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1章

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午後、二人は毒壺へ入った。いつものように防御壁を纏って深部へと進む。アスレイヤも慣れた様子で同じようにしてシルガに付いてくる。防御壁も万能というわけではなく、纏っていても防ぎきれない毒もあるが、二人は魔女イムガルダの毒壺を散歩でもするように進んだ。

「なんだ、かなり毒耐性がついたじゃないか。これなら大丈夫そうだ」

「貴様は この辺りに詳しいな。よく来るのか?」

「ああ、採集活動でよく来るよ。これだけ豊富な薬草類があれば使用頻度の高い魔法薬の素材には事欠かないぞ」

「魔法薬も作るのか…… 魔力回復薬も?」

「ああ」

「以前、魔力不足だと言っていた。何故自分で使わないんだ」

「子供のころ薬中になってからは 控えてる」

「……どんな子供だ」

シルガはふと思った。

(ひょっとしたらあの人は、意外と情をかけてくれていたのかもしれない)

唐突に幼い頃の記憶が鮮明に甦った。
シルガに魔法薬の調合を教えたのは、シルガを拾って家に住まわせてくれた養い親の初老の男だ。二人で住むには広いあの家は様々な素材と書物で溢れかえってとても狭かった。彼は 生きて動くものの気配に鋭く、時に凶器が飛んでくるので、シルガは常に気配を殺して過ごしていなければならなかった。生活能力が皆無でカネの管理も食事のことも、多分どうでもよかったんだろう、したいならしろ と言わんばかりに生活に関することは最終的にはすべてシルガに丸投げされた。正直、シルガもどうでもよかったが しぶしぶ管理したものだ。

家主は突然いなくなって突然帰ってくる。彼は採集した素材の処理をシルガに任せ、あれこれ注文をつけては指導してくれた。魔法薬の調合に関する細々とした作業はシルガにとって楽しい時間だ。養い親が懇切丁寧に教えてくれることはどれも興味深く、シルガの心を満たした。

そんなわけであの家は薬品類だけは潤沢にあったのだ。飲むと楽になることに気付いたシルガが頻繁に魔力回復薬を服用していたらいつの間にか中毒者になっていたというわけだ。より効果の高い薬を求めて薬のことしか考えられなくなるくらいには中毒者である。彼はそれに気付くと、眠るシルガの傍にいて手を握ってくれるようになったのだ。シルガがこっそり魔力を奪っても何も言わなかった。

真意を探ろうとしたこともあったが、彼の瞳はいつも 立ち入ることを許さなかった。だからシルガは彼を よくわからない人だと思っていたし、よくわからなくていいとも思っていた。


「貴様、体調が悪いのか? 一昨日倒れたばかりだ。……引き返してもいいぞ」

ぼんやり回想してたのを気遣われて慌てて否定した。

「いや、大丈夫だ。休んだら十分回復したよ。これでも前より少しずつ魔力が回復してるんだ。前は日常的に軽く死ぬ感じで足りなくて回復どころじゃなかったけど、今は全く問題ない」

「……今までよく生きてたな」

「俺が乳児だった頃は知らないが、幼児だった頃は俺の周りの人間がバタバタ倒れてさ……それで恐怖の対象になってたんだ。実際俺のせいなんだけど。無意識に他人の魔力を奪って生き延びてたんだよ」

「……」

アスレイヤは色々と察したが、何故そんなに魔力不足だったのか気になった。

「最近だと、君が魔力をくれるから回復が早いし助かってる」

「お、俺が好きでやってるわけじゃない! そのうち絶対に奪い返してやる!」

毒壺が馴染んだ場所となっても 普段の活動範囲から大きく逸脱するのはやはり緊張する。奥へと進むシルガの足取りは森を見知った揺るぎないものだが、アスレイヤは少しの不安を覚えて前を行くシルガとの距離を詰めた。

青白い光が揺れる森の中をしばらく無言で歩いていると、甘い匂いが脳を刺激した。だんだん強くなる匂いの先に、葉を茂らせ丸くなった樹がぽんぽんと点在している。白緑色の実の先を抱くようにしてしおれた、薄桃色の花を目にして二人はがっかりして肩を落とした。

「少し遅かったな」

「あれがレイブラッサムか、思ったより大きいんだな」

「仕方ない、今年は無理だって報告しに行こう」

引き返そうと踵を返すシルガをよそに アスレイヤは先程から強烈に自己主張する甘い匂いの主を探した。

「あれもレイブラッサム……?」

「変異種だ」

強烈な匂いの主は見た目も強烈で 見つけるのは簡単だった。アスレイヤの指した先にはショッキングピンクの大きな花を満開にしたレイブラッサムが凄い存在感で枝を広げている。見た目華やかだが少し不気味だ。

