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第2章
一緒に
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消灯時間を過ぎた病室は、まるで大部屋とは思えないほど静まり返っていた。
先日から、いくらか人が減ったらしい。
転院や退院など様々な理由で、部屋の様子は日々変化する。
相変わらず窓際のベッドに横たわる烏丸は、わずかな寝息だけが聞こえる静寂の中で、ただ天井を見つめていた。
眠れない。
頭の中で、昼間に聞いた飛鳥の声が何度も響く。
──雲雀ちゃんに死んでほしくないって、あなたも言ってたじゃないですか。なのに、どうして……っ。
どうして裏切るのか、という非難に満ちた声だった。
羽丘に手術を受けてほしいと飛鳥の前では言っておきながら、結局、本人の前ではそれを伝えることができなかった。
これではただのホラ吹き野郎だ。
飛鳥に軽蔑されても文句は言えない。
けれど。
──本当に私のことを思うなら、今のままで私を死なせてくれるわよね?
羽丘は言っていた。
手術をして声を失うくらいなら、最後まで歌いながら死んでいきたいのだと。
彼女本人がそれを望むなら、その気持ちを烏丸も尊重したいと思った。
生きているうちに、やりたいことをやる。
それは誰もが望んでいることなのだと自分に言い聞かせて。
なのに。
なぜこんなにも、納得がいかないのだろう。
羽丘に死んでほしくない──そんな感情は、こちらの我儘でしかないとわかっているのに。
(俺って、けっこう我儘だったんだな)
どちらかというと、自分は欲がない方だと思っていた。
これといった趣味もなく、人にも物にもさほど興味を示さない。
鷹取に依存している、と羽丘に指摘されるまで、自分の感情にすら無頓着だった。
それが、気づいてみればどうだ。
鷹取に拒絶されることに怯え、雛沢に未練を残し、羽丘の死を受け入れられないでいる。
相手の本心に気づいたところで、それを手放しで歓迎することもできない。
自分という人間は、こんなにも身勝手な性格だったのか。
(こんなんじゃ、俺なんかより、カラスの方がよっぽど……)
カラスは神様の使いで、死んだ人間の魂をあの世へ送り届けてくれるのだと羽丘が言っていた。
彼女がいつか天へと昇っていくときに、その魂に寄り添って、一緒に空を飛んでいってくれるのだと。
自分のように、いつまでも駄々をこねて執着する人間よりも、カラスの方がよほど良心的で慈悲深い。
羽丘と一緒に空を飛ぶこともできず、まともに生きることもできず、かといって死ぬ覚悟もない自分には、彼女の心に寄り添うことなど最初から無理だったのかもしれない。
(俺は……何がしたいんだろう)
と、不意に枕元のスマホが震えて、烏丸はハッと我に返った。
画面を見ると、着信があった。
そこに表示されている名前を目にして、思わず息を呑む。
(隼人……)
久方ぶりに見る名前に、胸がざわめく。
さすがにここで電話に出るわけにもいかず、烏丸は松葉杖を手に取ると、そっと病室を抜け出した。
◯
月明かりの差す中庭で、烏丸は恐る恐るスマホを耳に当てた。
「……もしもし?」
「久しぶりだな、翔」
数日ぶりに聞いた声。
まるで何事もなかったかのように、いつも通りの鷹取の声がした。
「……本当に、久しぶりだね。全然電話にも出てくれなかったし、もう愛想を尽かされたかと思った」
自嘲気味に烏丸が言うと、スピーカーの向こうで微かに笑う気配がする。
「そりゃ、こっちのセリフだよ。俺から離れていったのはお前の方じゃねーか」
「離れるなんて……」
別にそこまで深い意味を含んでいたわけじゃない。
先日の、鷹取からの誘いを断った日。
あのときの烏丸にとっては、それまで胸の内で燻っていた本音をやっと打ち明けられた、というだけのことだった。
鷹取から離れようとか、拒絶しようだなんて思っていたわけじゃない。
しかし鷹取にとっては、その程度で済まされるものではなかったらしい。
「翔。お前はもう戻る気はねえのか? 次の動画のネタも、もう考えてあるんだぜ」
この期に及んでまだ懲りない様子の幼馴染に、烏丸は小さく溜息を吐く。
「前にも言ったけど、俺はもうやらないよ。また怪我するかもしれないし、今度はそれだけじゃ済まないかもしれない。隼人も、こんな危ないことはもうやめて──」
「あの女に言われたからか?」
「え?」
唐突に発せられた『女』という単語に、烏丸は一瞬頭がついていかなかった。
「羽丘雲雀ちゃん、だろ? けっこう可愛い顔してるよな。あの女に唆されたから、迷ってるんだろ。以前のお前ならそんな風にうじうじ悩んだりしなかったし、今回みたいに俺を拒絶することもなかった」
「なんで、羽丘のこと……」
なぜ彼女のことを、鷹取が知っているのか。
「お前の病院、おしゃべりな看護師がいるからな」
その発言で、あの丸眼鏡の悪戯っぽい笑みが浮かぶ。
百舌谷ことり。
彼女の見境のなさは、どうやら烏丸の想像を超えていたらしい。
「お前は、俺よりあの女を選ぶのか?」
「選ぶって……」
またか、と烏丸は思った。
「俺よりも、あの女と一緒にいる方がお前は楽しいのか?」
「別にそんなんじゃない。選ぶとか選ばないとか、そんなの関係ないよ。あの子とはただ病室が近かっただけで」
「あの女、もうすぐ死ぬんだろ」
どくん、と心臓が跳ねた。
どうやら彼女の病状まで鷹取は知っているらしい。
「……まだ決まったわけじゃない。手術をすれば、まだ助かる可能性があるんだ」
「でも本人が死にたがってるんだろ」
そんなところまで情報が漏れているのか、と烏丸は頭を抱えた。
「なあ、翔。もうじき死ぬ奴なんか相手にしたって虚しいだけだろ? 戻って来いよ。俺と一緒に、また新しい動画を撮ろうぜ」
「隼人。死ぬ確率なら、俺たちだって同じだよ。あんな危ないことを続けてたら、それこそ俺たちの方が先に死ぬかもしれない」
「死ぬのが怖いのか? ならお前は、一体何のために生きてるんだよ?」
痛いところを突かれた。
自分が何のために生きているのかなんて、そんなのはむしろ烏丸の方が聞きたいくらいだ。
「生きてる理由なんて、端から無いんだろ? だったらさ、……俺と一緒に死んでくれよ、翔」
そう言った鷹取の声は、わずかに震えていた。
「……隼人?」
そこから、数秒の沈黙があった。
音声のみの通話のため、鷹取の表情はわからない。
「……はは。冗談だよ」
冗談には聞こえなかった。
一緒に死んでほしいなんて、そんな弱気な発言は、いくら冗談でも鷹取が口にするとは思えない。
「もうじき退院だろ? 気が変わったら、いつでも俺の所に戻って来いよ」
じゃあな、と一方的に通話を切られる。
声のしなくなったスマホを、烏丸はじっと見つめた。
鷹取の様子が、何かおかしい。
何か見えないものが、鷹取の心を追い詰めているような、そんな気がする。
呆然と立ち尽くす烏丸の背後で、静寂を破ったのはカラスの声だった。
振り返って見ると、中庭の中心に聳える桜の木の天辺から、一羽のカラスがこちらを見下ろしていた。
カア、カア、と何かを警告するように鳴いている。
満月を背にしたそのカラスの鋭い視線は、まるでこちらの何もかもを見透かしているようで、烏丸は何かを責め立てられるときのような居心地の悪さを感じた。
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