3 / 50
第1章
誰もいないカフェ
しおりを挟む(ここって、カフェだったんだ……)
濡れた髪をタオルで拭きながら、古そうなイスに腰を落ち着ける。
ギシギシと音を立てる木製のイスは、今にも私の体重でつぶれてしまいそうだった。
ほどなくして、テーブルの上には紅茶とケーキとが運ばれてきた。
「はい、どうぞ。味に自信はないけど、よかったら召し上がれ」
どうやら彼の手作りらしい。
チーズケーキだろうか?
少し焦げ目が目立つような気もするけれど、こんがりと焼きあがっていて香ばしい匂いがする。
「な、なんだかすみません。雨宿りをさせてもらった上に、お茶とケーキまで」
「気にしなくていいよ。これは僕が勝手にやっているだけなんだから」
そう言って微笑んだ彼の顔は、とても優しげだった。
そのやわらかな雰囲気に触れて、それまで荒んでいた私の心は少しずつ落ち着きを取り戻し始める。
(良い人だなあ)
お店の見た目はちょっと怖いけれど、店主である彼自身はとても優しい人なのかもしれない。
「それで、さっきはどうして泣いていたの?」
聞かれて、私は例のストラップのことを思い出した。
「その、私……ストラップを探しているんです。学校の帰りにどこかで落としちゃったみたいで」
「ストラップ?」
「はい。小さなテディベアのストラップで、友達から貰ったものなんですけど」
私が説明している間、彼は私の向かいに座って真剣な眼差しをこちらに向けていた。
私の話を真面目に聞いてくれているのだと一目でわかる。
やがて私が説明を終えると、彼は私から視線を逸らさずに、
「大事なものなんだね。大切な友達から貰ったものだから」
そう、静かな声で理解を示してくれた。
そんな彼の優しげな声を聞いたとき、私は心のどこかで安堵を覚えた。
それまで一人で悩んでいた私の心を、理解してくれる人がいた――そう思ったとき、一度は引っ込んだはずの悲しい思いが再び溢れそうになって。
気づけば私は、また泣いてしまっていた。
「ごめん。何か気に障ったかな?」
彼は慌てた様子で私の顔を覗き込む。
「いえ、ごめんなさい。……もう、大丈夫ですから」
私はタオルを顔に押し当て、必死に嗚咽を噛み殺した。
なんとか気を落ち着けようと、すかさず紅茶へ手を伸ばす。
年季の入ったティーカップに注がれた、きれいな色の紅茶。
それをぐっと一気飲みするように口へ含んだとき、
(……まっず!?)
あまりの苦味に、思わず噴き出した。
「あっ……。大丈夫?」
たまらず咳き込んだ私に、彼はそれほど驚いた様子もなく、すぐさま私の隣に立って背中をさすってくれた。
「ごめんね。やっぱり美味しくなかった?」
「……やっぱり……って、どういうことですか……?」
涙目になりながら、私は掠れた声で尋ねた。
「うん……。実は僕のお茶、美味しいって言われたことがなくて」
そう言って、彼は困ったように苦笑した。
美味しいと言われたことがない。
それって、カフェを営む者としてはかなり致命的では?
「そ、そうなんですか」
あ、あはは、と私も苦笑する。
確かにこの味ではフォローのしようがない。
まるで茶葉をそのまま食したときのような、とんでもない苦味が凝縮されている。
一体何をどうすればここまで不味いお茶が出来上がるのか。
(でも、実はすっごく身体に良いお茶なのかもしれないし)
そう、ポジティブに考えることにした。
良薬は口に苦しって言うし。
けれど、あまりの苦さに舌はビリビリと痺れている。
せめて口直しをと、今度はケーキに手を伸ばす。
しかし。
(あっま……!?)
