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28:夜明け

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 小鳥のさえずりが聞こえて、目が覚めた。

 ゆるゆるとまぶたを開くと、辺り一面に、茶色い景色が広がっているのが目に入る。

(……あれ? 私……)

 いつのまにか、気を失っていたらしい。

 次第に頭がはっきりとして、先ほどの土砂崩れのことを思い出す。

 そうだ。

 私たちは、迫りくる土砂に巻き込まれて……。

「……お兄ちゃん!!」

 がばり、と勢いよく上体を起こしながら、私は叫んだ。

「聞こえてるよ」

 と、返事は思ったよりも近くから聞こえた。
 
 見ると、薄明かりの差す空を背景に、兄は土の斜面に腰を下ろしていた。
 両脚を三角に立てて広げ、落ち着いた様子でこちらを見つめている。
 私が起きるのを待っていてくれたのだろうか。

「ケガはないか?」

 聞かれて、そういえばどこも痛くないな、と思った。

「え? あ、うん……。お兄ちゃんも?」

 土砂崩れに巻き込まれて、無事で済むはずがない。
 けれど、いま私はこの通りピンピンしている。
 青い病衣はもはや泥だらけになっているが、不思議と破れた箇所はなさそうだった。

 空はまだ薄暗い。
 けれど、淡い紫の色に染まっている。
 太陽はまだ顔を出していないので、日の出前だろうか。

「えっと……。私たち、助かったの?」

「みたいだな」

 兄はそう答えると、気だるげな動作で肩越しに後ろを振り返る。

「……こいつが守ってくれたみたいだ」

 兄の視線の先には、荒れた大地にぽつんと立つ、全身が真っ黒な地蔵の姿があった。

「クロ……?」

 そのとき初めて、私は気づいた。

 あのとき、山頂からすべり落ちた土石流。
 それらは黒地蔵の体と私たちのいる場所だけを避け、周りの木々をすべてなぎ倒していた。
 山の斜面がえぐれて、赤茶色の地層がむき出しになっていたけれど、私たちのいる一帯だけは不自然に無事だったのだ。

 その光景は、誰の目から見ても、奇跡の力が働いたとしか言えなかった。

「クロが……黒地蔵が、私たちを守ってくれたの?」

 左腕を失った彼の体には、まだ右手が残っている。
 彼はその手で、私たちを土砂から守ってくれたのだ。
 
「……さっき、お前も言ってたな。黒地蔵は呪いの地蔵なんかじゃないって」

 兄はどこか遠くを見つめながら言う。

「その話、信じてみる価値はあると思う」

 ずっと、私が欲していた言葉。
 それが今、兄の口から紡がれる。

「……そうだよ。そうだよ、お兄ちゃん!」

 私は嬉しさのあまり、その場に立ち上がって、勢いよく兄の胸へとダイブした。
 わっ、と驚いた声を上げながらも、兄は私の体をしっかりと抱きとめてくれる。

「黒地蔵は、とっても優しいお地蔵さまなんだよ。黒地蔵のおかげで、私はこうして戻ってこれたの……」

 嬉しくて、自然と涙があふれてくる。

「これでもう、大丈夫だね。私も元気になったし……お兄ちゃんが心配する必要は何もないよ。誰かに何か言われたり、責められたりすることもないはず……」

 そこまで言ったとき、兄は「そのことだけどな」と前置きしてから、私の両肩を掴み、こちらの目をまっすぐに見て、

「お前は、何か勘違いをしている」

 そう、どこか寂しげな顔をして言った。

 私はその言葉の意図がわからなくて、黙ったまま目をしばたたく。

「心配しないでって、お前は簡単に言うけどな……。たとえ今回みたいなことがなくたって、心配しないわけがないだろ。実の妹を心配しない兄がどこにいるんだよ」

 兄の口にしたそれは、私にとっては寝耳に水のような内容で。

「周りの目だとか、誰かに何かを言われることなんて関係ない。大事な家族を守りたいって思うのは、当たり前のことだろ」

 兄の、本当の気持ち。

 私が今まで考えもしなかった真実。

 それは、私が勝手に想像していたよりもずっと優しいものだった。

「ありがとう……お兄ちゃん」

 優しい人たちに囲まれて、私は本当に幸せ者だ、と思う。

 やがて、東の空から一筋の光が差して。
 長かった夜が明けて、朝がやってきた。
 
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