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1章

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ドアの外から声を掛けられたシルガは無意識に息を殺し、今更感果てしないが気配を断っていた。精霊が言っていた仲間というのは十中八九、竜だろう。それはいい。
問題は、人間が来たことだ。

(どんなやつがこんなところまで来るんだよ)

まあノランデーヴァの竜騎士に違いないんだろうけど。竜を使役できるのはノランデーヴァ国の竜騎士だけだ。

(関わりたくないな)

騎士とか魔術士とか、そういった国家権力関係の人間とは特に関わり合いになりたくない理由がシルガにはあった。少し前までシルガはエルドラン国の、シエカート公爵領内に跳梁跋扈している数ある新興宗教団体のうちの弱小教団のひとつで、教祖をしていたのだ。正確にいうと教祖は別にいたのだがほぼ教祖。なりゆきで教祖。もはやシルガが教祖でわりと神だった。

(俺がカネを騙しとってたわけじゃないけどな)

とはいえセコい詐欺集団だったことは間違いない。

「こんな夜更けに無礼を許してほしい。怪我人だけでも入れてもらえないだろうか」

(そうだった)

仲間を助けてくれと精霊に頼まれていたことを思い出し、ローブを羽織って顔を隠した。ドアを開けると騎士らしい青年が怪我人を背負って立っている。シルガに礼をとろうとしたのでそれを遮り中へ入るよう促した。

「奥の、暖炉がある部屋を使うといい。他人のベッドが嫌でなければ気兼ねせずにどうぞ。その部屋にあるものはそっちで判断して勝手に使って構わない」

青年が礼を言おうとしたのをシルガはあえて無視して言うだけ言うとそのまま外に出てドアを閉めてしまった。目的は竜だ。精霊との契約において 彼らの頼みごとは可能な限り成就させなければならない。竜に目を留めたシルガはそっと近づいて様子を探った。2頭とも美しい銀色の竜なのだろうが片方は魔瘴の汚染が激しくどす黒く変色している。このままにしておけば魔化を起こすか死ぬかの危険な状態だ。どちらも理性的な目をしていておとなしい。

(攻撃される心配はなさそうだ)

話の分かる相手でよかったと、先程よりも気安く近づき竜の身体を検分すると大した怪我がないことに安堵した。あとはこの竜が取り込んでしまった瘴気を取り除くだけだ。シルガにとってそれは自身に少し負荷がかかるだけの、簡単なことだった。
正面から竜を抱き込むようにして首筋に触れ掌に神経を集中させたシルガは、竜の身体を巡っている魔力の流れを探した。この世界の生き物はどんなものでも魔力を持っている。生命維持のために血が巡るように、魔力も身体を循環している。魔力を大量に失うことは血を大量に失うことほど直接的に命を脅かすことにはならないが、じわじわと衰弱させ命を奪う程にはなる。この竜は魔力がほとんど残ってないようだった。魔力で自分の治癒力を上げ、防御していた割には瘴気を取り込みすぎている。自分の為に魔力を使わず、あの怪我をした竜騎士の為に使っていたのだろう。

(竜ってのは健気なんだな)

シルガはルーンシェッド大森林の特にこの付近で魔瘴噴出孔が大量発生することをよく知っていた。本来なら来るはずのない客人が来たのもそれ関係だろうと、適当に予想して自己完結すると作業に取り掛かった。
竜の魔力を掴んだシルガはそれを自分の身体に巡る魔力と繋げ、そこから竜の身体を蝕む魔瘴を自分の身体に取り込み、ついでに自分の魔力を注ぎ込んだ。どす黒く変色していた身体が徐々に銀色の、本来の美しい色に戻っていった。その代わり、シルガの身体はミシミシと音を立て、木が枯れるように衰えていった。

「さて、おしまい。これで君はまた飛べるよ」

(そういえばアイスクリーム作ってたな)

唐突に思い出したので様子を見に行くと、ちょうど良い感じに端の方が固まっている。ガシャガシャと混ぜてまたふたをして戻し、シルガはその場に座り込んだ。はっきり言って手持無沙汰だ。やたら寒さが身に染みるが家に入りたくない。

(あー……雪降ってきたなぁ)

ちらちら降り始めた雪をぼんやりと目で追いながら考えた。
ほんの少し見ただけだがあの騎士の様子だと朝まで持たないかもしれない。せっかく竜が身を挺して守ろうとしていたのに残念だ。いっそ自分がしゃしゃり出て魔瘴をまるっと取り除いてもいいのだが、教祖の件もこういう些細なことからおおごとになってしまったわけだし、なんかばれずにこっそり手を貸す良い方法はないだろうか。
ふと視線を感じて周りを見ると銀色の竜と目が合った。もの言いたげにじっと見つめられている。2頭に見つめられるのは圧がすごかったが、それを気にもせずに ふよふよとのんきに精霊が現れて言った。

―――シルガ、あのひとたすけて

精霊が人間に干渉するのは珍しいことだ。

―――あのひとしぬと、あのひとこまる、カレリスかなしい

「よくわからないが……そっちの竜の頼みってことか」

―――ちがう、けいやく

それを出されてしまってはどうしようもない。シルガは引っ越しを視野に入れて手を貸すことにした。



********



勝手にしろと言わんばかりに、というか実際そんなふうなことを言っていたが、家の中に放置されたジスは困惑していた。家主は何故か外へ出てしまった。もしかして自分が追い出してしまったのではないだろうか。肩口で呻くルクスの声ではっと我に返った。

