異邦人と祟られた一族

紫音

文字の大きさ
上 下
15 / 42
第二章 白神桂

ドッペルゲンガー

しおりを挟む
 


 道の先には、一人の人間が立っているのが見えました。
 その人はぼんやりと霧のかかる向こう側から、じっとこちらを見つめています。

 もしや桜さんではないかと、私は足を踏み出してその人に近付きました。
 ですが、やっと顔が見える位置まで来たところで、私は自分の間違いに気付きました。

 道の先で待っていたのは男性でした。
 痩せた身体に着流しを纏い、羽織を肩から掛けています。

「……!」

 その顔は、見間違えるはずがありません。
 怪しい微笑を浮かべたその顔は、紛れもなく、私自身のものでした。

 驚きのあまり、私はぽかんと口を開けたまま放心していました。

 まるで鏡を見ているかのようでした。
 俗に言うドッペルゲンガーでしょう。
 私がこの現象を体験するのは生まれて初めてのことでした。

「危ないッ!!」

 と、そのとき。

 誰かの叫び声が聞こえたかと思うと、私は胸の辺りに衝撃を受け、そのまま視界がぐるりと後ろへ回転しました。

 直後。
 いつのまにか迫っていた電車の側面が、私の視界を埋め尽くし、そして一瞬にして通り過ぎて行きました。

「っ……」

 背中を強く打ち付けて、私は仰向けに倒れました。

「何ボーッとしてんのよ、このバカ!」

 降りしきる雨の音に紛れて、聞き慣れた声がしました。

 ハッとして見ると、すぐ目の前に、私の求めて止まなかった少女の顔がありました。

 ほんのりと化粧を施した、まだ幼さの残る顔。
 片方だけ結った明るい髪は雨に濡れて、桃色の頬に張り付いています。
 その表情は今にも泣き出してしまいそうな、悲痛な色を浮かべていました。

「家でおとなしくしてろって言ったでしょ!? なんでっ……なんでこんな危ない所に突っ立ってんのよ! あんた、もう少しで死ぬところだったのよ! わかってんの!?」

 私を押し倒すような形で、桜さんは私を見下ろしていました。
 そのすぐ隣では、電車の接近音を鳴らし終えた踏切が、安全バーを畳むところでした。

 どうやら、私はいつのまにか線路内に立ち入っていたようでした。
 そうして電車に轢かれそうになったところを、桜さんが助けてくれたのです。

「ほんとに……何やってんのよ。あんたまでいなくなったら、あたし……っ」

 そこで彼女の声は途切れました。
 くしゃりと歪められた目尻から、幾筋もの水滴が流れ落ちていきます。
 雨か、涙か、その判別は付きませんでした。

「……私がいなくなると、あなたは悲しいのですか?」

 私が恐る恐る聞くと、彼女は「当たり前でしょ!」と怒ったような声を上げました。

「あたしの家族は、あんたしかいないんだから……!」

 その訴えに、私は申し訳ない気持ちになりました。

「ごめんなさい、桜さん。でも……今日は、十月二十九日です。祟りによって、私かあなたか、どちらかが死んでしまうのです。私はあなた無しでは生きていけませんから……私が死んで、あなたが生きるのが最善の──」