反射的にリバースしかけたそれを、両手で必死に抑え込んだ。
超絶、甘い。
砂糖の入れ過ぎだろうか。
これは百パーセント、身体に悪い。
「ごめんね。やっぱりケーキもだめだった?」
わかっていたと言わんばかりの彼の反応に、私もさすがに疑いの目を向ける。
「あの。失礼ですが、もしかして、お料理はあまり得意じゃないとか……?」
無礼を承知で聞くと、彼は気まずそうに頬をかきながら、
「うん……。実は料理だけといわず、家事全般が壊滅的にダメで」
ごめんね、と、何に対してかわからない謝罪を彼は口にする。
確かに彼の言う通り、家事は全く出来ないらしい。
料理もダメなら掃除もダメ。
それによくよく見てみると、彼の着ている白いシャツも襟元はヨレヨレで、全体的にシワがよっている。
おそらくは洗濯やアイロンがけも下手なのだろう。
なまじ顔が良いだけに最初は気づかなかったけれど、彼の身なりはどことなくみすぼらしかった。
「変だって思われるかもしれないね。料理も出来ないのに、カフェをやってるなんて」
「え。あ、いえっ。そんなこと」
正直、否定はできない。
「でも、あの……もう少しお掃除をした方が、お客さんも入りやすいんじゃないですか? この建物、結構古いですし。ぱっと見た感じじゃ、ちょっと入りにくいっていうか」
差し出がましいとは思ったけれど、少しだけ助言してみる。
さすがにこの有様では、ここに店があること自体、誰にも気づいてもらえないかもしれないから。
「入りにくい?」
と、なぜかそこだけびっくりしたように彼は聞き返した。
「えっ? あ、はい……」
予想外の反応に、私も思わず身構える。
それまで当たり前のように全てを受け止めていた彼が、急に意外そうな顔をしたので、
「す、すみません。言い過ぎました……」
私は慌てて頭を下げた。
「いや、謝ることじゃないよ。教えてくれてありがとう。入りにくい雰囲気があるのなら、あの人もきっと、ここに来てはくれないだろうから」
「え?」
最後の方は、ほとんど独り言のようだった。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
「君の作った料理は愛情がこもってない」と言われたのでもう何も作りません
今川幸乃
恋愛
貧乏貴族の娘、エレンは幼いころから自分で家事をして育ったため、料理が得意だった。
そのため婚約者のウィルにも手づから料理を作るのだが、彼は「おいしいけど心が籠ってない」と言い、挙句妹のシエラが作った料理を「おいしい」と好んで食べている。
それでも我慢してウィルの好みの料理を作ろうとするエレンだったがある日「料理どころか君からも愛情を感じない」と言われてしまい、もう彼の気を惹こうとするのをやめることを決意する。
ウィルはそれでもシエラがいるからと気にしなかったが、やがてシエラの料理作りをもエレンが手伝っていたからこそうまくいっていたということが分かってしまう。
婚約者が隣国の王子殿下に夢中なので潔く身を引いたら病弱王女の婚約者に選ばれました。
ユウ
ファンタジー
辺境伯爵家の次男シオンは八歳の頃から伯爵令嬢のサンドラと婚約していた。
我儘で少し夢見がちのサンドラは隣国の皇太子殿下に憧れていた。
その為事あるごとに…
「ライルハルト様だったらもっと美しいのに」
「どうして貴方はライルハルト様じゃないの」
隣国の皇太子殿下と比べて罵倒した。
そんな中隣国からライルハルトが留学に来たことで関係は悪化した。
そして社交界では二人が恋仲で悲恋だと噂をされ爪はじきに合うシオンは二人を思って身を引き、騎士団を辞めて国を出ようとするが王命により病弱な第二王女殿下の婚約を望まれる。
生まれつき体が弱く他国に嫁ぐこともできないハズレ姫と呼ばれるリディア王女を献身的に支え続ける中王はシオンを婿養子に望む。
一方サンドラは皇太子殿下に近づくも既に婚約者がいる事に気づき、シオンと復縁を望むのだが…
HOT一位となりました!
皆様ありがとうございます!
