本当に眩しい。天井から垂れた白いカーテンを貫通して刺さるような眩しさだ。次に嗅覚が独特のにおいを捉えて、なんか病院っぽいな、と思った。

「「あ」」

俺も同時にそう言ったのだけど声が掠れて女性の高い声だけが響いた。ドアを開けた看護師さんとばっちり目が合ってから、あとはわけもわからず怒涛のように日々が過ぎていった。

診察を受けて全身を検査されてリハビリなんかしながらカウンセリングを受けて、警察に簡単な取り調べを受けて……俺は本当にわけがわからなかったので事情を説明してもらった。
曰く、全く心当たりがないのだが俺には熱烈なストーカー(男)がいて、数日間監禁されたのち、どうも刺されたらしい。心中しようとして犯人は亡くなったということだ。けれど真っ白だ。なにも覚えてない。俺の記憶が抜けているので詳細は知らされなかった。

「こんな何も覚えてないってある……?」

そんなにストレスだったのだろうか。
俺は暇な入院中に何度も記憶を探ってみたが本当になにも思い出せなかった。意識を失って寝てた間に見ていた変な夢の方が鮮明に思い出せる。その夢というのは昔から見続けている変な夢で、最近はあまり見てなかったのだけど、刺されて寝てる間はずっとあの夢を見ていた。

その変な夢は同じ異世界の連作仕様になっていて、子供のころから現在まで夢の中の俺が現実の俺と一緒に成長していくスタイルだ。俺は異世界で幼いころから迫害され、目のいっちゃってるおっさんに拾われてやたら厳しい修行を受けて、それに耐えて魔術師になった今では悠々自適に魔道具を作っている。最近では生意気な子供を弟子にしたような感じだ。
変な森とか谷とか魔物を倒して素材を集めて結構楽しそうに暮らしている。素材の処理や加工の仕方も夢のくせに設定が凝っていてワクワクする……のだが肝心の魔道具作りがいまいち雑だ。魔術式はそこまで詳しくわからないけど俺ならたぶんもっと上手く作れる絶対、と歯噛みしながら異世界の夢を楽しんでいる。だけど俺の意識が戻ってからはあの夢を全然見なかった。


そうこうしているうちに退院日が決まり、悪いからと断ったのだが社長が病院まで迎えに来てくれることになった。早めに荷造りして早めに待合室へ降り、荷物を抱えてぼんやりしてると明るい声が俺を呼んだ。


祥吉よしくん!」


そうだった。俺は…… 海月かいづき 祥吉よし

祥もよし、吉もよし、ふたつまとめてよし。
海月園長がそう名付けてくれたんだ。




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