「ふざけたこと言ってんじゃないわよ!」

 今度こそ本気で怒ったらしく、彼女は顔を真っ赤にして怒鳴りました。

「なんであんたは、そんなにも後ろ向きなのよ! あんたには、二人一緒に生き延びるって選択肢はないの!?」

 その発言に、私は水を浴びせられたような感じがしました。

「一緒に、生きる?」

 もはや死ぬことしか頭になかった私は、二人同時に生き延びるという欲張りな選択肢など考えもしませんでした。

「そんな……そんな虫のいい話が、まかり通るはずはありません。私の家族は皆、祟りに遭って命を落としたのですから」

「だから、あんたも死ぬって言うの? まだ生きられるかもしれないのに、それを否定するの?」

 まだ生きられるかもしれない──そんな期待が私の冷え切った心に侵食し始め、私は堪らず耳を塞ぎました。

「やめてください。そんなことを言われると、私は」

 叶わぬ夢だとわかっているのに、

「まだ生きていたいと……思ってしまうじゃないですか」

 忘れかけていた感情が舞い戻るのを、私は怖れました。
 この期に及んで、まだ死にたくないなどと。

 希望を抱けばその分だけ、後で裏切られて辛い思いをするのです。
 きっと、後悔することになるのです。

 わかっているのに。
 それでも私は。

 本当は──。

 生きていたい。

 できるならこれから先も、桜さんとともに生きていたいと思ったのです。





       ★





 家に帰り着いたとき、雨はまだ降り続いていました。
 空は夕暮れ時のように暗く、時間の感覚を狂わせます。

「身体が冷えているでしょう。今、お風呂を沸かしますね」

 そう言って風呂場に向かおうとした私を、桜さんが玄関の方から呼び止めました。

「待って。そっちの方、何かヘンな音がしない?」

「音?」

 私は暗い廊下の途中で立ち止まりました。

 左右に並ぶ襖は全て閉め切られています。
 その場で耳を澄ませてみると、遠くで雷の唸る声が聞こえました。

「遠雷でしょう。怖がることはありませんよ」

 そう言って私が振り返ったとき。

 桜さんの姿を映し出そうとした視界が、唐突にやってきた『あるもの』によって遮られました。

「――……!」

 その『あるもの』は、右側の襖を突き破って、私の目の前に静止しました。

 刀でした。

 恐ろしい切れ味を持った刃が、襖から垂直に生えています。

 少しでも位置がずれていれば、私の脳は真一文字に貫かれていたことでしょう。
 その事実を理解したとき、私は凍りつきました。
 足は動きませんでした。

「おかえり、桂」

 襖の向こう側から、幼い声が聞こえました。
 刀は向こう側へと引き抜かれ、やがてゆっくりと襖が開きました。

 白い少女が、そこに立っていました。
 金髪碧眼の幼子。
 触れれば折れてしまいそうなその華奢な手には、かつて祖父を殺した日本刀が握られています。

「さっきはごめんね。今度は、ちゃんと殺してあげるからね」

 ハーベストはそう言って、音もなく、ふわりとその場に浮き上がりました。
 そうして刀の切っ先がちょうど私の首の辺りまで持ち上がると、そこで止まりました。
 
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

僕《わたし》は誰でしょう

紫音
青春
 交通事故の後遺症で記憶喪失になってしまった女子高生・比良坂すずは、自分が女であることに違和感を抱く。 「自分はもともと男ではなかったか?」  事故後から男性寄りの思考になり、周囲とのギャップに悩む彼女は、次第に身に覚えのないはずの記憶を思い出し始める。まるで別人のものとしか思えないその記憶は、一体どこから来たのだろうか。  見知らぬ思い出をめぐる青春SF。 ※第7回ライト文芸大賞奨励賞受賞作品です。 ※表紙イラスト=ミカスケ様

神楽囃子の夜

紫音
ライト文芸
地元の夏祭りを訪れていた少年・狭野笙悟(さのしょうご)は、そこで見かけた幽霊の少女に一目惚れしてしまう。彼女が現れるのは年に一度、祭りの夜だけであり、その姿を見ることができるのは狭野ただ一人だけだった。年を重ねるごとに想いを募らせていく狭野は、やがて彼女に秘められた意外な真実にたどり着く……。四人の男女の半生を描く、時を越えた現代ファンタジー。 ※第6回ライト文芸大賞奨励賞受賞作です。

君の屍が視える

紫音
ホラー
 七日以内に死ぬ人間の、死んだときの姿が視えてしまう男子大学生・守部 結人(もりべ ゆうと)は、ある日飛び込み自殺を図ろうとしていた見ず知らずの女子大生・橘 逢生(たちばな あい)を助ける。奇妙な縁を持った二人はその後も何度となく再会し、その度に結人は逢生の自殺を止めようとする。しかし彼女の意思は一向に変わらない。そのため結人の目には常に彼女の死体――屍の様子が視えてしまうのだった。 ※第7回ホラー・ミステリー小説大賞奨励賞受賞作です。

13歳女子は男友達のためヌードモデルになる

矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

処理中です...