(ベッドを使わせてもらおう)

飲ませた治癒薬のおかげでルクスの傷は中途半端に治っている。お湯が沸いていたのでタオルを温め汚れをぬぐった。ルクスの状態はかなり悪くなっている。治癒魔法、治癒薬、と言ってもこれらは自己治癒力を高める身体強化の延長にあるもので、これ以上重ねても意味をなさない。体内に取り込んでしまった魔瘴の無害化も自己治癒力によってされるわけだから良くなる見込みがなかった。さらに悪いことに、ルクスは魔力を大量に失っている。エルメがあれだけ消耗して守ってもこの状態だ。差し当たって出来ることといえば声を掛けて意識をつなぐことくらいしかない。

「ルクス、しっかりしろ」

竜は情深い獣だ。ルクスを探しに出た時の自分の態度を思い返すといっそう愛情深く感じた。エルメにとってルクスは大切な相棒なのだろう。ルクスを煩わしく思う者は多いが案外そこまで嫌な奴というわけでもないのかもしれない。エルメの状態も気になっていたが、離れた間にもしものことがあった場合を考えて動けなかった。

「そんなに根を詰めては君まで倒れるんじゃないか?」

ジスは突然かけられた声に一瞬ぎくりとした。いつの間に戻ったのか、先程も思ったことだがこの家の主は気配を断つのが上手い。こんなところに住んでいるくらいだから後ろ暗いことがあるのかもしれないし、ただの変人の可能性もある。だが親切にされていることは確かだ。

「迷惑をかけてすまない、あなたの親切に感謝している。俺は

「あー…… そっちに名乗られるとこちらも名乗らないといけなくなるじゃないか。面倒なんだ。俺のことは魔術師とかそんなので呼んでくれ。俺は騎士殿って呼ぶよ」

どうせ二度と会わないからな。

言外にそういう意味を感じた。

(魔術師なのか)

声から察するに若い男だ。姿の特徴を捉えにくいのは単に顔を隠しているからというわけではなく、すっぽりと身体全体を覆ったローブが特殊な加工を施されたものであるためだろう。

「ところで……治癒薬が必要ならいくつかその辺にあるはずだ」

「傷の治り方からしてもう意味がない。魔力も大量に失ってるし魔瘴の汚染も激しい。正直あまり出来ることがない」

「ま、そう言わず。とりあえずダメ元で使ってみてくれ」

棚から適当に出された治癒薬は見たことのない変な色をしていてどう見ても市販品ではない瓶に入っている。

「……ご親切に、どうも」

「……いや、言いたいことはわかるし尤もだと思う。鑑定魔法で安全を確認しても俺は全く気にしない」

そう言ってまた出て行ってしまった。ジスは少し思案した後、瓶の中身を鑑定した。

*治癒薬*
・回復効果

簡潔に示されたそれを見て毒でないことを確認し再度ルクスに無理やり飲ませた。かなり強引に流し込んだのでむせてしまったのは仕方ない。

「ルクス……声聞こえるか」

苦しそうに呻くルクスの汗を拭ったり、お湯で絞ったタオルで冷えた手足を温めたりと甲斐甲斐しく世話をしていたジスは、ルクスの呼吸が落ち着いてきたことに気付いた。傷口を確認するとすっかり治っている。

(治癒薬が効いたのか?それにしても……)

傷だけでなく魔力も回復している。鑑定ではただ回復効果としか判らなかったが、確かに雑な分類だとは思ったのだ。魔術師に渡された治癒薬は一般的に作られている身体強化の延長にあるものとは別物のような気がした。ようやく気持ちに余裕が出てきたジスは改めてこの家を見渡して思った。

(変わった家だ)

本、素材、薬品、武器、実験器具、そしてとにかく魔道具が多い。それらのものはジスにとって興味深いものばかりだ。ジスはあの不審な人物、もとい魔術師について、軽い好奇心がわいたのだった。



外に置いていたアイスクリームを再び混ぜながらシルガは今後の段取りを考えていた。

(そろそろ効果が出た頃だ)

渡した治癒薬は無事に使ってもらえたようだった。積極的に引っ越しをしたいわけではないのだ、出来る限りおおごとにならないようにコトを進めたい。あの騎士は全く隙を見せないが多分とても疲れているだろうし、怪我人の状態が少し安定して気が緩んだところで何か食事を勧めてみる。顔も見せず名乗りもせず他人の言葉を遮ってばかりの無礼で怪しい奴が作った食事を食べてもらえるかは不明だが、食事をとってうとうとし始めたところを狙って怪我人に近づき、自己治癒力で処理しきらない分の魔瘴を取り除く。そして速やかに帰ってもらう。デザ-トもあるなんて完璧だ。

生まれた時から魔瘴と深いつながりがあるシルガは魔瘴の研究と魔道具作りをライフワークにしてきた。ルーンシェッド大森林は魔瘴について研究するにはとても都合のいい場所なのだ。それに加え、魔化した様々な獣、独自の進化を遂げた植物、瘴気の塊が結晶化したもの、危険はあるが何でも採取し放題。かつてのシエカート公が施したと思われる魔法展開式も魅力的だ。
独りで、快適に、研究に没頭する。シルガはとても自由だった。
いつ死んだって誰からも文句を言われないのだから。

「ビーフシチューを作ってたから、オムライスで釣ってみよう」

うまくいけばいいんだけどな、と、シルガは計画の成功を祈った。

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