「まだ花が咲いてる。採取できそうだぞ」

「うんでも、ちょっと手強いよ。魔法で鑑定してみよう」

シルガが促すとアスレイヤは鑑定魔法を展開した。毎日薬草や毒を鑑定して練習しただけあって様になっている。


レイブラッサム(変異種)
実は食用可。真果。熟すと非常に甘く、瑞々しい芳香を放ち獣を寄せる。自家受粉できるが受粉樹があれば尚良い。
花粉・果実・種子が持つ毒は、レイブラッサムの魔力を多く蓄積することで毒とされる。抽出・精製された毒は生物の魔力に介入する薬効をもたらし、魔力回復の効果を発現させるための付与媒体として必須である。
結実前の花を落とされることを嫌うため、小さな虫以外の接近を感知すると、花のつかない長い枝を伸ばし鞭のようにしならせて攻撃する。
この個体が持つ毒は、普通のものと比べ 非常に多くの魔力を含んでいる。


なんだたいしたことなさそうだ、とアスレイヤは安堵した。

「自分で知らないことも、まだ知られてないことも情報として得られる……鑑定魔法は不思議だな」

「鑑定魔法は対象と会話する感じで展開するといい。相手が物でも生き物でも。俺の勝手なやり方だけど」

「会話? 精度を上げるには広い知識が必要で、知識と連動してると聞くぞ」

「相手のことを知ることで話が弾むこともあるだろ、ああいうものだ。たぶん」

「話が弾まなかったらどうするんだ」

「その時は強硬手段をとるしかないな。とれるだけの技量も必要になるが……問答無用で対象の情報を晒させて剥ぎ取る」

「……嫌な言い方だな」

「でも鑑定魔法はもともとそういうものだよ。開示されてないものを強制的に、しかも一方的に晒させるのは他者の尊厳を踏み荒らす行為だ……だから、かどうかは知らないが、かなり精度の高い鑑定魔法を以てしても情報を拾い損なうことは よくある」

シルガはゆっくりと鑑定魔法を展開した。花が綻ぶように描き出されて輝く術式にアスレイヤが目を奪われて暫し見惚れていると、レイブラッサムを見つめるシルガの双眸が優しく微笑んだ。

「花粉の吸い込みには十分気を付けよう。魔力循環を麻痺させるようだ……って、やはり少し危険だな」

「……」

情報を追加され、アスレイヤは少し悔しそうに言った。

「会話するように鑑定して普通では得られない情報を得たとして、それが嘘でないと言えるのか?偽りの可能性だってあるはずだ」

「それはない」

シルガは断言した。

「人が使う魔法と似たような魔法を、獣が別の方法で使うことを、君は不思議に思わないか?」

「確かに獣が使うような方法では 人は魔法を使えない……種族が違うからだろ?」

「そう、種族が違うから。つまり、違うことわりの中で生きてるってこと」

たとえば色。同じ物でも種族によって全く違う色に見える。
たとえば音。聴くことができる音の周波数はそれぞれ違う。
ひとつの世界で生きているのに別世界を生きているのだ。種々それぞれが異なる理を持ち、その中で魔法を使う。それらの魔法に共通していることは一点、生命を削ることだけだ。

他者に干渉する鑑定魔法は 対象が強者であれば跳ねのけられることもあるが、とりわけ他種族の者が対象であると、違う理に生きる者を人の理の中へ 強引に引っ立てることが肝なのだ。人の理の中に連れ出された彼らを、彼らの理は守ってくれない。無防備に人の魔法に晒された彼らは、人が展開した鑑定魔法の支配を 少しの間とはいえ強く受けるのである。何故なら生命を削って魔法を展開する行為は、全ての種族に共通する唯一の法であるため、すべての種族に影響力を持つからだ。


「人が使う魔法の支配を受けても、人だけが人を欺くことが出来る。それは人の理の中で人同士が対等だという証でもある」

「会話するにしても結局、鑑定魔法を使う時点で相手の尊厳を無視することに変わりないように思うぞ」

「そう思うならきっと…… もっと上手になるよ」

シルガは採取瓶の入った袋を渡した。

「俺は見張りと、君の助手をする」

自ら進んで襲ってくる習性のものが少ないとはいえ、この辺りで出くわす獣は強敵ばかりだ。

「危険だと判断したら即切り上げる。それまで頑張って採取してくれ」

「ふん、言われなくてもそのつもりだ」

そう言ってレイブラッサムと対峙するアスレイヤを見てシルガはほっと息を吐いた。

(とりあえず突っ込む戦法は改善されてる。よかった)


****


ショッキングピンクの花を咲かせた変異種のレイブラッサムは、魔女の毒壺に相応しい姿に見えた。

(花粉の吸い込みは危険だ)

万が一に備えて、あまり効果があるとも思えないが、アスレイヤは大判のハンカチで顔の下半分を覆った。その間も注意深く相手を観察する。

(花のつかない枝はどこに……そもそも幾つあるんだ?)

