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どれだけ自転車のスピードを上げても、さすがに車に追いつくことはできなかった。
クロは、まだ無事だろうか。
祈る気持ちで、最後の急カーブを曲がる。
ここを越えれば例の心霊スポットだ。
土手を上った先には黒地蔵がある。
(神様……。どうか間に合って!)
カーブを曲がった先は、漆黒の闇だった。
月の光も届かない、山の陰。
私は適当な場所に自転車を乗り捨てると、泥でぬかるんだ土手を手探りで上った。
雨が地面を強く打ち付ける音と、木々が風に煽られる音。
それ以外は何も聞こえない。
兄の声も、クロの声も。
「お兄ちゃん待って! お願いだから黒地蔵を傷つけないで!!」
視界が悪く、兄がどこにいるのかわからない。
枝葉をかき分け、がむしゃらに前へ進んでいると、突然、甲高い衝突音のようなものが聞こえた。
何か、固いもの同士がぶつかる音。
右の方からだった。
私は音のした方へ向きを変え、胸の早鐘を聞きながらそちらへ進む。
すると、空で雷が唸り、一瞬だけ昼のように明るくなったその場の景色に、息をのんだ。
振り下ろされたバット。
兄がしっかりと握っているそれは、おそらく金属で出来ていて。
その目の前に立つ真っ黒な地蔵は、すでに左肩から下が砕かれていた。
「いやあああああッ!!」
私が叫んだ瞬間、兄はやっとこちらの存在に気づいたらしい。
反射的に後ずさりした兄の脇をすり抜け、私は黒地蔵にすがりついた。
「クロッ……クロ! ごめんね、私のせいで……!」
クロの声は聞こえない。
けれど、先ほど聞いたミドリさんの絶叫が、まだ耳にこびりついている。
傷ついた体はもう治らない。
左腕を失ったクロの痛みはどれ程のものか。
想像もできないその苦しみに、私は幼い子どものように泣き叫んだ。
「……ましろ……なのか?」
金属バットを手にしたまま、兄は混乱しているようだった。
病院で眠っているはずの妹が、こんな場所で、呪いの地蔵にすがりついて泣いている。
きっと訳がわからないだろう。
私も、このままいつまでも泣いているわけにもいかない。
黒地蔵への疑いを晴らすため、涙をふいて、改めて兄の方を振り返る。
「……お兄ちゃん。私、黒地蔵に助けてもらったの」
兄からの返事はなかった。
おそらくはまだ頭の整理がついていないのだろう。
私は構わず続けた。
「黒地蔵は、呪いの地蔵なんかじゃないよ。私を助けてくれた……優しい神様なんだよ」
私の言葉が届いているのかいないのか、どこまで信じてもらえるのかはわからない。
でも、私がクロを信じているという事実だけは、知っておいてほしかった。
「ねえ、クロもそこにいるんでしょう? 私、ちゃんと元の体に戻れたよ。あなたに助けてもらって、無事に帰って来れた。あなたのおかげで助かったの」
この声がきっと彼に届いていると信じて、私は自分の気持ちを言葉にする。
「あなたは私の恩人で、私にとって、とても大切な存在なの。だからお願い……死なないで、クロ」
言いながら、また涙があふれてきた。
どうか、死なないで。
ぐすぐすとまた私が泣いていると、それまで静かだった兄が、やっと口を開く。
「……ちがう」
腹の底からしぼり出すような、低い声。
「お前は、ましろじゃない」
否定の言葉。
私は恐る恐る兄を見上げた。
降り止まない雨の中、再び空が光る。
逆光で、私の前にぬらりと立ちはだかった兄の姿は、黒々とした影を全身にまといながら、その鋭い眼光でこちらを睨んでいた。
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