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終章 東京都豊島区
雑司ヶ谷霊園にて
しおりを挟む約十万平方メートルもの広大な平地に、形状様々な墓石が並んでいる。敷地のあちこちには欅や銀杏などの大木が目立ち、今は桜が見頃を迎えていた。
「ああ……。やっぱり良いな、雑司ヶ谷霊園。都心にありながら緑豊かで、多くの著名人たちが眠っている。夏目漱石に竹久夢二、ジョン万次郎。全員お参りして帰りたいな」
うっとりとした表情で辺りを眺めているのは、二十代半ばほどの中性的な美人だった。白地に薄墨色の柄が入った着物に、男物の黒い羽織を肩から掛けている。長いまつ毛の奥に覗く瞳の色は薄く、どこか異国の血を思わせる。手入れのされた長い黒髪は後頭部で縛っており、凛としたその佇まいは、老若男女関係なく周囲の視線を惹きつけていた。
「おい右京。勝手に寄り道するなよ。俺たちは俺たちの家の墓参りに来たんだろ」
彼女の隣から、少年が抗議の声を上げた。年齢は十歳ほど。こちらも瞳の色は薄く、整った顔立ち。黒を基調とした袴姿で、ライオンの鬣のような癖のある赤毛を持つ。
彼は厳しい視線を隣の右京へ向けながらも、その右手は大人しく彼女と繋がれていた。
「はは。そうだったな、獅堂。今日はあまり時間もない。寄り道している暇はないな」
苦笑する彼女の背後から、さらに幼い声が飛んでくる。
「ねー、右京さん。獅堂ばっかりずるいよ。おれも右京さんと手をつなぎたい!」
高い声で不満をぶつけてきたのは、まだ幼稚園児ぐらいの少年だった。彼もまた同じ色の瞳を持ち、愛らしい顔をしている。服装は青と白のストライプ柄の浴衣である。
「うるせえぞ、天満。俺はお前の兄なんだから、文句言うな。あと兄上って呼べ!」
すかさず獅堂からの叱責が飛んできて、天満はしゅんと肩を落とす。そんな彼の様子を見て、右京はすまなそうに苦笑した。
「そんな顔をするな、天満。あとで好きなだけ土産を買ってやるから。それで勘弁してくれ」
獅堂と左手を繋いだ彼女は、右手で花束を抱えている。天満と手を繋ぐには腕が足りないのだ。
「えっ、お土産? ほんとにいいの? 右京さん」
それまで不満たらたらだった天満は、しかし彼女の言葉を耳にした途端、ぱあっと顔を綻ばせる。土産物に目がない彼は小さな体を弾ませて喜んでいた。
その隣で、さらにもう一人の少年は呆れた顔をしていた。「俺はそんなので騙されへんぞ」という視線が、右京の背中をチクチクと刺す。年は天満と獅堂のちょうど中間ぐらいで、服装は天満とお揃いの浴衣だった。同じ色の瞳に、シュッとして整った顔立ち。下手に獅堂を刺激しないように口を慎んでいるその少年は、兼嗣である。
「あ」
と、獅堂が何かを見つけて足を止めた。どうした? と右京が聞くと、
「あそこにいるの、時治の爺ちゃんじゃないか?」
三人が目をやると、永久家の墓の前にはぽつんと佇む老人がいた。禿頭に白い顎髭を生やし、痩せた体に焦茶色の着物を纏っている。
右京は獅堂と手を繋いだまま歩を進め、時治のもとへ向かった。
「ご無沙汰しております。時治さま」
右京は恭しく頭を下げたが、対する老人は彼女と三人の少年を一瞥すると、「ふん」と鼻を鳴らしただけで、そのまま無言で立ち去ってしまった。
「俺、あいつ嫌いや」
本人にも聞こえる声で兼嗣が言った。
「こら。そんなことを言うんじゃない」
右京が嗜めると、今度は獅堂が老人の背中を見つめて言う。
「でも珍しいな。あいつが墓参りに来るなんて。ご先祖様のこと、あれだけ嫌ってたくせに」
右京は再び時治の方へ体を向けると、無言のまま、改めて頭を下げる。
そんな彼女の様子を、幼い天満はじっと見つめていた。
簡易的な清掃を済ませてから、墓前に花を供える。最後に線香に火をつけて、四人は手を合わせた。
「俺たちもいつかは、この墓の下に入るんだよな」
獅堂が言った。
石の外柵に囲まれたその場所には、古いものから新しいものまで複数の墓石が建てられている。その下には、永久家代々のご先祖様たちが眠っている。
「三百年前に呪いを残したご先祖様も、ここに眠ってるんだよな。……正直、そんな迷惑な奴と一緒に眠りたくないんだけど」
「まあ、そう言うな。ご先祖様が祟られてしまったのも、きっと何か事情があったんだろう。私たちの知らない、何か大きな理由があったんだ。きっと」
右京はそう、まるで自分自身に言い聞かせるように言った。そんな彼女の横顔を見て、天満が尋ねる。
「右京さん、どうしたの?」
「え?」
「なんだか、かなしい顔してる」
そんな天満の指摘は予想外だったようで、右京は目を丸くした。いつも冷静な彼女にしては珍しい表情だった。けれど、彼女はすぐに普段通りの穏やかな微笑を浮かべると、
「天満は洞察力があるな。探偵にはもってこいだ」
「どうさつりょく?」
「大切なことを見抜く力のことさ。人も、物事も、表面的に見ているだけではその本質は見えてこない。けれど天満のその力があれば、真実を見失うことはない。だからきっと、呪いに負けることもない。……呪いというものは、私たちの心の弱い部分から生まれるものだからな」
右京はそう言って、天満の頭をくしゃりと撫でる。天満は言葉の意味をうまく理解できなかったが、彼女の手のあたたかさが心地良くて、それ以上深くは考えなかった。
「これから、悲しいこともたくさんあるだろう。けれど、たとえこの先に何があっても……お前ならきっと乗り越えられる。天満は強い子だからな」
「おれが強い子でいたら、右京さんはよろこんでくれる?」
「ああ」
右京が笑うと、それだけで天満は胸がいっぱいになる。
「わかった。おれ、ずっと強い子でいる。右京さんのために、がんばるから」
「ああ。期待しているよ、天満」
桜の花が散っていく。
あたたかな春の陽気に包まれながら、先祖代々を弔う線香の匂いが、彼らの脇を通り過ぎていった。
(第一部・終)
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