接近と判断される距離も不明だ。目を凝らして眺めると、アスレイヤの拳くらいの大きさの虫が花の中に潜り込んでいる。普通のレイブラッサムより花が大きいためか、接近を許される虫のサイズも大きい。

(間合いが広そうだな)

アスレイヤは慎重に踏み出した。

――ヒュンッ 

と風を切る音に気付くと同時に後ろへ飛び退けば、アスレイヤの鼻先をしなる枝がかすめた。固そうな太い枝は勢いを逃がして元の位置に戻っていく。よく見ると、幹の周りに伸びた ひこばえの他に、地面から突き出た長い枝が2本、幹を守るように張り付いている。アスレイヤが一歩踏み出すと片方の枝がさわりと幹から離れ、枝先をこちらに向けた。

じりじりと時間が過ぎていく。

花を落とされるのを嫌うのだから満開の花の中に飛び込んでしまえば攻撃もできないだろう。そもそも花粉が目的だから最終的にそうしなければならない。

(枝はよくしなるが動きは限られてる)

払いのけるか突くか叩きつけるか……躱された枝は反動にもたついて時間が出来る。大振りな攻撃でリーチが長いので 同じ標的を2本同時に攻撃してくることはないだろう。おそらく接近するのは容易だ。問題は花粉の麻痺効果。魔力量が少ないアスレイヤは、魔力配分をよく考えて臨まなくてはならない。
アスレイヤは勢いよく地を蹴った。

攻撃態勢をとっていた枝がまっすぐに突いてくるのを躱して2本目の枝の攻撃に備える。攻撃までの予備動作が大きいので避けるのは簡単だ。外敵を追い払う2本の枝を切り落とすのは 身体強化しても骨折りそうだし、樹が可哀想なので 躱すことに集中する。

――ビュン!

(2撃目だ!)

足元から上へと払いのける枝をタイミングよく跳んで避け、そのまま幹へとダッシュした。最初の枝が攻撃態勢に戻る前に幹付近に入り込んでしまえばこちらのものだ。防御壁を厚く張って身体強化で一気に花のもとへと跳びあがる。

「俺のことは新種のミツバチとでも思うがいい」

なんとなくそう呟き、枝の分岐に足を掛けて重心を安定させた。帰りに必要な魔力量を差し引くと、今の状態の防御壁を維持できるのは10分にも満たない。ここはケチらずに使いやすい採取瓶から使っていくことにした。

アスレイヤは採取瓶の魔術式に魔力を流し、手近なところに咲く花から揺らして花粉を宙に舞わせた。普段の毒採取では耐性を付けるために防御壁を解除していることが多い。防御壁を維持しながら魔道具を使うのは未だに難しく、採取瓶を握る手に力が入る。

場所を変えながら花を揺らして魔術式を起動させ、時間も忘れて黙々と没頭していた。2本、3本と採取は順調に進んでいく。4本目の採取瓶を起動させたとき、ふと生き物の気配を感じてアスレイヤは顔を上げた。
花の影に隠れてアスレイヤを見る、吊り上がった楕円の二つの眼があった。

「… !!」

「アスレイヤ、避けろ!」

シルガの鋭い声で我に返ったアスレイヤは咄嗟に上体を捻って身をずらした。細長い針のようなものがキラリと光るのを目の端で捉えた瞬間、持っていた採取瓶が乾いた音を立てて砕け、花粉がぶわりと辺りに飛び散った。

(こういう事態は考えてなかった)

攻撃してきたのはアローバドモス。50㎝程の大きさの食欲旺盛な蛾である。花も蕾も構わず食い荒らしてしまう。固い針状の毒毛が身体を覆い、尻から針を飛ばして攻撃する。レイブラッサムがアスレイヤに構ってる隙を突いて入り込んだのだろう。

「油断した!」

二撃目の針が向けられているが、まだ予備動作だ。素早く攻撃の動線から脱出すると同時に剣を抜いて片羽を叩き切った。

「10分、そろそろ引き上げだ!」

幹から飛び降りて離れる際に2本の枝から攻撃されることを警戒していたが、レイブラッサムは静かに花を揺らしてアスレイヤを見送った。二人は速やかにその場を後にし、帰りを急いだ。

「あと一瓶うまく採れると思ったのに!」

「欲を出すとろくなことにならないぞ」

今にも地団駄踏みそうな勢いで悔しがるアスレイヤに、シルガは実感を込めてしみじみと言った。

本日の成果は……レイブラッサム(変異種)の花粉 採取瓶3本分。
アスレイヤから渡された採取瓶がショッキングピンクの光を放ち、その中で細かい花粉が銀色にキラキラ輝き揺れている。シルガが見てもとても質の良い採取物だ。

「花粉を吸い込んでないか? 少しでも不調があればすぐに言うんだぞ」

「今のところ問題ない。それより ちゃんと採取できてるか?」

「上出来だよ。あんなふうに冷静に戦えるのは、カッコいいな」

「なっ、なんだと!? 当たり前だ、確かに何度も醜態を晒したが毎回あれじゃないからな!」

「ハハ! そうだな、いつもカッコいいよ」

「くそっ…… 何故か腹が立つ」

日暮れにはまだ早いので、二人はウィッツィの湖で薬草を採取して行くことにした。アスレイヤが成果物の提出を楽しみにしているのは明らかで、シルガは自然と微笑んだ。



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