茶番には付き合っていられません
わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。
婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。
これではまるで私の方が邪魔者だ。
苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。
どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。
彼が何をしたいのかさっぱり分からない。
もうこんな茶番に付き合っていられない。
そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。
欲情しないと仰いましたので白い結婚でお願いします
ユユ
恋愛
他国の王太子の第三妃として望まれたはずが、
王太子からは拒絶されてしまった。
欲情しない?
ならば白い結婚で。
同伴公務も拒否します。
だけど王太子が何故か付き纏い出す。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
救国の大聖女は生まれ変わって【薬剤師】になりました ~聖女の力には限界があるけど、万能薬ならもっとたくさんの人を救えますよね?~
日之影ソラ
恋愛
千年前、大聖女として多くの人々を救った一人の女性がいた。国を蝕む病と一人で戦った彼女は、僅かニ十歳でその生涯を終えてしまう。その原因は、聖女の力を使い過ぎたこと。聖女の力には、使うことで自身の命を削るというリスクがあった。それを知ってからも、彼女は聖女としての使命を果たすべく、人々のために祈り続けた。そして、命が終わる瞬間、彼女は後悔した。もっと多くの人を救えたはずなのに……と。
そんな彼女は、ユリアとして千年後の世界で新たな生を受ける。今度こそ、より多くの人を救いたい。その一心で、彼女は薬剤師になった。万能薬を作ることで、かつて救えなかった人たちの笑顔を守ろうとした。
優しい王子に、元気で真面目な後輩。宮廷での環境にも恵まれ、一歩ずつ万能薬という目標に進んでいく。
しかし、新たな聖女が誕生してしまったことで、彼女の人生は大きく変化する。
【完結】結婚式当日、婚約者と姉に裏切られて惨めに捨てられた花嫁ですが
Rohdea
恋愛
結婚式の当日、花婿となる人は式には来ませんでした───
伯爵家の次女のセアラは、結婚式を控えて幸せな気持ちで過ごしていた。
しかし結婚式当日、夫になるはずの婚約者マイルズは式には現れず、
さらに同時にセアラの二歳年上の姉、シビルも行方知れずに。
どうやら、二人は駆け落ちをしたらしい。
そんな婚約者と姉の二人に裏切られ惨めに捨てられたセアラの前に現れたのは、
シビルの婚約者で、冷酷だの薄情だのと聞かされていた侯爵令息ジョエル。
身勝手に消えた姉の代わりとして、
セアラはジョエルと新たに婚約を結ぶことになってしまう。
そして一方、駆け落ちしたというマイルズとシビル。
二人の思惑は───……
引退したオジサン勇者に子供ができました。いきなり「パパ」と言われても!?
リオール
ファンタジー
俺は魔王を倒し世界を救った最強の勇者。
誰もが俺に憧れ崇拝し、金はもちろん女にも困らない。これぞ最高の余生!
まだまだ30代、人生これから。謳歌しなくて何が人生か!
──なんて思っていたのも今は昔。
40代とスッカリ年食ってオッサンになった俺は、すっかり田舎の農民になっていた。
このまま平穏に田畑を耕して生きていこうと思っていたのに……そんな俺の目論見を崩すかのように、いきなりやって来た女の子。
その子が俺のことを「パパ」と呼んで!?
ちょっと待ってくれ、俺はまだ父親になるつもりはない。
頼むから付きまとうな、パパと呼ぶな、俺の人生を邪魔するな!
これは魔王を倒した後、悠々自適にお気楽ライフを送っている勇者の人生が一変するお話。
その子供は、はたして勇者にとって救世主となるのか?
そして本当に勇者の子供なのだろうか?
甘やかされすぎた妹には興味ないそうです
もるだ
恋愛
義理の妹スザンネは甘やかされて育ったせいで自分の思い通りにするためなら手段を選ばない。スザンネの婚約者を招いた食事会で、アーリアが大事にしている形見のネックレスをつけているスザンネを見つけた。我慢ならなくて問い詰めるもスザンネは知らない振りをするだけ。だが、婚約者は何か知っているようで──。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる